第1話 婚約破棄は突然に
煌びやかなシャンデリアの下、絹のドレスが舞い、ワイングラスの音が優雅に響く夜会。
その中央で、突然の“宣言”が放たれた。
「君との婚約は、破棄させてもらう」
一瞬、時が止まったかのような静寂。
目の前の人物――第二王子アルベルト殿下の言葉が、確かに私、アリシア・ローゼンタールに向けられていると気づいたのは、数秒後だった。
「……はい?」
耳を疑い、静かに問い返す。
「君は最近、平民出の女官に対して嫉妬からいびりを繰り返していたそうだな。そのような人物が王妃にふさわしいとは思えない。よって、君との婚約は破棄させてもらう」
アルベルト殿下は、あくまでも冷ややかに、感情のこもらない声で言い放った。
この場にいる貴族たちが、一斉にざわつく。
「まぁ……!」
「噂、本当だったのね」
「ローゼンタール家も終わりかしら」
冷たい視線が私に突き刺さる。
――これが、狙いだったのだ。
女官をいびった? 嫉妬した?
そんな事実は一切ない。むしろ、侮辱されたのは私の方だった。
だが、王子の寵愛を受ける“平民出の女官”が、涙ながらに「アリシア様にいじめられた」と訴えれば、それが事実になる世界。
私は静かに深く頭を下げた。
「承知いたしました。婚約の件、白紙とさせていただきます。……ただし一つだけ、申し上げておきます」
顔を上げ、王子をまっすぐに見据える。
「殿下が真実を見ようとしなかったこと、そしてそれによってこの国が失ったものの大きさ――いずれお気づきになることでしょう」
「……何を偉そうに」
「貴族の令嬢としての矜持を守るために、私は今日ここで、微笑みを捨てます」
私はくるりと踵を返し、静かに、優雅にその場を去った。
噂も視線も、気にしない。
私の誇りは、誰にも踏みにじらせない。
それから数日後。
ローゼンタール伯爵家の屋敷で、私は一通の封書を受け取った。
差出人の名を見て、思わず息を呑む。
シュトラウス公爵家当主、クレイグ・シュトラウス
彼は王都でも有名な公爵。若くして当主となり、軍の戦略家として数々の戦功をあげた人物。
その冷徹さから「氷の公爵」「心なき貴族」などと囁かれている。
手紙には、こう記されていた。
“ローゼンタール令嬢へ。急ぎ、公爵邸に来られたし。用件は会って話す”
その筆跡すら鋭く、無駄がない。
内容も要点のみ。まるで命令のようだ。
「……なぜ、私に?」
胸に浮かぶのは、不安と、少しの興味。
私はすぐに、出立の準備を始めた。
――この先に、何が待ち受けているのかも知らずに。