辺境伯令嬢は覚悟を決めることにした
苦戦した話。本当はヴィオレットさまよりも先に作りたかった。
ああ、不愉快だ。
「大丈夫か?」
「あっ、ありがとうございます……」
どこぞの貴族令息に無理やり空き教室に連れ込まれた少女を見付けたのでその貴族令息を軽く殴って助け出す。
「怖かったのなら素直に言えばいい」
手を差し伸ばすと少女は顔を赤らめて、
「い……いえ……。すぐに来てくれたので」
大丈夫ですと緊張した面持ちで告げる少女にだけど念のためにと保健室に連れて行く。
保健の先生に少女をお願いすると沸々と怒りが湧いてくる。
「カトリーヌ!! 聞いたぞ!! お前私の友人に暴力を振るったそうだな!!」
保健室から出ると怒りを顕わにしてこちらに向かってくる婚約者。そして、
「俺の妹である者が暴力で相手を言いなりにするなんて何を考えている!! 騎士たるもの弱き者を守ることが必要で……」
年子の兄が我が家の家訓を持ち出しての説教。
「お前のような乱暴者」
「お前のような騎士道精神を持ち合わせていない者が」
「私の婚約者など!!」
「俺の妹なんてな!!」
さんざん言ってくる様に、腹が立つ。
そんな二人の後ろでは先ほど少女に乱暴な行いをしようとしていた貴族令息が嘲笑うように見ているのが見える。
「ああ……不愉快だ……」
本音が思わず漏れてしまう。
「それはこっちのセリフだっ!!」
「兄の言うことを聞けないのかっ!!」
人の髪の毛を掴んで引っ張ってくる婚約者に、腕を力いっぱい掴んでくる兄。
その二人に抵抗しようと身体を動かすが、その直前に、
「――騒がしいですわね」
涼やかな声がしたと思ったら大勢の取り巻きを連れたメリクリウス公爵令嬢ヴィオレットが現れる。
「これは、メリクリウス公爵令嬢」
「お騒がせしました。この妹が……」
慌てて何かを言おうとするが、メリクリウス公爵令嬢は一瞥もせずに、
「ヴァイエイト辺境伯令嬢。どこぞの貴族令息に襲われそうになった生徒を助けたとわたくしのお友達が教えてくれました。生徒会副会長としてお礼を申し上げます」
メリクリウス公爵令嬢がさりげなくどこぞの貴族という部分で後ろで隠れている貴族令息に視線を向けている。
「お友達………?」
「ええ。学園風紀を警備する方々ですよ」
この学園は身分を問わず平等と謳っているが実際は平等でもない。身分の高い者が身分が低い者を虐げることがあるので、それを防ぐために常に表に裏にと警備の者が動いている。
だが、本来それらを未然に防ぐのは王族や公爵の子息息女であり、本来ならば生徒会長の第二王子が率先して行なわないといけない事柄だ。それを第二王子の婚約者であるメリクリウス公爵令嬢が一手に担っている。
「以前から困っていたの。とある辺境伯令息と侯爵令息の威を借りて問題を起こす方々がいると聞いていて捕らえようとしていたのですけど」
今度はさりげなく兄と婚約者に視線を向ける。
そんな兄たちの後ろで貴族令息が警備の職員に捕まっているのが見える。兄たちは視線は向けないが妙な音がしっかり伝わっているので汗をだらだらと流して動揺している。
「そんな貴族令息を擁護して、か弱い少女を守った騎士の鑑と言えるヴァイエイト辺境伯令嬢を一方的に責め立てた輩がいるとか」
メリクリウス公爵令嬢の言葉に兄と婚約者の顔色が悪くなり、挨拶もそこそこに去って行く。
「権力を振りかざすなど生意気な女だ!!」
「あんなんだから殿下に嫌われているのだろう。ナタリーとは大違いだ」
聞こえていないと思っているのかわざと聞かせているのかそんな捨て台詞を吐いている。
「兄上!! アスターさま!!」
失礼だと注意しようとするが既に姿はない。
「まったく」
「気になさらずに、――あんな輩と話をしているのは疲れますので」
微笑んでいるが心底嫌悪感を含んでいる声色で言われたので引き留めるのはやめておく。
「申し訳ありません」
以前からいろいろ問題のある人たちだったが、それがますます強化された気がする。確か、ナタリー嬢と親しくなり出してから……。
「ふぅ」
思わず溜息が出る。
「しっ、失礼っ!!」
この場にメリクリウス公爵令嬢たちが居たのを忘れて気を抜いてしまったと謝罪すると、
「気にしなくていいわ。カトリーヌは常日頃から気を遣っているのだから。わたくしの前で気が抜けるなんてそれだけ心許してくれていると言うことなのだから」
微笑みながら気を遣わないときのように名前で呼んでくれたのが嬉しいと思いつつ、やはり恥ずかしさが前面に出る。
