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「――見たかあの顔! 愉快愉快! 最高だったな!」
馬車が動きだすなり、足を組んだアレクセイが大笑いした。
「良いものを見せてもらった。愚かな人間の愚かな義憤に駆られる顔。あぁ最高だった。花を贈った甲斐があったな」
「……全てお見通しで贈っていたんですね」
「こうも上手くいくとは思わなかったがな。してナタリア。栞ぐらいは奪われずに済んだのだろう?」
けらけら笑うアレクセイの前に、ナタリアは隠し持っていた栞を差し出す。
「……なんだお前。ここまで持ってきたのか」
「……こういった贈り物をされるのは初めてで……、……両親もセルゲイ様……婚約者もエミリー第一でしたから」
そうしてナタリアは、昨夜眠るときにしていたように、胸の中で栞を抱いた。
「アレクセイ様にとってはたいした物ではないかもしれませんが、私にとっては大切なもので……外出中に部屋を荒らされ、奪われたら思ったら、持ってこないわけにはいかなかったんです」
たとえ安物だろうと、自分だけのために贈られたことがなにより嬉しかった。この栞はきっと生涯捨てられないだろうな、とナタリアは思う。
「……もう少し慎重に選ぶべきだったな」
「そっ、そんなお手を煩わせるようなことは……! 私がしたくてやっただけでっ……」
「そうは言ってもな」
昨日と同じく、馬車はゆるりと進む。
やがて到着した先。そこは、昨日の市場より少し金持ちの客層を相手にした繁華街だった。
*
「予定を少し変えよう」
馬車を降りるや否や、セルゲイは告げた。
予定もなにも私は何も聞かされていませんが……という言葉を飲み込んで、ナタリアは首を傾げてみせた。
「どこに行かれるのですか」
「あそこだ。お前に指輪でも見繕ってやる」
アレクセイが顎でしゃくった先にあるのは宝飾店だった。
彼の考えがわからないまま、ナタリアは件の店へ連れて行かれる。昨日の串焼き屋や花屋の店主よろしく、宝飾店の老齢の女主人は腰を抜かしそうな勢いで驚いてみせた。
「事前に連絡もせず来店して申し訳ないな。今、少し構わぬか。あぁなに、奥に案内もいらない。店先で済む用事のはずだ」
貴族も利用する宝飾店。女主人はもちろんナタリアを知っており――そして身なりと、鼠の尻尾でなにか勘付いたらしい。冷や汗を流しながら、こくこくと何度か頷いてみせた。
「さてナタリア。左手を出してみろ」
言われるがままナタリアは手を出す。
「指輪は2つか……、……店主よ、彼女の嵌める指輪と似たものはこの店にはあるか?」
ナタリアの指に嵌められた指輪。
手袋の上から、人差し指、中指にそれぞれ指輪が嵌められている。特に意味はない。単純にファッションとしてのものだった。
「ええと……それでしたら、人差し指のものと似たものでしたらすぐご用意できますが……」
「構わぬ。すぐ持ってきてくれ」
すぐに店主が店の裏手に回る。
間もなくして、黒い台座に鎮座した指輪を一つ持ってきた。
「いかがでしょう」
台座の上には、赤い鉱石の嵌められた指輪がひとつ。
「……ルビーか」
「その通りでございます。お嬢様のつけられている指輪はレッドサファイアだと思われますが、現在わたくしどもの店には在庫がなく……申し訳ございません」
「……ナタリア。お前のその指輪、なにか特別な意味があったり、人から贈られたりしたものか?」
「い、いえ……数あるアクセサリーのひとつというだけですが……」
「それなら問題ないな。サイズも良さそうだ、……これで良い。いくらだ。言い値で買おう」
ナタリアを差し置いて話は進んでいく。
結局アレクセイは、その店で指輪だけを買い、退店したのだった。
*
馬車に戻るなり、ご丁寧にラッピングされた箱をアレクセイ自ら開けた。
「ナタリア。左手を出せ」
彼の意図が掴めないまま、ナタリアは言われた通りに従う。
満足そうに頷いたあと、アレクセイが、いやに慎重な手つきで人差し指の指輪を抜いてしまった。
抜かれた指輪は箱に置かれて、空っぽになった指に、先ほどアレクセイが購入した指輪が嵌められた。
「……アレクセイ様?」
「新しいものを与えては妹に奪われるだろう。それならば、似たものであればバレないかと思ってな」
――アレクセイの言葉の意味が理解できずナタリアはしばらく逡巡する。
