#5 野球少年の蓮くん
こもれび整体院の野崎は午前の施術を終えて、遅めの昼食を軽めに食べると、ちょっとお昼寝する。そして、スクラブの上にパーカーを着て、愛犬モフモフちゃんのお散歩に出掛けるのが日課だ。
お散歩コースは自動車が多い街中を避けて多摩川の河川敷に出ることが多い。都会の中でも大きな空が広がる大好きな場所だ。スポーツ好きの野崎は多摩川緑地にある野球グランドに向かった。
この辺りは少年野球が盛んだ。習い事の一つでもあったりする。体力の向上やチームスポーツで礼儀・挨拶も身につくので、親御さんにも人気だ。
小学生はリトルリーグ、中学生になるとリトルシニアに上がる。リトルリーグは軟球だが、リトルシニアではプロ野球と同じ硬球を使用するので、より本格的になる。
チームによっては、ここから始めてプロに入ってから引退して監督になる方もいる。
野崎はリトルリーグの練習をぼんやり眺めていた。そばのモフモフちゃんも大人しく休憩している。
投球練習をしていた少年が、右肘をさすりながらコーチらしき人のところ歩いて行った。会話は聞き取れないが少年の表情から、どうやら右肘を痛めてしまったらしい。コーチは誰かと携帯電話で話し始めた。
そして、少年はベンチに座ってチームメートの練習を眺めはじめた。
ほどなくすると、やや険しい表情の中年女性が自転車に乗ってやって来た。どこかの制服姿である。
女性はコーチと話し始めた。どこかで見たことがある女性である。もやもやしていると、野崎は突然、声を上げた。
「あっ! パン屋さんのパートさんだ!」
いつもは付けてるエプロンを外していて、なかなか気が付かなかった。
少年と女性はグランドから出て話し混んでいた。野崎は二人に駆け寄って話し掛けた。
「突然、すみません!
商店街のパン屋さんの方ですよね。よくカレーパンを買いに行くんですよ。
さっきから練習を見ていて、心配になっちゃって。大丈夫ですか?」
「あっ、ありがとうございます。そうなんです。
突然、電話で呼ばれて、アタフタしちゃて。
息子の右肘がちょっと痛むそうなんです。」
母親は不安そうにして眉を寄せた。
「心配ですよね。」
「そうなのよ。大会も近くなってきたし、この子、出るの楽しみにしてたから。。。」
「オレは雑色商店街でこもれび整体院をやってる野崎と申します。オレも小さい頃はここいら辺でリトルリーグやってたんですよ。
もしよろしかったら、息子さんを診させてください。」
「あらっ、私はいいけど、蓮どうする?」
蓮くんは野崎の顔をジッと見つめると、礼儀正しく応えた。
「先生! よろしくお願いします!」
母親は少し安心した表情で話した。
「じゃあ、先生、突然ですみませんが、蓮をお願いします。」
「蓮、治療が終わったら、パン屋さんに寄ってね。」
そう伝えると、母親は自転車に乗って職場に急いで戻って行った。
蓮くんはコーチに挨拶してから、野崎と並んで歩き始めた。モフモフちゃんの足どりも軽い。
「蓮くん、バックを持つよ。」
「ありがとうございます!
先生はどこのチームでやってたんですか?」
「今はもうなくなっちゃったけど、ウイングスというチームだったんだ。ピッチャーをやってたんだ。」
「球は早かったの?」
「まあまあ早かったよ。だけど、変化球が苦手でね。」
蓮くんの質問は続いた。
「いつ頃から始めたの?」
「オレは小3のころからなんだよ。兄貴が元々やってて、練習とか試合を見ているうちに、オレもやりたくなって、チームに入ったんだよ。
蓮くんも同じだと思うけど、はじめはキャッチボールしたり、素振りしたりね〜。
あ〜、懐かしいなあ〜。
ティーバッティングは置いてあるボールだから、優しくてね、夢中になったよ。
他にも、外野を守ってて、ライナー性のフライをバシッと捕球出来るとメチャメチャ嬉しかったよ!」
「そんな感じで、練習や試合が楽しくなって続けてね〜。五年生になったら、ピッチャーをやるようになったんだよ。
大会も出て、なかなかのところまで行ったんだよ。
中学になると、リトルシニアになって転校生がチームに入ってきてな。そいつとバッテリーを組んだんだ。そいつとは、今でも付き合いがあって、もう長くなるな〜。」
野崎は自分の話しを更に続けた。
「中学生になると背が伸びて、体は大きくなるし、球も早くなったよ。130キロくらいだったかな。フォーシームが得意でな。打者のあたりで球威が増すんだよ。三振をたくさん取ったよ。
まあ、半分はキャッチャーのリードのおかげだけどな。」
野崎はそう言って笑いながら、投球モーションのように軽く腕を振った。
明るく話していたが、トーンは少し陰った。
「中3にもなると、大きな大会や高校進学もあって、練習は厳しくなっていったんだ。
オレの勝負球はストレートだったし、それに磨きをかけるために、投げ込みも多くなった。
もちろん、コーチも見てくれてたけど、オレの性格からか、練習しすぎて、肩を痛めてしまったんだ。。。
今から思えば、全身の使い方が悪かったんだろうな。」
蓮くんは集中して真剣に聴いていた。
