交渉
「うちの商会で働きたい上に、住処まで提供しろと?」
「そうなの! お願い!」
マルティナ夫人は部屋を見渡したあと、「このような部屋など用意できないぞ」と言ってくる。
「部屋には寝台があればいいわ。贅沢な暮らしは望んでいないの」
寒ければ〝地獄の炎〟を使って温めたらいい話なのである。
「仕事はなんでもする。だからお願い!」
頭を深々と下げ、マルティナ夫人に乞う。
「ここを出て行きたいようだが、理由について聞かせてもらえるだろうか?」
ヒルディスを殺してしまうかもしれないから、なんて言えない。
だが、マルティナ夫人に適当な嘘など通用しないのだろう。
ここは本当のことを言うしかない。
「命の危機なの!!」
わたしではなく、ヒルディスの。
嘘は言っていない、嘘は。
マルティナ夫人は驚愕の表情でわたしを見つめていた。
「いったい誰が、命を狙っているというのか?」
「それがわからないの。だから不気味で」
「どういうふうに狙われているのだ?」
「手紙で届いた魔法なの。いつ発動するのかもわからなくて……」
その魔法も消えてなくなり、証拠はない。
ここまで主語を入れず、上手い具合に話すことができた。
マルティナ夫人は疑うことなく、すっかり信じている模様。
「魔法に詳しい知人なんていないし、わたしに無関心な母に相談しても適当にはぐらかされるだけなの。だから、頼れる人がいなくて」
「なるほど。そう、だったのだな」
そんなの知るか! と言われてもおかしくない状況だったが、マルティナ夫人は思いのほか同情するような態度を見せてくれた。
ただ、子どもであるわたしを引き取って働かせるというのは難しいことでもあるらしい。
「お前の母君はともかく、シュヴァーベン公爵が納得するか」
「お父様は大丈夫。お母様以上にわたしに興味がないから」
この家でわたしを大事に思う人なんて、一人としていない。そう訴える。
それでもマルティナ夫人は難色を示していた。
「もしも受け入れてくれるのであれば、宝飾品を買い取った金額の半分をあげてもいいわ」
この条件を口にした瞬間、マルティナ夫人の片眉がピンと跳ね上がる。
「わたし、お母様のお手紙の仕分けと代筆をしていたの。字も上手いって評判だから、お手伝いがいろいろできるわ」
サンプルとして、わたしが書き損じて捨てようと思っていた手紙をマルティナ夫人に見せる。
「たしかに、大人が書いたような丁寧な文字だな」
「そうでしょう?」
マルティナ夫人は眉間に皺を寄せ、しばし考えるような仕草を取る。
わたしはひたすら神に祈ることしかできなかった。
ドキドキしながら待つこと数分、マルティナ夫人はこの場で判断を下してくれた。
「わかった。ならばお前の後見人となって、うちの商会で面倒を見よう」
「本当に!?」
「ああ、嘘は言わない」
ただし、母かシュヴァーベン公爵、どちらかの反対があればこの計画は頓挫するという。
「それでいいのならば、準備を進めよう」
「ええ、お願い!」
そんなわけでマルティナ夫人を巻き込む形で、わたしの独立計画が始まったのだった。
◇◇◇
マルティナ夫人から申し出があるよりも先に、母に相談しにいく。
独立し、マルティナ夫人に後見人を務めてもらうつもりだと話と母は「ふうん」と言葉を返した。
思っていたとおりの、あっさりした反応である。
「えーっと、その、反対とかしないの?」
「しないわよ。この暮らしだってずっと続けられるとは思っていないし」
母は一応、愛人の立場は永遠ではないとわかっていたらしい。
「いつかあなたのことを手放さないといけない、って思っていたわ」
金持ちのおじさんに嫁がせるか、母と同じように誰かの愛人になるか――母なりにわたしの将来について考えていたとか。
「どっちも最悪なんだけれど」
「蛙の子は蛙なのよ。王子様が迎えにやってくるわけないんだから」
「それはわかっているわよ」
わたしが母の子でなければ、もっとマシな人生を送っていたはず。
どうあがいても、母の娘であるという事実は覆らないのだ。
別に、誰もが羨むような人生なんて夢みていない。
毎日仕事をして、食事をして、暖かい寝床で眠る。
そしてそこそこ長生きできたら、それ以上は望まない。
ふと、脳裏にレンと大精霊ボルゾイの姿がちらつく。
ぶんぶんと首を横に振って頭の隅に追いやった。
「あなたもあなたなりに、いろいろ考えてるのね」
「そうよ」
「わかった。頑張って、幸せにおなりなさい」
母は反対しないようで、わかっていたもののひとまず安堵する。
それから三日後にマルティナ夫人からシュヴァーベン公爵宛てに手紙が届いたようだ。
母を通じて知らされる。
シュヴァーベン公爵はあっさりマルティナ夫人の要望に応じ、わたしの後見人になることを許してくれた。
ここで思いがけない事態になる。
シュヴァーベン公爵はわたしに持参金を持たせてくれるらしい。
その額、金貨百枚。
結婚するときになったら、持っていくようにと言っていたようだ。
シュヴァーベン公爵夫人がしぶしぶとした様子で小切手を渡しにきたのだ。
「ちなみにこの持参金は、ヒルディスの十分の一以下の金額ですからね」
「そうなの」
ヒルディスの持参金の、十分の一以下の金額でも構わない。
貰えるとは思っていなかったものだ。ありがたくいただこう。
それにしても、よくシュヴァーベン公爵夫人が悪評高いエドウィン・フェレライの商会へ身を寄せることを許してくれたものだ、と思う。
きっとわたしのことをずっと邪魔に思っていたに違いない。
「これからあなたはシュヴァーベン公爵家とは無関係な人間になります。何かあっても、安易に頼らないように」
「わかっているわ」
シュヴァーベン公爵夫人からしっかりぐっさり釘を刺された。
ただ、小言はそれ以上続かず、あっさり終わった。
きっとヒルディスの大ミサが近いので、忙しいというのもあるのだろう。
そんなわけで、わたしは問題なくこの屋敷を出ることができるようだ。