高位貴族は下の者たちを守るべきというのは暗黙の了解として理解しているはずなのに兄も婚約者もナタリーという庶民を大事にしてそれ以外を度外視している。
なので、一部の貴族令息令嬢が庶民や男爵子爵の令嬢令息を不遇な扱いしているのに気づいていないし、先程のようにそんな貴族令息の言葉を鵜吞みにしてこっちを責める。
そんな守るべき者たちを一手に守ろうとしているのがメリクリウス公爵令嬢だ。彼女の方が疲れているのに。
(情けない)
そんな生徒たちのために尽力を尽くしているメリクリウス公爵令嬢一人にすべて頼りきりの状況にも、それに罪悪を感じていない兄も婚約者も。
――些細なことしか手伝うことが出来ない自分にも。
「……今年の学生は不作が多いわ」
メリクリウス公爵令嬢のほとんど口を動かすだけで終わらせている呟き。おそらく彼女が守っている生徒たちに聞かせたくない弱音がつい漏れたのだろう。誰にも聞かせたくない弱音は読唇術もどんな小さな音でも拾い上げてしまう能力に秀でた自分にはしっかり聞き取れたし、読み取れてしまったので小さく同感だと頷く。
学園は国の縮図。下の者を守れない輩が国を民を守れると思えない。ましてや、その者らから守っているメリクリウス公爵令嬢の苦労を知らずに責める者が多いこと多いこと。
「ああ、勘違いしないでくださいな。問題の無い方も多いのは理解していますのよ。そう、そこの風紀委員長のような方とか」
「副会長。捕縛完了しました」
話題に上がったので声を掛けていいタイミングだと見計ったのは先ほど貴族令息を捕らえていた風紀の一人。
「ロバート?」
ヴァイエイト家の分家の子息のロバートだったのに驚いた。
「お久しぶりですお嬢さま」
「久しぶり。元気そうで何よりだ」
ヴァイエイト辺境伯の血を引く者は体格が良く戦闘能力が高い。だが、ロバートはそんな一族の中で貧弱――それでも一般男性よりも鍛えられているが――と馬鹿にされ続けてきた。
カトリーヌの傍仕えとして仕えていたが、ロバートに文官として才能があるのが分かったのでメリクリウス公爵に預けたのだ。
『ヴァイエイト家はわたくしを含めて脳筋が多い。国防の意味ではそれでも十分だが、平和な時には足元を見られるだけだ。現にわたくしも女だからお淑やかになれと婚約者に言われ、辺境を守る者として足手まといだと兄に言われる』
『お嬢様は僕よりも強いですし、力任せではなく技術も優れていると思います。それに』
ロバートの言葉に当時中途半端な自分が救われた。
「お嬢さまこそ」
「健康だけが取り柄だからな。常に自分の最善な状況を維持しないと目標である女騎士になれないからな」
かつてロバートが与えてくれた目標。
『男性では見逃してしまう危機や男性が立ち入れない場所まで守ってくれる女性の騎士がいる方が安心する人も多いと思いますよ』
その言葉を聞いて目から鱗が落ちるというのはこのことなんだろうと思った。女騎士なら女性でも守る事が出来る。お淑やかさは護衛する場所によっては必要な教養だ。
今まで興味を持たなかった……持てなかった学問に興味を持ち出し、苦手なドレスもお化粧も学んだ。女性騎士。女性の傍で常に護衛するためならそれ等は苦でも何でもなくなったのだ。
「仲いいのね」
くすくすと笑い声と共に声を掛けられる。まだメリクリウス公爵令嬢がこの場にいることをすっかり忘れていた。
「カトリーヌがそこまで心を許せる方がいるとは思いませんでした。――あのような方々ばかりで心が落ち着かないかと案じていました」
気遣うような声。
「ロバートは目標をくれた存在です。いつか女騎士になって王太子妃を護衛すると言う目的を………」
と言いかけた矢先、メリクリウス公爵令嬢は眉を顰め、
「――カトリーヌさま。その夢を諦めてもらえますか」
沈痛そうに告げてくる。
「メリクリ………いえ、ヴィオレットさま……?」
いつもならあまり呼ばない名前の方でとっさに呼ぶ。なんとなく今はその方がいいと思ったのだ。
「――貴女に守ってもらいたいものがあるのです」
沈痛そうにそれでいて為政者としての責任を持つ者の空気を放ち、彼女が告げた。
どれくらい時間が過ぎたのだろうか。空き時間でぼんやりとヴィオレットさまの言葉を反芻していた。
「ずっと女騎士になりたかった……」
「お嬢さま」
ヴィオレットさまに告げられた言葉をずっと考えていた。わたくしの守りたいものを。
女騎士という希望を与えてくれたロバート。
