第2話:元婚約者と元女従者、再会の火種
宮廷舞踏会の夜。
光の粒が舞うようなシャンデリアの下、華やかな貴族たちのざわめきが響く。
私は淡いブルーグレーのドレスに身を包み、公爵クレイグの腕を取っていた。
「緊張しているのか?」
彼が、耳元で囁くように問う。
「少しだけ、です。でも……大丈夫。公爵様が隣にいてくださいますから」
その言葉に、クレイグは視線だけを横に向けた。
「当然だ」とでも言いたげに、軽く頷く。
――そして、会場に一歩、足を踏み入れた瞬間。
「……っ」
「あれは……まさか……」
周囲の視線が、こちらに集中する。
「シュトラウス公爵の妻? 本当に、あのアリシア・ローゼンベルクなの?」
「婚約破棄されたはずでは……?」「いや、今は公爵夫人だって……」
ささやき声、好奇と警戒、羨望、そして――嫉妬。
(……これが、社交界)
一瞬、呼吸が浅くなるのを感じたが、クレイグが私の手を強く握った。
「胸を張れ。君は、恥じるようなことは何一つしていない」
「……はい」
私は、深く息を吸って、微笑んだ。
公爵夫人としての顔をつくり、視線を真正面から受け止める。
「まあ、まあ……お久しぶりですわ、アリシア様。いえ、“公爵夫人”?」
聞き慣れた、あのねっとりとした声。
振り向けば、いたのは――リサ。
かつて“平民出の女官”として、私を陥れた張本人。
そしてその腕を取っていたのは……第二王子・エドワルド。
「……リサさん。殿下」
私が丁寧に一礼すると、リサはにこりと微笑んだ。
「社交界の表舞台に戻ってくるなんて、さすがですわ。どのような手を使ったのかしら?」
その言葉に、周囲の一部が小さく笑いを漏らした。
だが、私は怯まない。
「ええ。私には“冷酷で無慈悲”と言われる公爵様が、背中を押してくださいましたから」
「……」
リサが一瞬、表情を引きつらせる。
隣のエドワルド殿下も、気まずげに視線をそらした。
そこへ、クレイグが一歩前へ出た。
「貴様らに、我が妻を侮辱する権利はない」
その一言に、会場の空気が凍りつく。
「彼女は私の妻であり、貴族社会において正式に認められた“公爵夫人”だ。
過去にどのような経緯があろうと、貴様らの妄言に付き合うつもりはない」
その鋭い眼光に、リサが青ざめ、エドワルド殿下が唇を噛んだ。
「……私たちに、恨みをお持ちで?」
「あるわけがない。ただ――虫けらに興味はないだけだ」
まるで吐き捨てるように言い残し、クレイグは私の手を再び取ってその場を後にする。
私は振り返らなかった。
もう、過去の私じゃない。
堂々と、公爵夫人として、この場に立っている。
舞踏会の後、宮殿の中庭。
「……すごかったですね、公爵様」
「何がだ?」
「リサさんと殿下、真っ青でした」
「当然だ。君に手を出そうとした者には、“正しく報い”を受けてもらう」
その言葉に、思わず笑ってしまう。
「それにしても、公爵様、やっぱり嫉妬深いですよね」
「……そんなつもりはない」
「では、私に近づいた人を、全員無表情で威嚇していたのは?」
「……職務だ」
「ふふっ、もう。素直じゃないんですから」
クレイグは照れを隠すように、夜空を見上げた。
この人の隣でなら、もうどんな舞台でも、怖くない。
私はそっと、公爵の腕に身を寄せた。
──そして夜は、静かに更けていく。