短剣
ばくんばくんと高鳴る胸を押さえつつ、もう片方の手はしっかりレンを掴んで走った。 なんとか部屋まで連れてくることができたのである。
扉を閉め、鍵までかけた。
はあ、はあと荒い呼吸を整えてから振り返る。
レンはびっくりした表情でわたしを見ていた。
無理もない。
ヒルディスの殺害を命じるような手紙をわたしが持っていたのだから。
誤魔化すことなんてできないだろう。
レンは怯えた表情を浮かべつつ、震える声で話しかけてきた。
「あの、誰にも言いません。本当です」
きっと彼は言葉の通り、誰かに口外することなんてないのだろう。
だが、この先一生、わたしはレンから疑いの目で見られるのだ。
関わらないと決めていたけれど、軽蔑されるのはごめんだ。
こうなったら信じてくれるかわからないが、素直に打ち明けよう。
「そこの長椅子に座って」
「はい」
紅茶でも振る舞ってあげたいところだが、メイドを呼ぶ余裕なんてない。
一刻も早くレンに事情を打ち明け、帰っていただかなくては。
握りしめてぐしゃぐしゃになった便せんを広げ、レンに示しながら説明をし始める。
「これは、お母様の部屋にあった、宛名も、差出人も不明の手紙だったの」
「そう、だったのですか?」
「ええ。わたしはお母様の手紙を仕分ける仕事を手伝っていて、見つけてしまったのよ」
こんなもの、母に報告しても「不気味ね」とか言って見なかった振りをするだろう。
シュヴァーベン公爵に相談するなんてことはしないはず。
それくらい、他人に対して無関心なのだ。
「お母様に報告しても意味ないし、これをシュヴァーベン公爵夫人が発見でもしたら母が容疑者として追放されてしまう。だから、隠すほうがいいって思ったの。それで、急いで部屋に戻ろうとしているときに、あなたにぶつかってしまったのよ」
「そう、だったのですね」
「ごめんなさい。信じられない話かもしれないけれど」
「いいえ、信じます」
レンはまっすぐな瞳を向けて言った。
「どうしてそんなに簡単に信じるのよ」
「嘘を言おうとしている人は、だいたい挙動でわかりますので」
目が泳いでいたり、笑みがぎこちなかったり、声が震えていたり。
そういった些細な言動の変化で嘘を吐いているか否か、レンはわかるという。
「あなた、すごいのね」
「そんなことありません。他人の顔色を気にしながら生きてきただけですので」
十二歳にしては達観している。
確実に、六度も人生を繰り返してきたわたしよりも賢く生きているのだろう。
「それにしても、いったいどなたがヒルディス様の命を狙っているのか……」
「彼女を亡き者にして得をする人なんて、思いつかないんだけれど」
ヒルディスは多くの人々から信仰を集め、大聖女として立派に振る舞っていた。
恨みを買うような行為なんて、もちろんしていないだろう。
「まあしかし、すべての人から愛される人はいないと思いますので」
「そうかもしれないけれど」
ヒルディスだけは、神にすらも愛される絶対的、唯一無二の存在である。
そんな彼女を殺そうと殺意を抱く人がいるなんて驚きだった。
わからないものを考えても無駄だろう。
レンには解散を言い渡す。
「話は以上よ」
「はい」
レンは立ち上がるとぺこりと会釈する。
鍵を開けて扉を開くと、レンは「ではまた」と言って去って行った。
「また、か」
もう彼と話す機会なんてないだろう。
このときはそう思っていた。
◇◇◇
いろいろありすぎて疲れた。
お風呂にゆっくり浸かり、母が愛用している薔薇の入浴剤を数滴垂らしてリラックスする。
お風呂から上がろうとしたとき、左目に違和感を覚えた。
「何これ、熱い……!」
お風呂に浸かりすぎてしまったのか。
それとも母の入浴剤が目に悪影響を及ぼしたのか。
急いでお風呂から上がり、体を拭いてから鏡を覗き込む。
「なっ――!?」
左目に魔法陣が浮かび上がってギョッとする。
「これは……手紙に入っていたカードの魔法陣だわ!」
血に濡れたような短剣が出てきて、わたしの目の前で消えたのだ。
瞬きをした瞬間、鏡には真っ赤な文字が浮かび上がった。
「な、なんなの!?」
〝ブラッティ・ナイフ――この短剣を使ってターゲットの名前を書くと、その人物を前にしたときに無作為で自動殺害を行う〟
まさかの効果に絶句する。
ヒルディスを確実に殺すための、呪いのような魔法だった。
「嘘でしょう……?」
うっかりヒルディスの前に出たら最後。
魔法が発動し、ブラッティ・ナイフが彼女の心臓を射貫くのだろう。
その場に蹲り、頭を抱える。
ただ生き延びて、平和に暮らしたいだけなのに、どうしてこうなったのか。
早くここを出ないと、わたしはうっかりヒルディスを殺してしまうだろう。
ただ、十歳の身で独立することは難しい。
どうすればいいのだろうか。
不安で胸がはち切れそうだ。
こんなとき、大精霊ボルゾイがいたらわたしを励ましてくれたのに。
「どうしてこんなときにいないのよ」
守護獣だというのに、てんで役に立たない。
何はともあれどうにかしなくては。




