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そもなぜアレクセイが一週間もこの国に滞在しているのか――簡単な話だ。アレクセイと、この国の王女の一人との間に婚姻の話が上がったからだ。
申し出は人間側から。
これまた単純な理由で、アレクセイの統治する国は、鼠の異常な繁殖力から鼠人口を爆増させ、国として繁栄を極めつつあった。数というものは多いというだけで単純な力となる。それを恐れた国王が、アレクセイに婚姻を持ちかけた。
王女を生贄に友好な関係を持とうじゃないか、と。
ナタリアがセルゲイに婚約破棄を突きつけられた夜会。あれは貴族間で定期的にある夜会――の皮を被った、アレクセイと王女――エカテリーナの親睦を願い、祝うための、そして辺境から遠路はるばるやってきたアレクセイを歓迎する夜会だったのだ。
本来であればこんなまどろっこしいこと抜きに婚約の話など運ぶだろう。
だが種族差が邪魔をした。
さすがに鼠獣人の皇帝と顔も合わせぬまま結婚はどうなのか、という国王側の懸念。そして、純血の人間の営みを間近で見たいというアレクセイの希望から、アレクセイがこの国に赴くことになったのだ。
一週間、というのは、本来アレクセイとエカテリーナが仲を深めるための期間だった。それこそ二人で市井を巡り、仲を深めればと設けられた期間だったのだが――
――事態は一変する。
ナタリアとセルゲイによる婚約破棄騒動だ。
そしてそれを目にしたエカテリーナは、アレクセイと二人きりになったタイミングでこう伝えたのだ。
『王女としてあってはならないことですが、私にも想い人がいるのです。ですから――貴方との婚約、今一度、考え直す猶予を与えてはくれませんか』
エカテリーナは美しい娘だった。
金色のウェーブがかった髪に、深い青の瞳。これだけの美しさであるなら、かの鼠皇帝の心も射止めるだろうと用意されたというのに、王女自らそれをひっくり返してしまったのだ。
しかし、それを聞いたアレクセイは大笑いした。
元々、その日初めてエカテリーナとじっくり対面したのだ。これまでも、政治や夜会の場で時たま顔を合わせることはあったが、彼女に対する特別な感情などなにもない。だがあまりに真剣な、ともすれば神妙とも言える顔で告げてくるものだから、おかしくて声をあげて笑ってしまったのだ。
『それは別に結構だが、私とお前の婚約は国同士の話だからな。まずは父親に相談してみたらどうだ』
アレクセイとエカテリーナのためにと、用意された二人きりの部屋で。アレクセイは笑いを噛み殺しながらそう口にした。
てっきりアレクセイから怒号のひとつでも飛んでくるかと思っていたエカテリーナはあまりのことに閉口し――そして力強く頷いてみせた。
そしてさしものアレクセイも、エカテリーナと二人きりは少々気まずかった。
それはエカテリーナとて同じだ。
二人の意見は合致し、早々に部屋を出ることになった。
夜会に戻っても良かったが、部屋を出た言い訳を考えるのが面倒だった。暇を持て余し、あてもなく彷徨っていたところ――アレクセイは出会ったのだ、婚約破棄を突きつけられ、一人さめざめと泣くナタリアに。
*
タウンハウスに招かれたナタリアは、居心地悪く最高級のソファに腰をかけていた。
隣にはアレクセイ。足を組み、それはそれは尊大な、けれど心底楽しそうな様子だ。
「なるほど? エカテリーナ嬢はこの国の侯爵家の息子が想い人だと。どうせ想い人と結婚はできぬが、できるなら同じ国でそいつを見守っていたい。だから正式に婚約破棄したい。これで合っているか?」
アレクセイとナタリアに対面する形で座るのは、エカテリーナ、――それに、この国の国王その人だった。
顔を青くしながら国王は何度も頷く。対するエカテリーナは、どこか申し訳なさそうにしながらも、凛と胸を張って座っていた。
