母を探して
その後、部屋に案内してもらった。
二階は少し前までご夫婦が生活の拠点にしていたらしい。
目標まで貯蓄が貯まったようで、今は新居に引っ越したのだとか。
「古い家だけれど、手入れはきちんとしていたからね」
部屋がいくつかあるのは、子ども部屋と住み込みで働いていた従業員のものだったようだ。
今回、わたしと母に提供してくれるのは、娘さん達が使っていた部屋らしい。
そんな部屋を使ってもいいのかと訊ねると、問題ないと言ってくれる。
「今はふたりとも嫁いでいってね。孫も生まれて、元気で暮らしているよ」
従業員が使っていた部屋よりもずっときれいだという。
ありがたく使わせていただこう。
中に入ってみると、左右の壁際に寝台が並んでいて、大きな窓の下にチェストが二台並んでいた。
部屋の中心にはカーテンが引いてあり、互いのプライバシーが守れるようになっているようだ。
「このカーテン、あまりにも顔を合わせるたびにケンカをするものだから、わざわざつけたんだよ」
仲がよい姉妹だったようだが、ケンカはしょっちゅうしていたようだ。
わたしにも腹違いの姉ヒルディスがいたが、ケンカなんて一度もしたことがない。
というか、ヒルディスはわたしのことを存在しない者として扱っていた。
だから姉妹でケンカという話を聞くと、なんだか羨ましく思ってしまった。
「申し訳ないんだけれど、お風呂はなくてね。近所に公衆浴場があるから、そこに通ってくれるかい?」
「ええ、もちろん」
下町時代の家には部屋にお風呂がないのは当たり前だった。別に通うことは苦にならない。
食事は朝、昼、晩、まかないがあって、主な仕事は夜の仕込みと朝の給仕だという。
昼は空いているもののほとんど客はいないので、自由時間にしてくれるようだ。
「その間に、お母さんを探しな」
「ありがとうございます」
このあとも好きに過ごしていいというので、母を探しに下町に行ってみる予定だ。
「あの辺りは夕方になる頃には治安が悪くなるから、早めに帰ってくるんだよ」
「ええ、わかったわ」
おかみさんはわたしに家と部屋の鍵を託してくれた。
「じゃあヴィオラ、また夜にね、頼むよ!」
おかみさんはわたしの肩をぽん! と叩いてから去って行く。
大精霊ボルゾイは部屋をキョロキョロ見回し、窓から差し込む陽だまりの下に腰を下ろした。
『よい気が巡っている部屋ですのね』
「そういうのもわかるの?」
『ええ!』
窓から外の景色を覗き込むと、辺りに酒場らしき店はなく、昼間は人通りが少なかった。
ここならば母も静かに過ごせるだろう。
「さて、下町に母を探しにいきましょうか」
『お供しますわ』
「お願いね」
大精霊ボルゾイと共に、母の捜索を開始した。
まず向かったのは、わたしと母が住んでいた貸家。
築百年以上で雨漏りはするわ、強風が吹いたらギシギシうるさいわ、鍵は閉まらないわ、という最悪の家だった。
こんな家で、母はわたしを貴族に嫁がせようとしていた。
きれいなドレスを借り、古い化粧品をかき集めてそれらしくメイクして、わたしは夜会へ送り込まれたのだ。
今思えば、こんな家を拠点に一攫千金を目指していたなんて、滑稽で笑える。
まだ親子で地道に働いていたほうが、まともに暮らせていただろうに……。
それはそうと、家からは人の気配が感じられなかった。
いつも家に前に母が飲んだ酒瓶がコレクションのように並んでいたが、今はそれはない。
扉には〝空室、住人求む〟という看板がかかっていた。
やはり、母はここの家賃を払う能力すらなかったようだ。
わかっていた。
それに母を見捨てたのは正真正銘わたしなのに、傷ついてしまう。
「どうしよう……」
『仕方がありませんわ。お母様も大人ですし、ある程度自分でなんとかできるはずですから、そこまで気に病む必要はないかと』
「ええ、そうよね」
ひとまず、隣の家の住人に母について聞きに行こう。
扉を叩くと、迷惑そうな顔で出てきた。
「ん、あんたは――」
「ロニおじさん、久しぶり」
「ああ、隣に住んでいたデボラの娘か」
母はこのおじさんに盛大に迷惑をかけていたはずだ。
申し訳なく思って、途中でお酒を買ってきていたのだ。それを渡す。
「これ、母がお世話になっていたお詫びに」
「今更なんだ。あんたは母親を捨てたんだろう?」
返す言葉もない。ロニおじさんの言うとおり、わたしは母を見捨てて男のもとへ走った。
「男が切れたのか?」
「ええ、そうなの」
「そういうところも、母親そっくりだな」
わたしは母みたいに、短い期間で男を取っかえ引っかえしていない。
交際していた男性も、ナイトの野郎ただ一人だけだ。
けれども端から見たら、同じように思えるのだろう。
「それで、母がどこに行ったか知っている?」
「どうしたんだ? 借金でもこさえて、母親でも売り飛ばすつもりなのか?」
「そんなことしないわ! 母と一緒に暮らしたいから探しているのよ!」
酷い言われようだが、そういう印象を持たれてしまうのも無理はない。
「どこで暮らすって言うんだ?」
「中央街にある食堂に住み込みで働くことになったの。事情を聞いたら、母も一緒にいいっておかみさんが言ってくれたのよ」
「それはそれは、母親孝行なことだな」
「いいから、早く教えて」
最終的に情報量としてお金を握らせると、ロニおじさんは話してくれた。
「連れていかれたよ、借金取りにな」
「なっ――!?」
どうやら母は、手遅れの状態にまで追い込まれていたようだ。