#8 関節リウマチの早苗さん
こもれび整体院の整体師野崎は、仕事が終わるといつも近所の銭湯に行く。
東京都大田区は都内で銭湯が一番多い区だ。町工場や住宅が多いからであろう。
そして、銭湯でありながら天然温泉のところが多い。戦前から続く伝統的な銭湯からスタイリッシュなデザインの銭湯とバリュエーションも多く、「温泉郷」と呼ばれたりもする。
野崎が通う銭湯も温泉で、しかも黒湯だ。大田区蒲田あたりで出る温泉は黒いお湯で、海も近いことから塩分もやや多い。お湯につかると脚が見えなくなるほどの黒褐色で、古代の植物が分解された成分由来らしい。
湯船に入ると、野崎は手指から前腕のストレッチをする。整体・マッサージ・指圧いった手技療法は、とにかく手を使う。その日の疲れはその日のうちに取るのが重要だ。基本的に自分の身体はセルフケアする。
自宅にもお風呂はあるが、子供のころから通っている大きな湯船で脚を伸ばして、ゆっくりのんびりリラックスする時間が大好きだ。
銭湯から出ると、いつものようにすぐそばのスナックに入った。
「こんばんは〜。」
「あら、いらっしゃい。」
ママの早苗さんが優しく迎えてくれた。
「ママさん、いつもの!」
お気に入りのバイスサワーを注文した。バイスサワーとは、大田区のメーカーであるコダマ飲料が製造・販売する焼酎割りソーダの元だ。キレイな色をした梅シソ味でサッパリしている。コダマ飲料は、他にもラムネなども製造・販売しているが、クリスマスの時期に売られるシャンメリーの方が全国的には有名だろうか。
出されたバイスサワーを野崎は、一気に半分ほど飲んで、声を発した。
「く〜、きく〜〜!」
「今日もお疲れ様でした。」
ママさんがほがらかな笑顔で応えてくれた。
ママさんである早苗さんは、幼馴染のお母さんだ。近所ということもあり、野崎の幼少の頃からよく知っている第二の母親みたいな存在だ。
続けて、鳥の唐揚げを注文した。お惣菜好きの野崎はブレずに揚げ物だ。バイスサワーにもよく合う。BS放送の野球中継をぼんやり観ながら、出来上がりを待った。
フライパンからの音が高音になってきた。もう少しで揚げあがりだ。
「はい、おまたせ。」
早苗さんは、熱々の唐揚げを持ってきた。
野崎はレモンを掛けないでヤケドしそうな唐揚げにかぶりつき、よく味わうと、バイスサワーをノドを鳴らして飲んだ。
「もう、最高です!
いつもありがとうございます!」
と言うと、早苗さんは微笑んだ。
「ところで、体調のほうはどうですか?」
他のお客さんもいなかったので、気になって聞いてみた。早苗さんは少し前に、2週間くらいお店を休んでいた。
「そうね〜。
あれから良くもなく、悪くもなくという感じかな〜。
なかなか原因が分からなかった時はモヤモヤしたけど、リウマチと診断がついて、お薬も飲んでるし、ちょっと安心ね。ありがとう。」
関節リウマチとは、免疫機能が自分の関節を異物とみなして攻撃してしまう膠原病の一種である。手足の関節に慢性的な炎症、腫れ、痛みなどの症状が起こる。
中年の女性に多く発症するが、印象派の巨匠ルノワールも48歳で発症したそうだ。晩年は、絵筆を手に固定して描いていた。
昔は大した治療薬がなく、関節が炎症して、痛みが出て、関節の組織が破壊され、動かなくなる患者さんがいた。
しかし、ここ20年くらい前に「レミケード」などの抗体(モノクローナル抗体)医薬が開発されて、関節リウマチの治療は劇的に進化した。
免疫の働きを担う体内物質の1つがTNFα(活性化マクロファージから分泌される強力な炎症性サイトカイン)と呼ばれる免疫物質である。
関節リウマチ患者さんの体内ではこのTNFαが異常に増えていて、関節内の炎症や、軟骨・骨の破壊の原因となる。
レミケードはTNFαの働きをおさえる薬で、体内でTNFαに強力にくっつき、関節への攻撃を阻止し、なおかつ、TNFαを生み出している細胞を壊し、TNFαが増えないようにする働きもある。
すごいお薬で、クローン病・潰瘍性大腸炎、ベーチェット病(目などの病気)、乾癬(皮膚の病気)などの治療にも使われている。
近年はバイオシミラーと呼ばれる安価な後発医薬品が普及している。
したがって、最近は関節が固定するよう患者さんは見かけなくなった。
しかし、早苗さんは話しをつづけた。
「お薬を飲んでもね。朝に手のこわばりがあったりするのよ〜。」
「朝はまだ活動のし始めで、血圧が低かったり、血行も悪かったりで、薬の効果が出にくいですよね〜。」
「そうなのよ〜。
おしゃれもしたいから、手袋とか、はめたくないし〜。」
「分かります!
ネイルとかしてると、キレイにしときたいですよね〜。」
「まだまだ現役なんでね。(苦笑)」
「じゃあ、若返りとか老化防止とか、興味あります?」
「もちろんよ〜。
まだ、おばあちゃんになるには早いからね〜。」
「おっ、じぁあ、今度お店に来てくださいよ〜。」
「あ〜、行く行く、すぐ行く!(笑)」
そんなやりとりをした翌日の午前中、早速、早苗さんはラフなスエット姿でこもれび整体院に来店した。
「いらっしゃいませ〜。」
と受付の真由美さんは笑顔で挨拶した。
「お久しぶりです。お世話になりま〜す。」
「ちょっと準備しますので、お掛けになって少々お待ちください。」
早苗さんはいつの間にやって来た看板犬のモフモフちゃんの頭を優しく撫でていた。
準備を終えた野崎がやって来た。
「昨日は美味しい唐揚げとバイスサワー、ありがとうございました!