「女騎士ならば守れる。王太子妃を王妃を常に守って国を守れると。――辺境伯令嬢として産まれたのに武器を持って戦うなと言われてきた自分に出来る方法だと」
でも、違った。本当になりたかったのは――。
「――ロバート。わたくしは決めたよ」
だから力を貸してくれと告げるとロバートは跪き。
「わが主の思うがままに」
と告げてきた。
それからの展開は正直流石ヴィオレットさまとしか思えない。
ナタリー嬢の取り巻きを次々と貴族としてすべきことをなさなかったと言うことでその者らの家に通達。そこには我が兄と婚約者も含まれていた。
ロバートが風紀委員として集めた証拠にはナタリー嬢が危険な道具を使用している事実も発覚して、彼女も処罰された。
「なんでよっ!! 女だから家も騎士にもなれず腐っていって婚約者と兄に認められているあたしに嫉妬する悪役令嬢の設定でしょう!! 何で設定どおりに動かないのよっ!!」
学園内のことだからと風紀委員に捕らえられた彼女は意味が分からない言葉を喚き続けていた。彼女は問題行動を起こして退学。
………では済まないだろう。大事にならない程度でおそらく何者かによってひっそりと消されるだろう。
「なんで俺が蟄居などと。俺は辺境伯になるんだぞ!! 俺以上に強い奴がいないとこの地は守れないんだからな!!」
今の段階では蟄居な兄の喚き声に呆れるしかない。
「俺こそ唯一の――」
「兄上。貴方はわたくしに向かってさんざん女が武器を持つな。騎士になれないと言い続けてきましたね」
兄は気付いていたのだ。
「自分よりも才能があるわたくしを潰すために洗脳のように言い続けて」
ロバートに言われて女騎士を目指していくうちに気付いた。わたくしには才能があることを。そして、わたくしは妃殿下たちを守る形になれば国を守れると言う覚悟もあったと。
「ロバートがいなかったらナタリー嬢の言うように腐っていっただろう」
だけどわたくしはそうはならなかった。
「女でも辺境伯になれる。いえ、此度の騒動で優秀な跡取りは男でなくてもいいと王太子が法律を変えると言われました。――わたくしが辺境伯です」
第二王子が当てにならないから孤軍奮闘したヴィオレット嬢を見ての王太子の英断には恐れ入った。それを裏で支えた王太子妃にも――。
直接お傍で仕えられないことが残念だが、それでもあの方たちのお役に立てる。
「婿にはロバートを迎えます。我が領地には彼のような計略を未然に防げる伴侶が必要なので」
戦う力が無い者は役立たずだと豪語していた兄からすればロバートの立ち位置も許せるものではないのだろう。こっちに向かって攻撃してこようとするのを横目にロバートの言ったとおりになったなと笑う。
挑発に乗らなければいつか出られる蟄居程度で済んだのに。
兄の腕を近くにあった燭台で叩きのめし、腕の骨を折る。
「兄上。ナタリー嬢に唆されて一生徒を脅迫した証拠は残っています。これ以上恥をかかせないでください」
騎士の風上にも置けないが自分が騎士であると言う考えだけでずっと生きてきた兄に騎士として磨いてきた腕を潰す。
それがどれだけ本人の心に傷を負うか理解してきた。だが、騎士を名乗りながら騎士と思えぬ行動をした兄に二度と騎士という名を使わせたくないからの判断。
兄は答えなかった。腕を折られた痛みか。希望を折られた心か。どちらかが答える気力を奪っていた。
「さて、事後承諾だがロバート」
わたくしには辺境伯領を共に守ってくれる伴侶が必要だ。
「わたくしの夫になりなさい」
命じる声に迷いはなかった。実はずっと言いたかったことだと気付いていた。
わたくしの願いは辺境伯領を……国を守ること。そして、共に守ってくれる人材はロバートがいい。
縋る目をしていた気がする。その目に気付いたのかロバートはただ微笑んで、
「お嬢さまの仰せのままに」
と告げて抱き寄せてくれた。
ロバートには前世の記憶がある。だけど、同類だとヴィオレットさまに言われた乙女ゲーム(?)というのは知らなかった。
乙女ゲームのカトリーヌさまは騎士の夢を絶たれて腐っているお嬢様という設定だったが、前世の記憶があったロバートは女性の有名人が女性SPがそばに居てほしいと言う話を聞いたのでそれを伝えただけだ。
第一、彼は女性騎士というのはオタク的意味で好きだったのだ。カトリーヌさまがそれを目指すのなら格好いいだろうと思ったから応援した。そこに他意はない。
でも、彼女が彼女であれるのなら何でもいいと歳を重ねることに思えてきた。そのためならなんでもしようと決意したのだった。