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見捨てない婚約者

作者: 福嶋莉佳
掲載日:2026/01/13

エレノアは聞いてしまった。


「婚約者はいる。だが、お前が大切だ」


アルトはミレイユの手を取り、まっすぐに見据えていた。

ミレイユは頬を染めて、ためらいがちに笑う。


「うれしいです……」

「たとえ結婚しても、そばにいてくれないか」


学園一の美青年と平民の娘。

一見すれば、観劇にありそうな切ない恋物語。

だがその男は――エレノアの婚約者だった。


令嬢として、その場で感情を露わにするのは、

未熟な振る舞い。

エレノアは黙って踵を返した。





相談相手に選んだのは、従姉にあたる夫人だった。

早くに結婚し、社交界でも一目置かれる女性。

エレノアにとって、憧れの人物である。


エレノアは涙を浮かべながら、夫人に話した。


「……政略ですが、彼が好きなのです。どうすれば……」


「あなたが悪いのではありません。男の出来が悪いのですわ」


思わず、エレノアは顔を上げた。


「……ですが」


「出来の悪い男と、その恋人を受け入れるのも、できる妻の務めです」


優しい声だった。


「男が未熟なのは事実ですわ。そして、娘もだらしない。

だから――」


夫人は、穏やかに微笑んだ。


「まずはその娘を、一流に仕立て上げなさい」


エレノアは目を伏せた。


「……愛は、彼の心は……」


夫人は即座に答えた。


「愛も同じですわ。男が一流になれば、見る目が変わりますもの。

あなたを見るようになりますわ」


揺るぎない声だった。

疑う余地を与えないほどに。


エレノアは涙を拭い、静かにうなずいた。


「……精進いたします」





翌日、エレノアはアルトに尋ねた。


「あなたの恋人を、私の指導下に置きたいのですが」


アルトははじめ驚いたが、肩をすくめた。


「君がそうしたいなら、構わない。

ミレイユも、その方が助かるだろう」


それからエレノアは、ミレイユを正式に教え始めた。


「ど、どうして、わたしを?」

「未来の夫人としての務めです」


それ以上の説明はしなかった。


「まずは姿勢から。背筋を伸ばして」

「……こ、こうですか?」

「ええ。視線は下げすぎないで。堂々としていればよろしいのです」


所作、礼法、立ち回り。

エレノアは厳しいが、公平だった。


「礼は、腰から。指先まで気を抜かないで」

「はい……」


教えている最中、胸が疼かないわけではなかった。

だがそれを表に出すことは、自分で自分を否定する行為だった。


これは一流の夫人になるための役目。


そう言い聞かせるたび、感情は押し沈められていく。

そして、耐えているという自覚すら、次第に薄れていった。


「覚えが早いですね」

「……ありがとうございます」


一方でミレイユは、戸惑っていた。


「アルト様……」

「どうした?」


ミレイユは視線を落としたまま言った。


「エレノア様……とても、親切で……」

「だろう? だから言っただろう、君は心配しなくていいって」


アルトは悪びれもなく笑った。


「君が恥をかかないようにしてくれてるんだ。

ああいうところが、さすが婚約者だよ。

――昔から、あいつは要領がいいんだ」


ミレイユは、何も言えなかった。


エレノアは、相変わらず指導を続けた。


「わたし、悪いことをしている気がして……」

「そう思えるうちは、大丈夫です」


エレノアは淡々と答えた。


ミレイユに罪悪感はあったが、それと同時に優越感もあった。


――選ばれているのは、自分だ。


その相反する感情が、ミレイユの胸で絡まり合っていた。


そしてアルトは、この状況を「うまくいっている」と受け取った。


「二人が仲良くなってくれてよかった」


彼は相変わらず、静観しかしなかった。





舞踏会の夜、学園の大広間の入口にミレイユは立っていた。

エレノアが選び、仕立てたドレスを着て。


「大丈夫です。練習通りになさって」

「はい」


次の瞬間、ざわめきが広間を走った。


「……あの方、どなた?」

「平民出身ですって」

「嘘でしょう。立ち居振る舞いが完璧だわ」


ミレイユは笑みを崩さず、言葉を返す。


「お目にかかれて光栄ですわ」

「こちらこそ。素敵な夜を」


アルトは隣で、満足げに胸を張っていた。


「な? すごいだろう」


誰にともなく言って、称賛を集めた。

ミレイユは目を瞬せた。


――すごいのは、あなたではない。


アルトは、何もしていない。

自分がこの場に立つために、何ひとつ。


そう思った自分に、ミレイユは静かに驚いた。


「アルト様、あの……」

「ん? どうした」

「わたし……今の挨拶、合っていましたか?」

「合ってる合ってる。ほら、皆が見てる。君はすごいよ」


空疎な返事だった。


その瞬間、ミレイユの胸の奥で、何かが剥がれ落ちた。


目の前の男は、自分の“完成”に寄りかかっているだけ。

そして、自身は何ひとつ変わっていない。


ミレイユは、笑みを保ったまま、視線を一度だけ逸らした。

そして、広間に満ちる音楽の中で、ひとつだけ決めた。





季節が巡り、ミレイユは誰から見ても一人前の貴婦人となった。


ミレイユはエレノアの前で深く頭を下げる。


「ありがとうございました」


エレノアは微笑む。


「よくここまで頑張りましたね」


そして残ったのは――完成しなかった男だけ。


「アルト様」

「ミレイユ? どうしたんだ、改まって」

「わたし……これからは、別の道を歩こうと思います」


アルトは一瞬、意味が分からないという顔をした。


「別の道? 冗談だろ」

「いいえ」


ミレイユは、首を振った。


「ここまで導いていただいて、分かりました。

わたしは――誰かに守られていなくても、立てるのだと」

「それは俺のおかげだろ? 俺が2人を取り持ったからだろ」


その言葉に、ミレイユは答えなかった。

深く一礼する。


「お世話になりました」


それだけを残し、踵を返した。


エレノアは黙って、その様子を見ていた。


ふと、夫人の言葉が脳裏をよぎる。


『男を鍛えるのも、妻の務めですわ(^^)』


エレノアは、小さく息を吐いた。


「……ええ。夫人は、間違っていませんでした」


取り残されたアルトを見つめ、エレノアは目を細めた。


「大丈夫ですわ。

わたくしは――見捨てませんから(^^)」


アルトは、安堵したように笑った。  


「……そうか」


それが救いだと、信じて。


――それが、終わりだった。

お読み下さりありがとうございます。

わたくし、良き夫人になりますよね。

どうか評価をお待ちしております(^^)

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― 新着の感想 ―
相談先のご夫人は、もしかすると、あの空気読まないアグレッシブなお方でしょうか。
そうでした。ホラーって、伝染するものでしたね。
おかしい、作中では言葉のはずなのに、なぜか顔文字が見える(^^)
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