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エピローグ

 二〇二X年。


 マレーシア、マラッカ。


 赤道直下の太陽は、五世紀前と変わらず、容赦なく降り注いでいる。


 かつて象が行き交った道はアスファルトで舗装され、今は派手な装飾と爆音の音楽を流す観光用トライショーが我が物顔で走っている。


 世界遺産に登録されたこの街は、平和な喧騒に包まれていた。


 オランダ広場の赤い時計台の前では、世界中から来た観光客がスマートフォンを掲げ、笑顔で写真を撮っている。マラッカ川のほとりでは、恋人たちが夕涼みをし、川面を滑るクルーズ船に手を振る。


 観光客の群れの中に、ガイドの声が響く。


「こちらが『サンチャゴア・ファモサ』の門です。一五一一年にマラッカを占領したポルトガル軍が築いた要塞の一部で、現存するのはこの門だけです」


 朽ちかけた石造りの門。


 苔むしたその壁を、観光客が物珍しそうに触れていく。

 

 皮肉な話だった。


 かつてファティマが「美しく燃えている」と見下ろしたマラッカ王宮は跡形もなく消え去り、彼女が憎んだポルトガル人たちが築いた要塞もまた、今はただの残骸となって晒されている。


 永遠不滅を誇った石壁も、長い歳月の前には無力だった。


 だが、消えなかったものがある。


 ガイドが説明を続ける。


「マラッカ王国は滅びましたが、その血統は絶えませんでした。最後の王と共に逃げ延びた人々がジョホール王国を建国し、現在のマレーシア各州のスルタン(王侯)家へと繋がっているのです」


 そう。


 石の城は崩れ、鉄の大砲は錆びついた。


 しかし、ファティマの「血」だけは生き残った。


 現在のマレー半島に君臨する王族たちの系譜を遡れば、その源流には必ず、あの日ジャングルへ逃げ延びた「強き母」の存在がある。


 彼女の名前は、今や伝説となっていた。


 『トゥン・ファティマ』


 その名は、街の通りや、国を代表する名門女子校の名前として刻まれている。


 彼女はもはや「悲劇の王妃」ではない。国難に立ち向かい、民族の誇りを繋いだ「救国の女傑スリカンディ」として、現代のマレーシア人に愛され、敬われているのだ。


 一方、夫であったマフムード・シャーはどうか。

 歴史の教科書において、彼は「国を失った愚かな王」として語られるに過ぎない。


 ファティマの復讐は、五〇〇年という時を経て、歴史という審判の場で完全なる勝利を収めていた。



 夕暮れ時。


 セントポールの丘から、マラッカ海峡を見下ろす。

 

 海は穏やかだ。

 かつて黒いポルトガル船団が埋め尽くした水平線には、今は巨大なタンカーやコンテナ船が行き交っている。


 経済発展を続けるマレーシアの活気が、そこにはあった。


 海から吹き上げる風が、木々の葉を揺らす。

 ザワザワという音の中に、ふと、涼やかな笑い声が混じった気がした。


 それは幻聴かもしれない。


 だが、この街の湿った空気の中には、確かに彼女の気配が残っている。


 スパイスの香りに、極彩色のプラナカン建築に、そして現代を生きる人々の強い瞳の中に。


 ――私の勝ちよ。


 風がそう囁いて、海の方へと抜けていった。

 

 丘の上に立つ白いマリア像の横を、ムスリムのヒジャブを被った少女たちが、屈託のない笑顔で駆けていく。


 太陽が沈む。


 五〇〇年前と同じ、燃えるような紅蓮の夕陽が、平和なマラッカの街を優しく包み込んでいった。


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