シスター・エマ
もしもエマがどこかに連れ去られていたとしたら?
きっと今、不安で堪らないだろう。
「でも、彼女はわたしを嫌っていた」
そんな相手を助けて何になるのか。
「わたしはもう、面倒事に首を突っ込まないって決めているの」
『あなた様……』
大精霊ボルゾイはこんなわたしを非難すると思いきや、『わたくしはあなた様の決定を尊重いたします』なんて言ってくれる。
「私物を持ち去ることなく忽然と姿を消して、それをシスター・レーテルが不思議に思わないなんて、組織ぐるみの犯行に決まっているじゃない」
ラルフ・ガイツが中心になって、何か悪事に手を染めているのか。
ここは世間から爪弾きにされた者達が集まる場所。
たとえ突然姿を消しても、誰も不思議には思わない。
他人を利用し、何か犯行をするにはうってつけなのだ。
わたしだって、ここで殺されても、誰も不審に思わないだろう。
「――!」
ここの修道院は人の出入りが激しい、なんて話だったが、もしかしてここでなんらかの処分をされているのではないか、という可能性に気付く。
レンが先日、ここには地下に処刑場があると話していた。
そういうことがあって調査が入ったとしても、罪人を処しただけだと言い張ればいいだけなのだ。
この前聖騎士がやってきたとき、必要以上にシスター・レーテルがピリ付いていたのは、ここでしていることが露見するかもしれないと思ったからなのか。
わからない、わからないことばかりである。
もう、気付かないふりをしてのほほんと過ごすことなんてできない。
考えれば考えるほど、恐ろしくなってしまう。
いっそのこと、逃げてしまおうか。
エマが残したお金があれば、しばらく生きていける。
救貧院で母を引き取って、二度目の人生で働いていた食堂でお世話になろうか。
「そうよ、最初から食堂を頼ればよかったのに!」
どうしてこれまで失念していたのだろうか。
食堂のおかみさんと旦那さんはレン以外で唯一、わたしによくしてくれた人達だというのに。
きっと今からでも遅くない。やり直せる。
行動するならば、早いほうがいいだろう。
今のうちに荷物をまとめておいて、夜になったらレンを頼ろう。
彼の守護獣である竜に乗せてもらったら、ここから安全に脱出できるはず。
「ねえ、ボルゾイ――」
そう声をかけた瞬間、扉がノックされた。
「シスター・ヴィオラ、準備は整いましたか?」
シスター・レーテルの声が聞こえ、ギョッとする。
エマの鞄の蓋を閉め、寝台の奥に押し込む。
急いで扉を開くと、シスター・レーテルが部屋に入り、キョロキョロと見回す。
「まだ終わっていないのですか?」
ふと、エマの日記帳を鞄に入れ忘れていることに気付く。
これだ! と思って拾い上げ、シスター・レーテルに見せつつ言い訳をする。
「ごめんなさい。エマが忘れ物をしていたみたいで、すぐに報告に行けばいいのか迷っていたのよ」
「忘れ物、ですか?」
「ええ」
ナイトの野郎との甘々な日々について書かれた日記帳をシスター・レーテルに差しだしてみる。
シスター・レーテルは奪うように取り上げると、ジロリと睨みながら聞いてくる。
「これの中身は読んだのですか?」
「いいえ、読んでいないわ」
「そうでしたか」
一瞬、シスター・レーテルの瞳に安堵の色が滲んだように思えた。
エマについて、何か隠しているとしか思えない。
「この日記帳は、大聖堂にいるシスター・エマに届けますので」
「本当? よかった。大切にしていたみたいだから、お願いするわね」
「あなたに頼まれなくても、きちんとお渡ししますので」
シスター・レーテルは「しっかり準備をしておくように!」と言って部屋から去る。
足音が聞こえなくなると、その場に頽れ、「は~~~~~~~!」と深く長いため息を吐いてしまった。
やはり、ここには何かがあるのだろう。
修道女が次々といなくなるなんて、不気味としか言いようがない。
「ボルゾイ、わたし、ここを出て行くわ」
『そのほうがよいかと』
ただ、その前にやりたいことがある。
「エマについて、少し調べたいわ」
もしも安全に逃げだすことができたら、騎士隊に通報したい。
ここで何か怪しいことが行われているとしたら、野放しになんてできないから。
きちんと証拠を掴んでからでないと、騎士隊の調査があったときに、異常なしと言われてしまう可能性がある。
危険だろうが、やるしかないのだ。
「エマも助けられたらいいのだけれど……」
彼女が大聖堂に行ったと聞いてから、十日は経っている。
もうすでにこの世にいない可能性も――。
「いいえ、最悪の事態を考えるのは止めましょう」
まずは情報収集をしなくては。




