密告
わたしはスッと立ち上がり、苛立っている様子を見せるマルティナ夫人に声をかけた。
「お姉さん、もしかして、さっきこの店にやってきた男の人を探しているの?」
そう声をかけた瞬間、マルティナ夫人は勢いよくこちらを振り返る。
目が血走っていて怖い……。
その辺の子どもだったら泣いて逃げていただろう。
「お前、うちの人をここで見たのか?」
「うん、さっきね、すれ違うようにしていなくなったから、そうだと思って」
普段だったら見て見ぬ振りをするのだが、わたしは二回目の人生でエドウィン・フェレライに振り回された挙げ句、マルティナ夫人に殺されてしまった。
夫婦関係をめちゃくちゃにしてやる。
そう思って密告することにしたのだ。
「お前が見たというのは、小太りで冴えない、髪を禿げ散らかした、金を持ってそうな男か?」
「うーん、わからないけれど、エドウィンって、呼ばれていたよ」
「なっ――! 一人ではなかった、ということなのか?」
「うん、そう! きれいな女の人といたよ!」
「すでに女といたとはな!! ははは!! 浮気相手の女のところに向かうのを追跡するつもりだったが……そうか!!」
怒っている。とてつもなく怒っている。
きっとわたしが介入しなければ、マルティナ夫人はエドウィン・フェレライの浮気の証拠を得ることができず、十年後も夫婦のままでいたのだろう。
止めを刺してやる。
そう思って、とっておきの情報を提供した。
「あのね、さっきの男の人、このあと大聖堂で大ミサに参加するって言っていたよ!」
「っ――!!」
マルティナ夫人の血走った目に、憎悪の色が混じったように思える。
「あの男、この私の誘いは断ったくせに、愛人と出かけるなんぞ――許さん!!」
マルティナ夫人の傍にいる探偵は、完全にガクブルと震えている。
可哀想に……と思ってしまった。
「娘、感謝する」
「いえいえ――え!?」
マルティナ夫人は金貨を三枚、わたしに差しだしてきた。
「これは?」
「情報量だ。受け取れ」
「あ、ありがとう」
いいのか、と思ったものの、この先母と二人暮らしをすることを考えたら、願ってもない報酬である。ありがたくいただこう。
「お前はここで解雇だ」
探偵にはそう宣言し、金貨一枚を差しだしていた。
わたしよりも少ない報酬額で不満に思うのではないか、と思ったものの、探偵は深々と頭を下げると、脱兎のごとく去って行った。
マルティナ夫人は売れ残っている菓子に気付くと、「今日は皆大聖堂に行って、売れないだろう」と話しかける。
店員は眉尻を下げつつ、「はい」と答えていた。
「すべて買い取ろう。エドウィン・フェレライの商会に届けてもらえないか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
迷惑料のつもりなのか。いいところもあるものだ、と思ってしまった。
最後に、マルティナ夫人はわたしを振り返って言った。
「お前、シュヴァーベン公爵家の娘だな」
「どうしてわかったの?」
「シュヴァーベン公爵の愛人に顔がそっくりだから」
まさか顔でバレてしまうとは。
「後日、改めてお礼をさせていただこう」
「どうかお気になさらず」
「はは、そう言わずに」
その後、マルティナ夫人は店を去り、わたしとリナは無事、バター・ガレットにありつくことができた。
このまま閉店するというので、店員がサービスで紅茶を振る舞ってくれた。
◇◇◇
しっかりバター・ガレットを堪能したあと、わたしとリナは大聖堂へ向かう。
大聖堂の正門には大勢の人達が押しかけていた。
「リナ、貴賓専用の扉から入りましょう」
「はい」
たしか、関係者は前方の席に案内してもらえるはず。
そう思って貴賓専用扉へ向かった。
子ども達だけだったので、聖騎士が制止する。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「わたし、ヒルディスの妹なの。腹違いの姉妹なんだけれど」
それを聞いた聖騎士は少し待つように言って、中にいる修道士へ確認をしに行ったようだ。
五分後、戻ってきた聖騎士が中に入るように言った。
門前払いされるかもなんて思っていたが、無事、入場できた。
中には修道女がいて、席まで案内してくれるという。
「ヴィオラお嬢様、こちらです」
「ええ、ありがとう」
さすが、ヒルディスの晴れ舞台である。扱いが丁寧だ。
大聖堂には結婚式などの祝言を行う礼拝堂と、ミサなどの儀式を行う主聖堂の二カ所に多くの人を収納できる場所があるのだ。
今回は主聖堂で大ミサを行う。
ここに入るのは、八歳のときに行った鑑定式以来だった。
二度とやってくるものか! なんて思っていたものの、再訪することとなった。
わたしにはきちんと祝福があって、守護獣もいた。
鑑定で調べることができないなんて、大した式でもなかったんだな、としみじみ思ってしまう。
「こちらです」
主聖堂の前方の席には、赤い布がかけてあり、すでに数名の人達が座っていた。
祭壇に近い、一番前の席にはシュヴァーベン公爵と母の姿があった。
そしてシュヴァーベン公爵と通路を挟んだ向こう側に、シュヴァーベン公爵夫人を発見する。
なんて近い位置に座っているのか。
夫婦の間には冷え切った空気が流れているように思えた。
それも無理はない。シュヴァーベン公爵は公の場に、堂々と愛人を連れてやってきているのだから。
シュヴァーベン公爵夫人の顔に泥を塗りたくるような行為だろう。
それにしても、よくもこんな神聖な場所に、愛人を伴って参加できるわけである。
同じように愛人同伴でやってきているエドウィン・フェレライの姿を、シュヴァーベン公爵夫人の後ろである二列目で発見した。
彼は聖教会に多額の寄付でもしているのだろうか。思っていたよりも前に座っているのが意外だった。
ぼんやり眺めていたら、シスターが振り返って席を指差した。
「ヴィオラお嬢様と、お付きの方のお席です」
「え――!?」
シスターが示した席は、後ろから数えて五番目の席。
家族でもなんでもない、エドウィン・フェレライの席よりもずっとずーーっと後ろだった。
きっとシュヴァーベン公爵夫人が指示したに違いない。
夫婦間に起こった鬱憤を、わたしで晴らそうとしているようだ。
わたしは盛大なため息を吐き、席にどっかりと座った。
リナも戸惑うような表情を浮かべながら、腰を下ろす。
「酷いわ。こんな形で腹いせをするなんて」
「その、なんと申していいのやら……」
大精霊ボルゾイはわたしの足下で伏せの姿勢を取っていた。
前方の席だったらゆったり寛げるのに、後方の席なので狭いだろう。
大ミサなんて早く終わってしまえ。
なんて考えていたら、パイプオルガンの演奏が始まり、ヒルディスが登場する。
静寂の中、頭を下げると拍手に包まれた。
ヒルディスは頬をほんのり紅く染めながらも、堂々とした様子でいる。
皆、大聖女に向かって、羨望の眼差しを向けていたのだ。
ツォーン司教が福音の書をヒルディスに手渡す。
受け取ったヒルディスは一ページ目を捲り、口を開こうとしたそのとき、勢いよく主聖堂の扉が開かれた。
皆の注目が、ヒルディスから扉のほうへと向けられる。
やってきたのは、マルティナ夫人だった。