「中3の夏にチームから遠ざかってな。右肩は日常生活を送る分には問題なかったけど、他のスポーツをやるほどには良くなくてね。。。
高校は地元の普通の学校に通って、好きだった音楽をやったり、それなりに楽しかったよ。
それから、スポーツトレーナーとかスポーツ関連で経験を活かせそうな地元、雑色のマッサージの専門学校に入学したんだ。そこは、整体を教えてくれる伝統ある学校でな。ちょっと変わってて、楽しかったよ。
それから、あんま指圧マッサージ師という国家資格を取って、卒業してから雑色商店街に開業したんだ。」
そんな話しをしているうちに、こもれび整体院が見えてきた。
店内に入ると、
「いらっしゃいませ〜。」
ナース服姿の真由美さんが明るく声を掛けてきた。胸元が見えるほぼコスプレ仕様だ。男の子には刺激的で、スカートも短く、露出が多いのに清潔感があるのが不思議だ。コスプレが趣味なのか。
「おっ、野球の練習帰りかな?」
蓮くんは、視線を泳がせていた。
「商店街のパン屋さんで働いてるパートさんの息子さんの蓮くんだよ。
河川敷のグランドで知り合ってな。右肘を痛めるんだよ。」
モフモフちゃんは、そばでマイペースで水を飲んでいた。
「蓮くん、ちょっと準備してくるから、それまで、小上がりに腰掛けて待っててね。」
蓮くんは、やや緊張して座った。
着替え、手洗い、うがいを済ませて、野崎は戻ってきた。
「じゃあ、始めるよ。
まずは、右腕の状態を診させてね。」
右手首関節の可動域と動きを調べた。ここは問題無さそうだ。
「次に右肘を曲げ伸ばしするけど、痛みが出たら教えてね。」
そう告げると、ゆっくり伸ばしてからゆっくり屈曲した。その時、顔をしかめた。
「ごめん、ごめん、痛かったね。もう肘は動かさないからね。今度は肩関節を調べるよ。」
野崎は手首と肘を持って、右腕を動かした。挙上もスムーズに動き、ここも問題無さそうだ。
「右腕の状態は、だいたい分かったよ。
ごめん。ちょっと電話してくるね。すぐ戻るからね。」
そう言いって、野崎はその場を離れた。
戻ってくると、嬉しそうに話しかけた。
「じゃぁ、治療していくよ。痛くはないからね。マットの上にうつ伏せになってね。」
首肩から背中、腰部の筋肉の状態を調べながら、優しく揉みほぐした。小学生にしては、やや硬く疲労もあるようだ。刺激が強すぎないよう、圧に注意した。
仰向けになってもらい、足の調整を始めた。股関節と膝関節は問題なかったが、足裏の足底腱膜が硬く、足の指がうまく使えてないようだった。全身状態の原因は、ここにありそうだ。
足裏を揉みほぐしてから足の指を一本一本丁寧に緩めた。
そこへ、ケーシー白衣の男が店内に入って来た。
「こんにちは〜。」
さわやかに挨拶した。
「おお〜、ケンケン! 急に来てもらって、ありがとう!」
野崎は蓮くんに説明しだした。
「ケンケンは、高見沢健司さんと言ってな。さっき話した中学生の時、バッテリーを組んでたやつなんだよ〜。今は訪問の鍼灸マッサージ師をしてるんだ。
今日は、二人の先生で豪華版だぞ〜。」
野崎はケンケンに蓮くんの状態を説明した。全身調整が終わったので、ケンケンに治療を引き継いだ。
「改めてまして、蓮くん、こんにちは。
ちょっと腕の状態、診させてね。」
そう言ってから、手関節、肘関節、肩関節の経穴、それから、筋肉、靭帯を触診した。
「肘の靭帯を痛める感じだね。針を使うけど、痛くないからね。針は即効性があって、スポーツ選手はよく使うんだよ。
特にラケットを持つテニスや卓球、クラブを持つゴルフとか、それからバットを持つ野球もね。ピッチャーはボールを握って変化球を投げるから肘の負担は大きくなるんだ。」
ケンケンは説明しながら、素早く数本針を刺した。もちろん、痛みは無さそうだ。
「靭帯を細かく損傷している症状だから、一週間もすれば痛みも無くなり、二週間もすれば、ちょっとずつ練習も出来るようになるよ。
ただし、体の使い方が今のままだと再発する可能性があるから、そこは野崎先生からアドバイスや指導を受けてな。」
置き針も終わったところで、ケンケンは針を抜いた。
「蓮くん、痛みはどうかな?」
「先生、スゴイ! 痛みが小さくなった!
ありがとうございます!」
蓮くんの顔は、パッと明るく輝いた。
「しばらくは、肘をあまり動かさないように安静にな。」
そう注意して、ケンケンは野崎に軽く手を挙げて足早に店を出て行った。
野崎は背中を見ながら、
「ケンケン、ありがとう!」
と声を掛けた。
「あ〜、良かった!
ちょうど、訪問の間が空いてたんで、来てもらったんだよ。右腕はケンケンの話しの通りで、ちょっと安静にな。それから、足の指がうまく使えてないみたいだね。それと、右肘に負担が掛からない投球フォームする必要があるよ。
山本由伸投手のように、全身のバネを上手に使ったフォームが理想かもな。
今日はこれで終わりにして、よかったらまた来てな。」
「先生、今日はありがとうございました!
痛みも体も軽くなって、安心しました!
これから、母さんのパン屋に行って来ます。
先生の野球の話しも聴きたいし、試合も見に来てください。また来ます!」
そう言って、元気にお店を出て行った。




