#3 土木工事の藤波さん
田園調布。
関西で言う六麓荘ほどではないが、高級住宅地で知られるこの街も雑色商店街と同じ東京都大田区だ。
昭和世代にとっては、星セント・ルイスさんの「田園調布に家が建つ!」が懐かしい。
最近はより便利な港区あたりの都心のマンションが人気らしいが、東急東横線、田園調布駅から坂道を放射状に広がる街並みはソメイヨシノが美しく、100年以上続くこの住宅地は、今では東京の中でも、ひときわ伝統的で落ち着いた空間になっている。
ここから数ブロック離れた道路で藤波良司は、夜間工事をしていた。
幹線道路であるため交通量が多く、昼間の工事は出来なかった。公道を工事するには道路に規制をかけるので、事前に所轄の警察署にA4サイズの「道路使用許可申請書」を2部提出しなければならない。
その記載内容は、
申請者ー藤波良司
道路使用の目的ー雨水本管接続工事
場所又は区間ー東京都大田区◯◯◯
期間ー令和◯年◯月◯日◯時から令和◯年◯月◯日◯時まで
方法又は形態ー片側交互通行
添付書類ー住宅地図、工事図面
現場責任者ー氏名 藤波良司
住所 東京都大田区◯◯◯
電話番号 ◯◯◯ー◯◯◯◯ー◯◯◯
◯
等である。
申請書を申し込むと、一週間ぐらいで許可がおりるので、再び警察署におもむく。2部の内、1部は警察保管用で、もう1部を大切に受け取る。
準備は他にもある。地下埋設物の確認だ。雨水管、下水管、水道管、ガス管、電線、電話線、等々である。それぞれの事務所を訪れ、全て図面で確認する。
工事の材料、車両、人員、照明器具のレンタル、バックホーなどの建設機械、それから、交通規制用のガードマン、等々の手配も必要だ。
また、工事箇所の近隣住宅へ、工事のお知らせの配布もしなければならない。
今回は中規模マンション工事の敷地内から幹線道路にある雨水本管までの雨水管を接続する工事である。そのマンション工事で行う現場事務所での定例会議の出席や、施工日時や工法の打ち合わせも間に入ってくる。
現場監督は、現場作業だけではない、むしろこららの準備作業の時間が多い。書類や各種発注作業はパソコンである。まだ30代前半とはいえ、目、肩、腰の疲労が蓄積していた。
現場監督(現場責任者)である藤波は、これらの準備を踏まえて、当日夜の工事現場に徹夜で臨んでいた。
作業員がそろったので、作業内容・作業手順や安全注意事項について確認ミーティングをした。
少し寒く眠気もあったが、幹線道路の夜間工事である。頭のタオルをキツめに縛り、気合いを入れ、ヘルメットをかぶり直した。
照明を照らし、ガードマンに配置についてもらい、片側交互通行の車両規制を開始した。そして、比較的交通量が少ない道路にカラーコーンを並べた。
事前に工事前の写真は撮影済みだ。道路のアスファルトは昼間にカッターで切ってあった。
ようやく掘削開始だ。アスファルト舗装をめくりダンプトラックに積み上げる。そして、砕石層をバックホーで掘削していく。
ここまでは、問題ない。問題はこれからである。水道管やガス管などの地下埋設物が、図面どおりに埋設されていないことが多々ある。図面は、あくまでも参考程度にしかならない。。。
水道管、ガス管、電線、いづれも重要なライフラインである。破損は即、地域の重大障害事故となる。それだけは、何としても避けなければならない。
従ってここからは、手掘りとバックホーの併用掘削となる。藤波は現場監督として掘削状況写真を撮りつつ、作業員に埋設物の注意を促した。
ここで重要になってくるのが、地元地域の設備会社とベテラン土木作業員さんである。彼らは地域の地下埋設物を長年の工事経験から熟知している。危険な深さや場所になると、地中に潜り込み、手掘りで掘削していく。そして、ガス管などを見つけ出し(管の上には、注意喚起するテープが敷設している場合もある)、安全を確認すると再びバックホーで掘削する。
3.0mほど掘削したところで、雨水本管が姿を現した。無事、ガス管などの地下埋設物を損傷せずに、ここまで来れたことに藤波は少し安心した。
しかし、まだ危険は残っている。土砂崩れである。それを防止するために掘削箇所の両側に土留め用の鋼矢板を設置する。鋼鉄の壁を作り、作業員さんが安全に雨水管接続作業することが可能になる。
ベテラン作業員さんが雨水本管に穴を開けて、塩ビ管を接続した。そして、接続部分を固めた。
藤波はその接続状況の写真を撮るために、地中に降りた。アップ写真用に屈んだその時に、突然ピリッとした痛みを腰に感じた。
「痛っ!」
思わず声が出た。
この状況で腰に来るとは。。。
幸いにも、我慢出来る痛みだったので冷や汗をかきながら、なんとか一人で地上に這い上がった。
工事は鋼矢板を外して埋め戻し工程に入った。藤波はやや前屈みになり、ジンジンする腰の痛みを堪えながら、埋め戻し土の十分な転圧を作業員に指示した。また、ガス管などの埋設物にも注意させた。
