#6 膝関節痛の清子さん
雑色商店街のはずれにある、こもれび整体院。そこから徒歩5分の近所に小林清子さんの自宅があった。以前は腰痛・膝関節痛で整体院まで歩いて通院出来ていたが、高齢で入退院を繰り返しているうちに歩行困難になってしまった。
それでも、整体師野崎の治療を希望して、毎週水曜日午後は自宅での訪問施術を受けている。
野崎は、「あん摩指圧マッサージ師」の国家資格を取得している。この資格があると健康保険を使用した治療を行うことが出来る。往療費込みで一回当たり500円程度と自費でのマッサージより、かなり格安だ。ただし、主治医が書く「マッサージ同意書」という診断書のような書類が必要となる。
「こんにちは〜。マッサージに参りました〜。失礼します〜。」
と野崎は元気よく挨拶しながら、清子さんの部屋に入って行き、会話を続けた。
「体調はお変わりないですか〜?」
「おかげさまで、変わらないです。いつもありがとうございます。」
「じゃあ、いつものように脚からやっていきますね〜。」
野崎は施術しながら、清子さんのお話しを思い出した。
「私はね〜、満洲生まれなのよ。
父親はそこで通信局の局長をやっていてね〜。戦争が始まる前まで暮らしていたのよ。
満洲は鉄道があったり、沢山の学校や医科大学もあったりで、日本から大勢の来てたの。
あまり知られてないけど、スポーツが盛んなところでね、岡部平太先生という熱心な指導者がいて、満洲出身のオリンピック代表選手もいたくらいのなの。」
清子さんは懐かしそうに、目を細めた。
「そうそう、大きくて立派な陸上競技場があってね。全満の大会にも出たのよ。夏は陸上、冬は寒いところだったから、スケートをしてたわ。
スピードスケートが盛んだったけど、私はフィギュアスケートやってたの。
冬はとっても寒くてね〜、校庭に水を何回か撒くと、スケートリンクが出来たのよ。冬の遊びは、ほとんどスケートでね、いっぱい転んだけど、回転ジャンプやスピンとか出来るようになると楽しくてね〜、夢中になって練習したわよ。」
99歳になる清子さんは、少女のように微笑んだ。
「東京に来てからは明治神宮外苑のスケートリンクに通ってね〜、国体にも出たのよ。
選手を辞めると、大会の審判員や普段はコーチもしたの。
東京には神宮外苑の他にも、東伏見、東大和にもリンクがあって、そうそう西武園ゆうえんちにも行ってコーチしてたのよ。
子供を支えてたら、尻もちついてね。骨は丈夫だったけど、腰痛になってね。」
清子さんは苦笑いしていた。
「今のフィギュアスケートは、女子も男子も素晴らしい方が沢山いますよね〜。
戦前には、稲田悦子さんというフィギュアスケートの選手がいてね、冬のオリンピックにも出られたのよ。多分、フィギュアで最初の人じゃないかしら。稲田さんも現役を引退してからコーチになっているの。
稲田さんの教え子には、佐藤信夫さん、福原美和さん、上野純子さんという方々がいてね、それぞれがまた素敵な選手、コーチや審判員になったのよ。 佐藤さんは、佐野稔さん、佐藤有香さん、安藤美姫さん、荒川静香さん、村主章枝さん、小塚崇彦さん、浅田真央さんとっいた素晴らしい選手を育てたの。」
スポーツ好きの野崎でも昔のことは知らず、熱心に聴いた。
「フィギュアスケートは、リンクで加速してジャンプして、回転して硬い氷に着氷するでしょ。練習を重ねると足首、膝、腰を痛めるの。
私も、膝と腰を痛めてね〜。昔はトレーナーさんもいなかったし、ろくにケアも出来なかった。みなさんケガを抱えながら、練習してたわ。
私には重工に勤めていた兄がいてね〜。その兄は高齢になると介護が必要になったのよ。施設に入るの嫌がって、私がお世話したの。」
なんか話しが怪しくなってきた。
「私も高齢になってたから、老老介護ね。慣れない介護で、移乗とかで更に腰痛が酷くなってきて、それでもなんとか介護をがんばったのよ。
数年前に、兄を看取ってからはご縁があって、野崎先生にお世話になってます。」
「いえいえ、こちらこそ、いろいろお話しありがとうございます。
昔は、小さい子どもが今よりよく亡くなってたから、子だくさんの家族が多かったんですよね〜。農家だと、長男がだいたい家を継ぐから、あとの兄弟は職場を探しする必要があったんですよね。
日本じゃ農地も限られてるから、ブラジルやハワイに移民という話しを聴いたことがあります。
満洲は、日露戦争後の国策でもあったし、割と近いから移民も多かったそうです。
いろいろ大変な時代だったんですね〜。」
野崎は仰臥位になった清子さんの左膝を立てた。触診すると膝関節を構成する左大腿骨の内側上顆は大きくふくれ変形していた。変形性膝関節症だ。
骨自体は年齢の割に太く、丈夫そうだ。骨粗鬆症にはならないかも。おそらく長年の練習やコーチ活動により変形させたのだろう。正に、スケート人生だ。
両指で左膝関節裏側の膀胱経の委陽・委中にコンタクトした。裏側の靭帯はどれも硬かったが、特に内側の靭帯は硬結していた。変形もしており、人工膝関節手術をしていないのが不思議なくらいだ。
野崎は硬結を意識しながら、丁寧に時間を掛けて靭帯を緩めていった。
下腿の腓腹筋・ヒラメ筋・前脛骨筋・アキレス腱を施術して、足裏を指圧した。経穴以外も足裏のアーチを形成するようにコンタクトした。足裏も細かい靭帯が硬くなっていた。
そして、左足関節の可動域を確認した。スポーツをしていた割には、やや狭く、動きもあまり良くない。
今度は左足の指を一本ずつ動かした。小指は屈曲できなかった。スケート靴の影響か、歩行困難が原因か。そもそも、歩行という日常生活動作が少なくなっているからだろう。
「清子さん、少し膝を曲げますよ〜。」
と声を掛けて、ゆっくり左足を持ち上げてから、慎重に左膝を屈曲・伸展した。やはり、膝関節は深く屈曲できなかった。おそらく正座は出来ないだろう。
次に、屈曲位のまま、左股関節の可動域を確認した。動きは小さく、ロックしている感じだ。これでは歩行困難になる。何かに掴まってないと歩行は安定しないだろう。
「清子さん、次は左側を上にして、横向きになりますよ〜。」
寝返り動作は、割とスムーズだった。側臥位になり、腰の負担は少し楽になったようだ。
広背筋、脊柱起立筋、多裂筋、腰方形筋、それから股関節まわりの大・中・小臀筋、外旋六筋を丁寧に揉みほぐした。
「清子さん、お疲れ様です。終わりましたよ〜。腰の痛みはどうですか〜?」
「少し楽になりました。おかげさまで、ありがとうございます。」
「膝が良くなれば、腰も良くなりますからね〜。また来週、施術させてください。
今日はありがとうございました。失礼します。」
野崎は明るく挨拶して部屋を出て行った。