「陛下との婚姻、大義あるものだということは承知しております。ですが……」
「やめろ。御託を並べる必要はない。事実確認をしただけだ」
「それなら……」
「婚約破棄など一向に構わんよ。それとてまだ内々の話だったからな。双方、これといって損害もないだろう。慰謝料もいらん。婚約破棄、しかと受けようじゃないか」
アレクセイの言葉に、王がはっと顔を上げた。
それから安堵したように肩の力を抜き、頭を深く下げて謝罪した。
「ありがとうございます、こちらからの提案だったというのに本当に申し訳ございません……」
それに倣うように、エカテリーナも頭を下げる。
「……本当に申し訳ありませんでした。辺境からお越しいただいたというのに無駄足となってしまい……」
「それは確かにそうだな。無駄足になってしまった。その点についてはなにかしら誠意を要求しようか」
――一人会話に取り残されたナタリアはもう、なにがなんだか理解不能だった。
なぜ自分がこの席にいるのか。
それはアレクセイに言いくるめられ、あれよあれよと言う間に国王と王女が来訪してしまったから。
最初こそナタリアの存在を訝しんでいた二人だったが、ここ数日のアレクセイの同行は伝わっていたらしい。ナタリアを見つめ、なにか合点がいったように顔を見合わせて頷いたのだ。
結局頷いた理由も、アレクセイが自分を同席させた理由も知らされぬまま、ナタリアは今、ここにいるというわけだ。
「……誠意、ですか」
おずおずと聞き返したのはエカテリーナだ。
「あぁ。まぁ簡単な話だ。そこなナタリア嬢。彼女に相応しい新しい婚約者を用意してくれ」
「「……えっ?」」
ナタリアとエカテリーナの、すっとんきょうな声が被った。
「ナタリア嬢の婚約破棄騒動があってこそ、エカテリーナ嬢は自分の気持ちに気づき、決断を下した。なればこそ、そのナタリア嬢にもなにかしら褒賞があっても良いとは思わないか?」
足を組み直してアレクセイは続ける。
「私の求める『誠意』はそれだけだ。私がいる間にそれなりの男の候補を見繕ってこい。私直々に見定め――」
「お、お言葉を遮り失礼なのは承知なのですが……」
「……てっきり、私と父は、ナタリア嬢との婚姻を望んでいるのかと……」
「えっ」
「……はぁ?」
おずおずと述べた国王とエカテリーナに、今度はナタリアとアレクセイの声が重なった。
「いえ、市井での仲の良い様子はこちらの耳にも入っていましたし……ナタリア嬢でしたら……少し劣る可能性はありますが……ですが家格も問題はないはず……」
もごもごと話したのは王様だ。
それにエカテリーナが追従する。
「ですから陛下は、私と引き換えに、ナタリア嬢との婚姻を望むものだと……その……ナタリア嬢も婚約破棄された身ですし、……私がこれを言うのもおかしな話ですが、婚約破棄された同士通ずるものがあるのかと……」
「わ、私とアレクセイ様は断じてそういう仲では……っ」
そういう仲ではない。だが、妹と元婚約者の鼻を明かすために初めた関係だなんて口が裂けても言えなかった。
「で、ですがナタリア嬢。仲睦まじい様子はこちらにも報告が上がっていまして……抱えきれない花束を貰っただとか……」
「うっ」
「指輪も贈られたと」
「うう……」
――アレクセイ様も反論してくださいよ!
黙りこくったアレクセイに視線を向けるも、彼はじっと、なにかを考えているようだった。
「……確かにその手はありかもしれんな」
「えっ」
「そも国と国の仲を深めるための婚約だったからな。ナタリアと結婚するのは互いに利があるといえるが……」
組んでいた足を直して、アレクセイがナタリアに向き直った。
「どうするナタリア。無理強いするつもりは全くないが――お前を妃に迎え入れるのは面白そうだと私は思うんだが」




