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「あらぁお姉様。今日は早いお帰りで」
今日は屋敷の前で待つようなこともせず、エミリーはエントランスでナタリアを出迎えた。
「今日は手土産はなしなんですの? アレクセイ様もそろそろお姉様に愛想を尽かす頃かしら?」
「……それはどうでしょうね。……私は明日も早いから自室で休憩するわ」
「明日も早い?」
「えぇ。……明日も今日と同じ時間に出て、……市場に行かないかと誘われたの」
「……ふぅ〜ん?」
それだけ告げて、ナタリアは足早に自室へ向かった。これ以上エミリーと話したくなかったからだ。
「わっ……」
自室の扉を開けるや否や、むせかえるような花の匂いがナタリアを出迎えた。
昨日アレクセイから贈られた花だ。ナタリアが外出しているうちに、この部屋に押し込まれたのだろう。
色とりどりの花たち。特に傷んでいる様子はない。胸を撫でろしたナタリアは、行儀が悪いと思いながらもベッドに寝転んだ。
「……アレクセイ様……」
彼の目論見通り、エミリーは指輪がすり替えられたことに気づかなかった。
だがナタリアには疑問が残る。
――なぜアレクセイ様は、指輪をプレゼントしようと思ったのだろう。
昨日は形に残るのものは贈りたくないと仰っていたのに。
栞ひとつで喜ぶような女への哀れみ? 同情?
けれどナタリアにはどれでもよかった。
アレクセイにも伝えた通り、これまでなにかとナタリアは我慢を強いられてきた。
全ては病弱な妹のため。こんなふうに、ナタリアのためだけを想った贈り物など、いつぶりなのだろう。
指輪を嵌めた左手ごと、ナタリアは胸に掻き抱いた。ドレス越しに聞こえる心臓の音。誤魔化しきれないぐらい早鐘を打っていた。
*
「それで、お前が起きたときには妹はもう外出準備を整えていたと」
「はい。……急用ができたとかで……」
相変わらず馬車に揺られながら、ナタリアは不可解な気持ちでいっぱいだった。
妹のことだからまたアレクセイにけしかけると思っていた。にもかかわらず、ナタリアが起床する頃にはばっちり準備を済ませ――そのまま出てしまったのだ。
「妹の行く先。教えてやろうか」
「……ご存知なんですか?」
「私の予想が外れていなければ、目的地は私たちと同じところだろうよ。覚悟しておけよ、ナタリア」
覚悟。やけに含みのある言い方に、ナタリアはそれ以上なにも言えなくなってしまった。
「そういえば。今日はやけに花の香りをまとわせてるじゃないか」
「えっ、……あ、エミリーが花を返してくれたので私の部屋に飾ってあって……」
「返す? 私が靡かなかったからお前の妹にとってはゴミに成り下がっただけだろう。それをお前の部屋に押し込めただけ。違うか?」
否定しようとして、ナタリアは否定できなかった。きっと、アレクセイの言う通りだからだ。
「……でもそれにしてもよく花の香りがわかりますね? 香りの強いものはなかったはずですが……」
話題を変えたくて問いかけると、あぁ、とアレクセイは呟いた。
「鼠は鼻がきくんだよ。さすがに本来の鼠ほどではないだろうがな。純血の人間よりは匂いを感じとることができるはずだ」
他愛のない会話も交わしつつ、やがてしばらく走ったところで目的の市場に到着した。
アレクセイにエスコートされるのも慣れたものだ。今日のナタリアの左手にはアレクセイからの指輪が光っており、そしてそれはアレクセイも同じだ。ナタリアと交換した指輪が小指で輝いている。
「おや、さっそくおでましときたじゃないか」
「……さっそく……?」
ふ、とナタリアが顔を上げた先――エミリーと、ナタリアに婚約破棄を言い渡したセルゲイが、こちらの到着を待っていたかのように、そこに立っていたからだ。




