救貧院
その後、わたしは家を整理し、荷物をまとめる。
家の中はドレス以外に高価な品などなかったが、売れる物は売っておいた。
ドレスは貸衣装店で売り、質素なワンピースも購入する。
下町の家を引き払い、聖教会に少しだけ立ち寄ったあと、母の様子が気になっていたので救貧院へと向かった。
家にあった品を売ったお金は、キュプス院長にすべて渡す。
恐縮しきっていたが、これから母がお世話になるのだ。安いものだろう。
気になるのは母の様子である。
「暴言を吐いたり、暴れたりしていない?」
「ええ、ええ。大丈夫ですよ。職員が万全の状態でおりますので、比較的落ち着いています」
他人に対しては見栄を張っているのだろうか。
ひとまず落ち着いているということで、ホッと胸をなで下ろす。
「面会はしないほうがいいわよね?」
「ええ、そうですね」
わたしに対してはきっちり腹を立てているということで、会ったら逆上する可能性がある。
このまま会わないままのほうがいいだろう。
「今後は、ご結婚でもされるのですか?」
「いいえ、出家して、修道女になろうと思っていて」
「あなたのように美しいお方が、修道女に?」
「ええ、まあ、いろいろあって」
キュプス院長は修道女は自由などないのでここで働かないか、と提案したものの、丁重にお断りする。
母がいる施設で働いていたら、いつかうっかり顔を合わせてしまうかもしれないから。
「でしたら、知人がいる修道院をご案内しましょうか?」
「え、いいの?」
「もちろん」
修道女になるには、聖教会で身上検査を行い、清く正しい道を歩んだ者だけが神に仕えることを許される。
最短でも審査に一週間くらいかかるらしい。
それについて知ったのは、下町の家を引き払ったあとだったのだ。
しばらく宿暮らしをしなければならない、と内心頭を抱えていたのである。
キュプス院長に斡旋してもらえるのならば、面倒な審査を通らずとも最短で修道女になれるのだ。
「では、紹介状を書いてまいりますので、しばしお待ちを」
「ええ、お願いね」
キュプス院長がいなくなると、テーブルに小さなネズミがよじ登ってくる。
ドブネズミかと思ってギョッとしたものの、大精霊ボルゾイが『守護獣ですわ』と教えてくれた。
「あなた、キュプス院長の守護獣なの?」
そう問いかけると、『ちゅ!』と短く鳴いた。
どうやら出された茶菓子のおこぼれが目的らしい。手つかずだったクッキーをあげると、嬉しそうにその場で頬張り始めた。
守護獣は基本的に主人の危機的状況を除き、他人の前に現れることはない。
一緒に暮らす母の守護獣でさえ、わたしは見たことはなかった。
そのためこのネズミのように、のんきにクッキーを貪る様子を見せることは珍しいのだ。
「ああ、そういえば、ヒルディスの守護獣はたまに傍にいたわね」
歴代の聖女の守護獣だという水晶聖獣は、聖教会の権威の象徴として見せびらかす必要があったのかもしれない。
それにしても、と周囲を見渡す。
応接間には高級家具に使われているマホガニーのテーブルがあり、茶器も貴族達が好む磁器製の物だった。
もしかしたらここはもともと貴族が住んでいた家で、そのまま居抜きを行い、救貧院になったのかもしれない。
ぼんやりしていると、ネズミはキュプス院長のクッキーも食べ始める。
「あなた、院長に怒られるわよ」
聞く耳なんて持つわけがなく、ネズミはクッキーをぺろりと完食してしまった。
その後、のんきにぐーぐー眠り始める。
なんとも羨ましい暮らしをしているものだ、と思ってしまった。
待つこと一時間ほどで、キュプス院長が戻ってくる。
「お待たせしました」
「いえいえ」
「大丈夫ですか? 眠たくなりませんでしたか?」
この部屋は日当たりがいいようで、皆、うとうとしてしまうらしい。
平気だったと答えると、キュプス院長はよかったと返す。
「お約束した紹介状です。こちらを持って、王都の郊外にあります、〝オプファー・ガーベ修道院〟を目指してください」
一日一回、中央街の馬車乗り場から馬車が出ているという。
「修道院の院長に、こちらの品を運んでいただけますか?」
そう言って、布に包まれた酒瓶が手渡される。
「好物のようで」
「そうなのね」
聖職者といえば、禁欲的な暮らしをしなければならないというイメージがある。
お酒を飲んで優雅に暮らしているなんて、いいご身分だと思ってしまった。
ただこれも、わたしというイレギュラーな存在を受け入れてもらうための貢ぎ物かもしれない。
しっかり運ばせていただこう。
「そういえばこの子、ここにあったクッキーを全部食べてしまったの」
「な、なんてことを!」
キュプス院長はネズミを手のひらで掬うように持ち上げると、はあ、と呆れた様子でいた。
「すみません、食いしん坊で」
「いいえ、気にしないで。この子のおかげで、退屈せずに済んだわ」
「でしたらよかったのですが」
その後、キュプス院長と別れ、中央街の馬車乗り場からオプファー・ガーベ修道院を目指す。
わたし以外に乗客はいなかったようで、大精霊ボルゾイは体を存分に伸ばして乗ることができたようだ。
一人馬車に揺られること二時間半――腰とお尻が限界を訴えそうになる前に到着となる。
霧が立ちこめ、鬱蒼と木々が生える森に、オプファー・ガーベ修道院は怪しく建っていた。
知らずに見かけたら、お化け屋敷か何かだと思っていただろう。
格子状の門を開くと、ギイイイイイ……と鳴り響く。
周囲は墓地が並んでいて、余計に雰囲気を恐ろしくしていた。
まっすぐ進んだ先に礼拝堂があり、扉を開く。
祭壇の前には、一人の男性がいた。
彼がここの院長だろうか?
「あの~、ごめんください」
声をかけると、男性が振り返る。
その顔に覚えがあったので、ギョッとしてしまう。
ラルフ・ガイツ――彼は一回目の人生で裁判官長を務めていた司教だった。




