お願い
まずはヒルディスの取り巻きになりたい、という希望を出さなくては。
前回、母を通じてお願いごとを頼んだら、シュヴァーベン公爵に伝わってしまい、シュヴァーベン公爵夫人の反感をこれでもかと買ってしまった。
きっと母に相談しても興味なんてないと思うので、交渉はわたしが直接やろう。
ただ、かといってシュヴァーベン公爵夫人に言うとヒルディスは面白くないかもしれない。
「というわけで、ヒルディスと話をしてみるわ!」
『それがよいかと』
さっそくメイドを通じてヒルディスとお茶を飲む時間を作ってもらう。
ヒルディスは大聖女になるための勉学で忙しいのに、午後には時間を作ってくれた。
指定された部屋に行くと、ヒルディスからブリザードのような眼差しを向けられた。
「あ、あの、ごめんなさいね、忙しいのに」
「どういう風の吹き回しなのでしょう?」
「たまには、こういうのもいいと思って」
「十年間、一度もまともに接触しないでおいて、たまにはとはどういうことでしょうか?」
ヒルディスの言う通り過ぎて、ぐうの音も出ない。
「ごめんなさい、実はお願いがあって」
こういうときは遠回しな物言いをせず、素直に打ち明けたほうがいいのだろう。
「どうぞ、座ってください」
「ありがとう」
大人になったヒルディスは天真爛漫、というイメージだったが、子ども時代の彼女は落ち着いていて油断ならない雰囲気である。
きっと大聖女を目指す中で、皆が持つ大聖女のイメージに近い性格に変えていったのだろう。彼女なりの処世術だったに違いない。
テーブルにはメイドが用意した紅茶とお菓子が置かれていた。
三度目の人生で最後にシュヴァーベン公爵邸で口にしたものが、マルティナ夫人の祝福〝猛毒の聖杯〟が混入された猛毒入りの飲料だったのだ。
母が苦しむ様子を思い出してしまい、なかなか手を伸ばせないでいると、ヒルディスが不思議そうに見ていることに気付く。
お茶会に誘っておいて、この態度はないと思っているのか。
わたしには毒は効かない。盛られていたとしても、死ぬことはないのだ。
そう言い聞かせ、ティーカップを手に取りいただく。
「おいしいわ!」
それは心からの言葉だったが、ヒルディスは紅茶の感想にはこれっぽっちも興味なんてないのだろう。
このままだらだら過ごすのも居心地が悪くなる一方だと思い、すぐに本題へと移った。
「それで、お願いなんだけれど」
あなたの取り巻きになりたいの。なんてストレートに言ったら変な目で見られるだろう。
別の言い方にしてみた。
「今後、大聖女になるあなたを支えたいと思っているの。それで、傍に置いてほしくて」
「なんですって?」
「だから、ヒルディス、あなたの助けになりたいのよ」
ヒルディスは殺人現場でも目撃したような顔でわたしを見てくる。
そんな変なことは言っていないはずだが。
「あなた、どうかしたのですか? 熱でもあるようでしたら、医者を呼びますが」
「熱はないわ! 正気よ!」
生を受けてから十年もの間、ヒルディスを避けるように生きてきた弊害が出てしまった。
もっと彼女に対して愛想よくしていれば、と心の中で頭を抱える。
母がヒルディスなんて気にしなくていい、と言っていたのをそのまま信じていたのである。
「ならばどうして、突然そのようなことを言い出したのですか?」
「将来が、不安になって……」
これは本音である。
ヒルディスの取り巻きになって無害であるとアピールしておかないと、シュヴァーベン公爵夫人の反感を買い、 場合によっては殺されてしまうのだ。
シュヴァーベン公爵夫人の〝武器錬金術〟で死ぬことはないが、子どもであるわたしを手にかける方法なんていくつもある。
依然として、油断できない状況なのだ。
「どうして不安に思うのですか? あなた方母子の暮らしは、お父様のおかげで不自由なく営まれているでしょうに」
