第4話 冷徹公爵様、なぜ私の紅茶の好みをご存知で?
結婚生活――と言っても、形式上の契約結婚である。
公爵邸での新生活は、必要以上に干渉されることもなく、淡々と始まった。
けれど、私はすぐに、ほんの少しだけ「おかしなこと」に気づき始める。
ある朝。
目覚めると、メイドが朝食の支度を終えていた。
「アリシア様、お食事のご用意が整っております」
「ありがとう。……あら?」
テーブルに並んだ銀のポットとカップ。
ふわりと香るのは、私が子どもの頃から愛してやまない、ベルガモットとオレンジのブレンドティーだった。
(……どうして、この茶葉を?)
ローゼンタール家でも特注していた配合だ。市販では手に入らず、知る者はほとんどいない。
気のせいかと思い、翌日も、翌々日も観察してみた。
だが――
「お好みに合わせて、少し濃いめにお淹れしております」
「朝食にお出しするパンも、甘さ控えめのタイプをご用意いたしました」
「夜の灯りは弱めに調整済みです。眩しすぎるのは苦手と伺いましたので」
……どう考えても、私の“好み”が完璧に反映されすぎている。
メイドや執事たちは、ごく自然な口調でそれらを語る。
けれど――私は彼らに、自分の嗜好を一言も伝えていない。
では、誰が?
(まさか……)
私はある人物の顔を思い浮かべた。
「……お前か」
その日の午後、執務室を訪ねた私に対し、クレイグ公爵は相変わらず冷たい目を向けてきた。
けれど私は怯まず、まっすぐに問いかける。
「紅茶のことです。朝食のこと、照明のこと。全部、私の好み通りです。……あなたが指示されたのですか?」
数秒の沈黙の後――彼は視線を外し、ぽつりとつぶやいた。
「……不快だったか?」
「いえ。むしろ……どうして、そんなことを?」
公爵は書類の山から目を上げ、まっすぐに私を見た。
「私は、“無駄”が嫌いだ。だからこそ、君が不快に思う要素を最初から取り除いておきたかっただけだ」
「それはつまり……」
「紅茶の種類も、光の加減も、食事の好みも。以前、君が貴族の社交界で発言していた内容を覚えている。たまたま、私の耳に入っていた。それだけだ」
――嘘だ。
私は直感的にそう感じた。
社交の場では、私は自分の趣味や嗜好を滅多に語らなかった。語ったとしても、無難な内容ばかりだったはず。
(……では、公爵様はなぜ)
「……私のことを、そんなに“調べた”のですか?」
思わず、言葉に出た。
クレイグ公爵のまなざしが、わずかに揺れた。
「……“興味がある”と言ったはずだ」
低く、静かな声。
その響きは、どこか――熱を帯びていた。
部屋を出た後、私は静かに廊下を歩く。
心臓が、少しだけ早く打っていた。
(あの人……本当に、“情”を持たないの?)
口では冷静を装っているけれど、私の好みを完璧に覚えていて、それを形にする努力をしてくれた。
それは決して、「合理性」だけでは説明できないはずだ。
「……ふふっ」
思わず、笑みがこぼれた。
公爵様の不器用な“優しさ”に、ほんの少しだけ、心があたたかくなったから。
(形式上の妻、でしたよね?)
でも、もしかして――。
“形式”だけじゃなくなってきたら、どうしよう。
そう思った瞬間、自分の頬がほんのりと熱を帯びていることに気づいた。