路床の計測出来形を撮影し、砕石を敷き慣らした。また転圧して路盤の計測出来形を撮影した。それから、2層のアスファルトを舗装して、周囲を清掃してから工事の施工後の写真を撮影した。
カラーコーンを回収して照明器具を片付けてから工事完了のお礼を作業員さんに伝えた。そして、工事車両は現場から離れて行った。
藤波は痛みが続く腰をかばいながら、ガードマンのとろこまで行き、交通規制解除のお願いとお礼を言った。
工事は無事完了した。達成感はあった。しかし、ギックリ腰のような痛みを思うと少し憂鬱になった。空腹も感じたが、それよりも帰宅して早く横になりたかった。
ジンジンする腰をなだめながら運転して、遅い深夜に帰宅した。シャワーを浴びてベッドに、そーっと横向きに潜り込んだ。疲れは限界まで来ていて、グワングワンと耳鳴りがしてきたが、そのまま気絶するように眠った。
翌朝、遅めに起床するとまだ腰に痛みがあった。家にある痛み止めの鎮痛剤を飲んだ。そして、奥さんに相談すると、心配そうに腰用のサポーターを貸してくれた。そして、こもれび整体院に予約を取ってくれた。会社には工事完了と腰の状態を電話し、休みをもらった。
予約は午後だ。またベッドに横になった。
整体院がある雑色には車で行った。コインパーキングに駐車すると、商店街を小さな歩幅でゆっくり歩き、整体院にたどり着いた。
店内に入ると、やや大きな白い犬が立ち上がったが、また眠そうに丸くなった。
看護婦姿の受付女性が優しく声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。ご予約の藤波さんですね。腰、つらそうですね。こちらに横になって、楽にしててくださいね。」
どう見てもコスプレな姿に驚いたが、すぐに腰の痛みに意識が向かった。
藤波は小上がりにゆっくり上がって、腰のサポーターをベリベリと音を出しながら外し、横向けになって待っていた。
ほどなくして、整体師の野崎も上がってきて、バスタオルを掛けながら挨拶をした。
「はじめまして。整体師の野崎と申します。よろしくお願いします。」
「藤波です。昨夜、急に腰にピリッとした痛みが出て、まだジンジン痛いんです。よろしくお願いします。」
「昨夜どんな状況で痛みが出たんですか?」
藤波は夜間工事での発生時の様子や仕事の内容などを説明した。
「現場監督をされているですね。朝早くから遅い時間まで大変なお仕事なんですよね。親類に監督をしている方がいまして、お話しを聴いたことがあるんです。」
野崎は話しをしながら、背中から両下肢にかけて揉みほぐした。
「股関節の周囲からアキレス腱のあたりまで硬いですね〜。痛みが出たのは、腰の下のここのあたりでしょうか?」
と言って、野崎は仙骨に手を添えた。
「そうです。そこら辺です。」
「分かりました。ありがとうございます。典型的なギックリ腰で、軽めのヤツですね。
骨盤は仙骨と腸骨で構成されまして、そこに仙腸関節というのがあるんです。それと腰椎と仙骨の間に腰仙関節というのもあります。今、手で触っているあたりです。
ギックリ腰の原因は、筋肉、靭帯、関節、筋膜が複合的に考えられますが、藤波さんの場合、仙腸関節と腰仙関節の靭帯の損傷と思われます。」
藤波は神妙な面持ちで説明を聴いていた。
「靭帯というのは筋肉と骨をつないでいるゴムみたいな組織なんですよ。野球選手の肘の靭帯とか、
お相撲さんがよく怪我をする膝十字靭帯とかがイメージしやすいかな。
若いうちは柔軟性があって、しなやかなんだけど、高齢になったり、強い負荷がかかるとゴムみたいな組織が損傷したり炎症したりするんです。そして、痛みが発生します。」
野崎は更に説明を続けた。
「藤波さんの場合、日々のパソコンでのデスクワークや長時間勤務での疲労の蓄積、そして夜間での冷えもあって腰の下部の靭帯がちょっと損傷して痛みが出たと思われます。」
野崎は左手を藤波の後頭部の下部に、右手を腹部の関元穴に当てて目を閉じて静かに呼吸をはじめた。
数分たった後、右手を督脈の腰陽関に添えて、また説明を続けた。
「今回は軽めギックリ腰で良かったです。酷くなると立って歩けないし、寝返りしても痛いし、大変なんですよ。
痛みはまだありますが、徐々に引いていきますので、今日は安静になさってください。
それから、藤波さんの身体状況としては、猫背ぎみになってます。それに伴って腹部のチカラが弱く、腰の状態もあまり良くないです。
もしよろしかったら、この機会に数回通っていただいて、症状改善のサポートをさせてください。
本日は痛みがある中、ありがとうございました。お大事どうぞ。」
藤波は座った状態からゆっくりした動作で立ち上がった。
「痛みはどうですか?」
「痛みはまだあるけど、だいぶ楽になりました。ありがとうございます!」
無精ヒゲの明るい笑顔で応えた。
歩き方は通常に近くなり、野崎は安心した。
会計と次回の予約をしていると、白い犬はしっぽを振りながら藤波にすり寄ってきた。ほほを緩ませながら犬の頭を優しく撫でて、帰って行った。