小上がりに上がって、仰向けになってください。」
「いえいえ、どういたしまして。
先生、よろしくお願いします。」
野崎は横になった早苗さん大きなバスタオルを掛けると、話し始めた。
「まずは、こわばりの前腕と手と指からほぐしていきますね。
それから、昨日の続きですよね。(笑)」
「この手のお話しには、食い付きますからね。(苦笑)」
「分かりました。
若返りの極意をお教えします。
今やっている整体は、そもそも古代中国の陰陽五行という思想が元になっているんです。」
「陰陽とは、月と太陽、女性と男性、みたいに万物はペアの性質があるよ、という考え方なんです。
五行とは、これまた万物を木・火・土・金・水の5つの要素の相互作用で解釈するよ、という思想なんです。
全ては、木・火・土・金・水が循環したり、バランスして、お互いに助けて合ったり、抑制したりしながら変化して、調和を保っていると考えます。」
「なんじゃ、そりゃ。
なんだけど、昔の広い中国で生まれた考え方なんで、そういうものなんです。(苦笑)
それで、木・火・土・金・水を今度は人体にあてはめて、肝・心・脾・肺・腎の五臓になります。
重要なのは、肝は肝臓そのものだけではなく、肝臓プラス肝臓の気としている点です。」
「肝臓の気というのは、足の厥陰肝経と言う経絡を流れる、としています。
足の厥陰肝経は、足の親指から腹部までの流れです。
厥陰というのは、陰陽の陰の種類を示しています。」
野崎は肝経の流れる経穴を指で押さえて、説明した。
「ちょっと話しが複雑になってきたんだけど、そろそろ若返りの極意が出てきますので、がんばってください。
肝・心・脾・肺・腎もお互いに助け合ったり、抑制したりしてます。
なかでも、腎は成長・生殖・老化を司る力の「精(生命エネルギー)」を貯めておく能力を持っています。」
「早苗さん、ようやく出て来ました!
この腎をパワーアップすることが、若返りの極意なんですよ。
西洋医学の臓器としての腎臓は、血液をろ過してキレイにし、ミネラルバランスを整えてます。
そして、3つの重要なホルモン作用で全身の健康を維持しています。血圧を上げる「レニン」、赤血球を増やす「エリスロポエチン」、骨を強くする「活性型ビタミンD」を産生・活性化しています。」
「さらに腎臓の上には、副腎(皮質・髄質で構成されてます)という小さいけど、ホルモンを分泌する臓器が乗っかっています。
副腎ホルモンは、生命維持、ストレス反応、血圧・電解質バランス、代謝を調節する重要なホルモン群なんです。
主な副腎ホルモンは、皮質由来のコルチゾール(抗ストレス・代謝)、アルドステロン(塩分・血圧)、性ホルモンと、髄質由来の「カテコールアミン」(アドレナリン・ノルアドレナリン)です。 」
「なんか、いろいろ出て来ましたけど、腎臓と副腎は生命や代謝にとても重要な働きをしている、といったザックリイメージで大丈夫です。
さて、ここからは、腎(腎臓・副腎・腎のエネルギー)をパワーアップ・活性化させる方法のお話しをします。」
「また、五臓の肝・心・脾・肺・腎に戻ります。
腎を助けるのは1つ前の肺なんです。
腎(腎臓・副腎)がある場所は、背中側の腰よりやや高い位置(みぞおちから背中へ回したあたり)にあって、背骨を挟んで左右に1つずつ存在します。
横隔膜のすぐ下、腹膜の背側(後腹膜)に位置して、大きさはこぶし大なんです。」
野崎はうつ伏せになった早苗さんの腰椎1番の骨の左右に両手をそっと置いた。
「腎臓はこのあたりにあります。それで、横隔膜のすぐ下というのが、ミソなんですよ。
ゆっくりとした深い腹式呼吸をすることによって、横隔膜が大きく動き、腎臓や副腎、その他の臓器がマッサージされるんです。」
「腹式呼吸は、5秒かけて鼻から息を吸って、5秒かけて口からゆっくり息を吐いてください。
これを基本として、慣れてきたら、それぞれの秒数を長くしてください。
吸った息で、おへその下を大きく膨らませることがポイントです。
じゃあ、ちょっと一緒にやってみましょう!」
早苗さんは寝ながら、深い腹式呼吸を数回繰り返した。
「そうです!
下腹も膨らんで良く出来ています!
これを昼間、気がついた時にいつでもやってください。この呼吸動作が習慣になってくると、夜、寝ている間も深い腹式呼吸が出来るようなって熟睡します。」
「そもそも赤ちゃんや子どもは腹式呼吸をしてるんです。
それが大人になってくると、ストレスとかで、胸式呼吸になって、酷いと呼吸を止めたりしています。
そうなると肺での酸素交換も少なくなり、血液の質が低下し、次第に腎が弱くなって、老化・オイルショックが始まります。」
「呼吸は武道やスポーツで重視されています。
早苗さんの世代だと、水戸黄門の入浴シーンに出てくる由美かおるさんやロングブレスダイエットの方とかご存知ですかね。
みなさん若々しくて、健康的ですよね〜。
さて、施術も説明も終わりましたよ。」
早苗さんはゆっくり立ち上がった。
「先生、今日はいろいろ丁寧にありがとうございました。
手のこわばりも少し楽になりました。
リウマチはあるけど、まだお店は続けたいから腹式呼吸がんばります!」
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます!
またお店に寄らせてください!」
会計を済ませた早苗さんはゆっくりした足どりで帰って行った。