つまるところ彼は――
「わ、……私へのプレゼント、なんですか……?」
「でなければなんになる」
「こっ……こんな……! 指輪なんていただけませんよ!」
「確かに処分には困るな。捨てるときは可愛がっている侍女にやるなり売り払うなりしてくれ。あぁ、無いとは思うが、お前の指輪のほうが高価で差額が気になると言うのであればその補填は――」
「そういう問題ではなくって!」
指輪を引き抜こうとして、それはアレクセイに制される。
「ならばこうしよう。私たちは指輪を交換したと。お前が元々持っていたレッドサファイアの指輪は私のものに、逆にお前は私からのルビーの指輪。どうだ? これなら罪悪感も薄れるだろう」
ナタリアのものだったレッドサファイアの指輪。
それをアレクセイが、自身の小指に嵌める。指の太さが違うせいだ、人差し指では入らなかったのだ。
「どうだ。あぁこの指輪の色、お前の目の色のようだ」
車窓から差し込む光に指輪を掲げ、アレクセイは眩しそうに目を細める。
――自分の目の色をした指輪をアレクセイ様がつけていらっしゃる。
どうしてだか恥ずかしくなったナタリアは、アレクセイを倣って同じ動作をしてみる。
「私の指輪は……アレクセイ様の目の色のようですね」
アレクセイもナタリアも赤い目。けれどアレクセイのほうが、鮮血を思わせる、ハッとするような目の覚める赤だった。
「遠い遠いご先祖様の名残でな。その遺伝子だけが残り続け、未だに私たちは赤目に銀の髪が多いというわけだ」
「そう、なんですね。私ったらそこまでは知らず……」
「構わん。それにしても妙な話だな。公爵令嬢ともなればレッドサファイアなどではなく、ルビーを使うものではないのか? いや別にこの石とて美しくはあるが……」
アレクセイから投げられた疑問に、ナタリアの胸がちくりと痛む。
「……なんだ。顔が暗いぞ」
「いえ、……ただ、その……元は私もルビーの指輪を購入する予定だったんです。自分の目の色と同じだから、って……。……でも妹が駄々を捏ねてしまって……お姉様がどうしてそんな高価なものを持つの? と」
「なんだそれは。屁理屈ではないか?」
「私もそう思いましたし反論しましたが……なにぶん両親は妹に弱いものですから。なんだかんだと言いくるめられて、その指輪になったんです」
でも、とナタリアは続ける。
「我慢してこの指輪にしておいて良かったです。だってアレクセイ様と交換できるなんて夢にも思わなかったんですもの」
これでまた宝物がひとつ増えてしまった。
――そうとも。ナタリアの両親とて、ナタリアに苛烈な虐待をしてきたわけではない。ただ、なにかにつけて『エミリーが』という枕言葉が常にあっただけなのだ。
塵芥のような出来事の数々。ひとつひとつは些細なことだとしても、降り積もって、ついに婚約破棄騒動まで発展してしまった。
これから自分がどうなるのか、アレクセイが本当に新しい婚約者を見つけ出してくれるのか。それは不明だ。だけれど――この指輪と栞があるならば、どんな環境でも頑張っていけそうな気がしていた。
「……ありがとうございます、アレクセイ様。私、とっても嬉しいです」
ナタリアは思わず顔が綻んでしまう。
呆気に取られたように、アレクセイが彼女を凝視していた。いけない、アレクセイ様がお好きなのはこんな顔ではないのに。けれどナタリアは、今に限っては苦しむ顔なんて出来そうにもなかった。
アレクセイが己の小指に視線を落とす。一度だけ愛しむように撫でて――さて、口火を切った。
「……申し訳ないが私はこれから所用があってな。今日のところはお開きとしよう」
「あ、……それは構いませんが……」
「明日また同じ時間に迎えに行く。それとナタリア、お前に頼みたいことがあるんだ」
「私に……?」
頷きながら、アレクセイが馭者に合図を送る。それと共に馬車がゆっくりと動き出した。
「今日も帰宅すれば妹が寄ってくるだろう。そいつに、それとなく行ってやれ。明日は市場に行くつもりだ、と」
「……市場というのは、あの串焼き屋のある……?」
「そうだ。そのうえで、明日も同じ時間に迎えがくると、それも伝えておけ」
足と腕を組み、今から起こるであろう『何か』が待ちきれないかのようにアレクセイが歪に笑った。
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