ヴィオラの炎
ナイトの野郎が触れてこようとした瞬間、わたしの全身に炎がまとわりつく。
火刑の炎とはまったく違う。
守ってくれるような優しい温もりの炎だった。
危機的状況となり、〝地獄の炎〟が自動で発動したのだろう。
「あ、熱っ!!」
わたしにとっては心地よい温もりしか感じないのに、ナイトの野郎にとっては強い熱を感じるようだ。
ナイトの野郎はわたしから距離を取り、熱がっていた。
ざまあみろ、と思ってしまう。
ただ炎に触れていないので、火傷をしたわけではない。それなのに指先に息をふーふー吹きかけ、まるで被害者のような顔でわたしを見る。
「お、おい、なんなのだ、その火は!?」
「これ? これはね、わたしの祝福なの」
「は!? ヴィオラ、お前は祝福を持っていないと言っていただろうが!」
「ある日、突然目覚めたのよ」
そういうことにしておく。
「実は守護獣もいるのよ」
「どこにいる?」
「大精霊だから、凡人には見えないのよ」
「誰が凡人だ! そんなことを言って、脅すつもりなんだろう!?」
「違うわよ。今もわたしの傍で、低く唸って牙を剥いているわ」
大精霊ボルゾイのほうを見ると、慌てた様子でいた。
『う、唸る、ですか? ううう、う~~~ん……違いますわね』
このお嬢様系大精霊には、獰猛な野犬のように唸ることは難しいようだ。
牙を剥くこともできないようで、前足で口元を押し上げ、牙を見せている。
獰猛さなんて欠片もなく、白い歯を自慢しているようにしか見えなかった。
ただそんな様子もナイトの野郎には見えない。
「守護獣はさすがに嘘だな」
「まあ、信じるか信じないかは自由だけれど」
瞳で大精霊ボルゾイに合図を出すと、ナイトの野郎の背中を前足でぽん! と叩いてくれた。
「ひゃあ!! な、なんだ今、背中を叩かれたぞ!!」
想定していた以上に驚いてくれた。
腰が抜けたようで、立ち上がれないでいるようだ。
護衛の仕業かと周囲を確認するも、彼の背後には誰もいない。
いつも護衛は部屋に入れないので、ここにいるわけがないのに。
「ねえ、これでわたしの守護獣の存在を信じてくれた?」
「お、おい、なんでもいいから、その火を消せ! 火事になってしまうだろうが!」
わたしの体からいっさい燃え移っていないのに、アパートメントが火災にならないか心配らしい。
「はいはい、わかった。火事にならないうちに出て行くから」
一歩前に踏み出すと、ナイトの野郎は「あ、熱っ!!」と叫んで、四つん這いで遠ざかっていく。
それにしても、〝地獄の炎〟がこんなふうに役立つなんて、夢にも思っていなかった。
「ああ、熱い、熱い! くそ、こんな能力を隠していたなんて」
そんなことを言うナイトの野郎を、冷ややかな目で見てしまう。
あなたがわたしに罪を押しつけたせいで、習得した能力よ。
なんて言いたくなった。
ふと、足下にヒルディスの婚約指輪が落ちているのに気付いた。
「ねえこれ、きちんと持って帰ってよ。こんなところに置き去りにして、紛失しただなんて大騒ぎした挙げ句、ここで見つかったからわたしが盗み出した、なんてことにはしないでよね」
「す、するわけないだろうが!」
前科がしっかりあるので、何を言っても信じられない。
信用できないので、拾って差しだす。
「あああ、熱い! おい、近づくな! 誰か、誰か!」
ナイトの野郎の叫びを聞いて、部屋の外で待機していた護衛騎士が駆けつけてきた。
わたしは〝地獄の炎〟の発動を止め、彼らと対峙する。
向かい合うわたしとナイトの野郎を見た護衛騎士達は、いったい何が起こったのかと理解できないような顔でいた。
「ごめんなさい。ただケンカをしていただけ」
「さ、さようでございましたか」
「ち、違う! この女が、体から火を発して、この家を燃やそうとしたんだ!」
火はどこにもないので、護衛騎士達は怪訝な表情を浮かべている。
「殿下はきっと公務続きでお疲れなのよ。少しお休みをあげてちょうだい」
「は、はあ」
護衛隊長にヒルディスの婚約指輪を渡しておく。
「これ、大聖女ヒルディス様との婚約指輪みたい。大聖堂で保管されていた物を間違って持ってきてしまったようなの。書類とかきちんと確認しておいてくれる?」
「はっ!」
これでヒルディスの婚約指輪に関しては心配いらないだろう。
「あ、そうそう。ここにあったわたし名義の宝飾品は、すべて処分したから」
「は? 処分だと?」
「ええ」
「な、なんでそんなことをするんだ! 不要ならば、そのまま返せばいいだろうが! 捨てるなんて、ありえないだろうが!」
「気が利かなくって、ごめんなさいね」
処分と聞いて、捨てたと勘違いしているらしい。
訂正せずに、そのまま放っておこう。
「どこにやったんだ!?」
「わからないわ。人にお願いしたの?」
「誰だ!?」
「さあ、適当に頼んだから、覚えていないの」
「お前は、なんて適当な女なんだ!」
これ以上ここに長いしないほうがいいだろう。そう思って会話を勝手に切り上げる。
「ここにはもう二度と戻らないわ」
「ど、どこに行くというのだ?」
「どこでもいいでしょう? もうわたし達、別れたんだから。ヒルディスとの結婚も控えているんだから、そっちに集中してちょうだい」
護衛騎士達には、しっかりナイトの野郎を支えるようにお願いしておく。
「それじゃあ、ごきげんよう」
ご令嬢の真似をして挨拶してみたが、なんだかむず痒くなってしまう。
慣れないことはするもんではないな、と思ってしまった。
「おい、ヴィオラ、待て!」
そう叫ぶも、まだ腰が抜けているようで追いかけてこなかった。
一人、外に出る。
清々しい爽やかな青空が広がり、なんとも気持ちのいい昼下がりだった。