「そうなの。でも、メイド達が話しているのを聞いてしまったのよ。わたしみたいな愛人の娘はいずれ惨めな人生を送ることになる、調子に乗るのも今のうちだって」
この噂についても本当である。
一度目の人生で耳にしたときは、負け惜しみを言っているのだ、なんて思っていた。
けれどもメイド達が言っていたように、わたしの人生は惨めで目も当てられないような結末となったのだ。
今は彼女達の言葉を無視できない。
惨めな人生なんて、二度と送りたくないから。
「ヒルディス、わたしはあなたに仕えて、いずれは大聖堂で修道女として奉仕活動したいの」
「あなたが、修道女に?」
「ええ。あなたの傍において働きを見て、認めてくれたら、修道女として推薦してほしいのよ」
「将来的に、ここを出て行くつもりなのですか?」
「そうよ」
可能であるならば、今すぐにでも出て行きたい。
けれどもある程度、ヒルディスやシュヴァーベン公爵夫人が身柄を保証してくれたら、大聖堂で酷い目に遭わないだろう。
だからここでの頑張りが重要になるのだ。
「お願い、ヒルディス!! 頑張るから!!」
必死になって訴え、頭を下げていたら、ヒルディスが「わかりました」と言ってくれた。
「今日からわたくしのお付きとしてやってくる者がいますので、そのお方と一緒にいろいろ学んでください。もしも変なことを考えていたり、おかしな行動を見せていたりした場合は、役目から降ろしますので」
「ヒルディス、ありがとう!!」
もっと食い下がってお願いしなければならないのか、と考えていたのだが、ヒルディスはあっさり許可を出してくれた。
寛大な彼女に、感謝したのは言うまでもない。
◇◇◇
そんなわけで、わたしはヒルディスの取り巻き見習いとして傍にいることを許された。
正式な取り巻きになるには、ある程度の行儀見習いをクリアしないといけないらしい。
ヒルディスは簡単な淑女のレッスンだと話していた。
いったい何をするのか。ドキドキしながら当日を迎える。
一緒に習うという取り巻き見習いの子とは仲よくなれるだろうか。
まあ、エマ以外だったらなんとか打ち解けられるだろうが。
エマとは五度目の人生ではまだ出会っていないものの、きっと今日もヒルディスの傍でいばっているに違いない。彼女はそうでなくてはと思ってしまう。
四度目の人生での悲劇的な結末を知っているので、生きているエマに会えたら感激してしまうかもしれない。
変な奴だと思われないように、落ち着いておかなくてはならないのだろうが。
メイドの案内で、淑女レッスンが行われる部屋に向かった。そこで待っていたのは、初めて目にする修道女。
それから女装したレンの姿だった。
「――っ!!」
驚くあまり、レンに抱きつきそうになった。
けれども今日は初対面なので、奥歯をぎゅっと噛みしめて耐える。
まさか一緒にレッスンを受けるのがレンだったなんて。
「あなたが新しくヒルディス様の傍付きになる、ヴィオラ嬢でしょうか?」
「ええ、そうよ」
そんな返事をした瞬間、言葉遣いを注意される。
「なんて生意気な物言いなのでしょう! もっと丁寧に、優雅に話をなさい」
「わかった……ではなくて、わかりました」
指導するのは、四十代くらいの厳しそうな雰囲気が漂う修道女だった。
名前をシスター・ダニエラというらしい。
用意された席に着くと、隣に座るレンに挨拶する。
「初めまして、わたし、ヴィオラ――」
「私語を許した覚えはありません!!」
わたしが怒られることにより、レンが申し訳なさそうな顔をする。
シスター・ダニエラが教材を用意している間に、小声で「気にしないで」と囁くと、レンは安堵したような表情を浮かべていた。
そんなわけで始まった淑女レッスン。
あまりの厳しさに泣きそうになったことが何度もあった。
けれども男性であるレンが、淑女レッスンを健気に受けているのだ。
弱音を吐くわけにはいかない。
そんな思いでなんとかやりきったのだった。




