神に見放された女
絶対に何かの間違いだ。
もしかしたらヒルディスから嘘を吹き込まれているかもしれない。
そうに違いないだろう。
「お願い、ナイト様と話をさせて……!」
「黙れ!」
「お前の発言は許可されていない!」
またしても、背中を棒で殴打される。
じくじくと痛みを訴えていたものの、心の悲鳴に比べたらなんてことはない。
少しだけでいい。
ナイト様と話すことができたら……。
顔を上げ、ナイト様へと訴えようとしたそのとき、ヒルディスと目が合った。
彼女は小さく「きゃっ!」と悲鳴を上げる。
シュヴァーベン公爵夫人は娘を庇うようにわたしの前に立つ。それからヒルディスを見ないようにと牽制するように叫んでいた。
「誤解よ! そんな目で見ていないわ」
「黙りなさい!」
そんなつもりなんてないのに。
誤解を解こうとすればするほど、人々の眼差しは冷たくなっていく。
「なんて凶暴な眼差しなのか。まるで獣のようだ」
そんな言葉を口にしたのは、筆頭書記官の女性。
彼女はたしか、大商人エドウィンの妻、マルティナだったような。
会員制の酒場に若い愛人と出入りしているのを、たまに見かけていたのだ。
「あれは女の形をした、正真正銘の獣だ。大聖女様の婚約指輪を奪うなんて、狂気の沙汰だろう」
非難するような物言いをするのは、マルティナの夫である大商人エドウィン。
彼はたしかあくどい商売をすることで有名である。
どの口が言っているのか。
「愛人の立場に耐えられなくなって、犯行に及んだのでしょう」
聖騎士部隊の隊長、フリートヘルムが同情を滲ませたような声で言う。
「神よ、迷える悪女の魂を救い給え……」
祈り始めたのは、司祭ラルフ。
いったい何を言っているというのか。
皆、いい加減にしてほしい。
ヒルディスは怯えたような態度を見せ、ナイト様は守るように肩を抱く。
あろうことか、ナイト様はわたしを敵だと言わんばかりに、ジロリと睨み付けてきたのだ。
その瞬間、胃の辺りがスーーッと冷え込むような、心地悪い感覚を覚えた。
ナイト様はわたしを助けるつもりなどない、というのを理解してしまう。
いったいどうして?
わたしと結婚するって言ったのに……。
ふと、冷静になって振り返ってみると、ナイト様の求婚にははっきり「結婚しよう」という言葉はなかった。
それに結婚する意思もあまり見られなかったような気がする。
結婚までの日程も先延ばしにし続け、誤魔化していたのだ。
最初からナイト様はわたしと結婚するつもりなんてなかった。
そもそも会う場所は夜の高級宿のみ、というのもおかしかったのだ。
愛人として傍において、都合がいいように利用することが目的だったのだろう。
ずっと王子様に愛されていると錯覚し、現実が見えていなかったのだ。
「――ッ!」
あまりにも酷い。
ただ捨てるだけならばまだしも、こんなふうに犯罪者に仕立てるなんて。
わたしのことを悪辣な雌犬だと罵るような言葉も聞こえてきた。
もう、この世に味方なんていない。
きっと母を見捨てた罪なのだろう。
酒浸りになって、わたしが用意したお金がないと母は暮らしていけなかった。
きっとひもじい思いをしているに違いない。
胸が痛い、引き裂かれそうだ。
皆がわたしの悪口を口々に言う中、再び裁判長の木槌が鳴り響く。
「これより開廷する! 被告人は前に出て、名前を口にするように」
「そんなの、どうでもいいでしょう」
わたしを罪人に仕立てあげたいだけのくだらない集まりの中で、名乗る名前なんてない。
「被告人、無駄口は慎め!」
「くだらないのよ。こんなでっちあげの裁判所を作って」
「被告人!!」
聖騎士達がわたしの首元に細長い拘束棒を十字に押し上げ、強制的に前を向かせる。
別の聖騎士が鞭で頬を叩き、早く答えるように促してきた。
「早く答えろ!!」
「この雌犬が!!」
神聖な大聖堂で、このような口汚い言葉を耳にするとは、夢にも思っていなかった。
ならば、わたしもレベルを合わせるべきだろう。
そう思って答えてやった。
「みんな、みんなくたばってしまえ!!」
後頭部にズシン! と重たい一撃が繰り出される。
聖騎士がわたしを黙らせるために、殴ったのだろう。
頭が真っ白になりかける中で、裁判所の木槌がカンカンと鳴らされた。
「それでは、ここにいる者達で採決を取る! まずは筆頭裁判官であるラルフ・ガイツに訊ねる。この者をどうするべいか」
「死して魂を浄化するべきかと」
「死刑に一票」
こんな裁判、聞いたことがない。
きっと陥れたい人物を辱めて、死刑を宣告させるために開くいかれた集まりなのだろう。
趣味が悪いとしか言いようがない。
その後も口々に死刑を言い渡してくる。
筆頭書記官マルティナ・フェレライは「死刑にすべき」と言い、その夫である裁判官補佐エドウィン・フェレライも「死刑に決まっている」と言い切る。
裁判官次席、フリートヘルム・フォン・ファールハイトも「死刑にするしかありませんね」と言い、最後に弁護官であるナイト様に問いかける。
「弁護官、ナイト・フォン・ホッファート・ジーヴントゥン、答えよ」
「こんな盗人、死刑にしてしまえ!!」
崖から突き落とされたような衝撃を受ける。
今日、ここで初めてナイト様と目が合った。
けれどもその眼差しに甘さなんて欠片もなく、憎悪と悪意に満ちた目で私を睨んでいた。
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
ぼんやりしているうちに、裁判が木槌を鳴らす。
よく通る声で、刑罰が宣言された。
「被告人を〝死刑〟に処す!!」
薄れゆく意識の中で思う。重たい刑が処されるだろうと思っていたが、まさか死刑とは。
もう、いい。
この世に希望なんてない。
最初から、わたしは神になんて愛されていなかった。
誰もが持つ祝福がない上に、守護獣すらいないなんて。
未練なんてない。
そんなわたしを処するのは、炎に抱かれて罪を洗い流すという〝火刑〟だった。