最も容易で重い罪
だらしなくも畳の上にゴロゴロ寝転がって棚に置いてあった適当な漫画を読み漁っていると、その間ずっと暇そうにぼーっと天井の木目を眺め続けていた鈴蘭が脈略もなく、唐突に口を開いてぺらぺらと喋り出した。
……構うのは面倒だが無視するともっと面倒なので、ちょうど山場を迎えて話が盛り上がっている場面の漫画を気にしつつも、見開きにしたままで一旦は腹の上に置いてからちゃんと顔を向けて聞いてやる態勢に入った。
「全ての生きとし生ける人々が、須らく罪人である――と、人々に真理として語り継がれ続ける由縁。その最も重い罪――原罪が、実際には具体的に何のことなのかを知っていますか」
「……神に、背いたことだろ」
「抽象的ですが、まあいいでしょう」
……クソうぜぇなオイ。
「正解は、――『嘘』です」
「――――」
「人が犯し、未だ安易に犯し続ける最も容易で重い罪です」
――――。
「何故、人の中から魔女ばかりが生まれてくるのかを知っていますか」
「神が宿るからだろ」
「その通りです。男性でも、神秘の恩恵にあずかって超人的能力に目覚める可能性が全く無いわけではありませんが……生命を宿せるのは女性の特権なので、やはり比較してしまえば殆ど無いに等しい確率になります」
――正確には。宿し子が男だとか女だとかはどうでもよく、全く関係がない。
重要なのは、生命の産み腹という役目を授かったのが女という実体を持った生命体であり、その役目によって稀に神に近しい子を産めるよう適応した女が、小さな影響を受けて自然と魔女に至っている、という部分だ。
大した差ではない。先天的に神に近く生まれやすいのが男で、後天的に魔女へ至りやすいのが女というだけで。なりやすい、という程度のものだ。
……だが、そうして本物の魔女だけが人の子の実体が存在する次元の現世に増えていると、まるで一見して魔女だけが多く増えたように人の子は錯覚してしまうのだろう。
「お兄ちゃんはどう思いますか」
「無理だろ」
視ずとも分かる。あれは、――至って典型的で平凡な男であり、どうしようもなく只人にしかなれない――人の子だ。
ただでさえ先天的に神に近く生まれられなかったのなら、既にある程度の歳を重ねておいてさらに後天的に神に近く至れる可能性など――限りなく無いに等しい、と断言してもいい段階だろう。
「お姉ちゃんなら、どうでしょう」
「――――」
「分かりませんか」
ふふふ、と天井の木目を眺めながら鈴蘭が思わず、と珍しく口角を上げて可笑しそうに嗤った。
「――お姉ちゃんが、私のお母さんになれば良かったのに」
「…………」
「そうすれば私も、こんな中途半端に生まれることもなかったのでしょうね」
上がっていた口角をさらに歪ませて、皮肉気に言葉を締めくくる。
暫くの沈黙ののちに再び、鈴蘭がぼそりと囁くように口を開いた。
「……神に嘘は通じませんよ」
「――知ってる」
「分かっているのなら、いいのです」
首が疲れたのか、天井を見上げるのを止め、そのまま外庭へと瞼を閉ざしたままで視線を顔ごと動かした。
……中途半端、な。
「――ぼうたんは、どっちだと思います?」
――――。
「……男だろ」
「へえー、あなたにはそんな風に視えてるんですね」
「オイ」
「意図してあなたの力を試したわけではありません。ただ、今のあなたには彼が一体どう視えているのかがふと気になっただけですよ」
クソうぜェことを……。
「なにせ、ぼうたん本人の魂はほぼ男で自己申告も男なのですが……その身体自体は丸っきり女の子ですからねえ……間を取って男の娘、というところなのでしょう」
「なんだ、そりゃ」
「魂の巡りの混乱により産まれてしまった、人の子の歪みです」
――――。
「それだけ増えすぎてしまいましたから。……全てを救うために、分割せざるを得なかった代償の一例ですよ」
「ハッ、だからって八割二割で守り人になんのかよ」
「ええ、そうです。完全に十割であれば、間違いなく魔女になっていたことでしょう。……ですが、実際には割符のようにカチリとハマる調和の為に混ざってしまった。破綻寸前の自転車操業も良いところです」
「ハッ、既に魔女にまで影響があんだけ色濃く出てんだ。もうとっくに破綻してんだろうがよ」
「……そうですね。おっしゃる通りです」
鈴蘭がそれと分からないほど小さく頷き、肯定を示し――。
「魂の巡りの乱れ、それによって延々と『戦争』『疫病』『災害』という人知を超える天変地異の混沌に襲われ続け、安息も許されずに乱され続ける人の子たちが一体全体何をしたというのか。そうした災難に見舞われ、その度に神の救いに対して懐疑的に煩う人の子たちに、そうなるに至る何かしらの明確な罪、過ちがあったのだと気付けるように導くとするならば、きっとそれは――古来より人の子たちが『嘘』を過剰に吐き続けたことであり、そして今もなお変わらず過剰に『嘘』を吐き続けていることが原因である、という導きになるのでしょう……」
「――――」
「辻褄合わせ、帳尻合わせ、神に救いという名目で都合の良い整合性を常に都合よく吐露し、求め続けた代償。……人々が『己は罪人である』と当然のように認識するのは、己が犯した最も重い罪に対して無自覚に気付いているからです。それは分かりやすく、罪悪感と言い換えてもいいでしょう」
罪悪感。それは神には決して無いものだ。……感情が無いからな。
感情のある人の子――生命だからこその、特有のものなのだろう。
「人の子の道理を神は理解出来ますが、決して共感はしません」
「…………」
「手を取り慰めることでその人の子が救われるのなら、包むように手を取りましょう。人の子の間で犯した許されざる罪が赦されることでその人の子が救われるというのなら、赦しを与えましょう。……それは慈愛でも何でもない、実に淡々とした――天秤を傾けないようにと常にバランスを整えるだけの、実に淡々としたただの作業に過ぎません」
神は調和を維持する。
それは神の本質であり、存在意義であり、特質そのものだ。
……不要となれば、躊躇なく自らを滅ぼすことさえ厭わないほどの。
「――神に嘘は通じません」
ここまで言われてまさか……神が全てを見通すから、などという安易な意味ではないだろう。
――そもそも神には嘘が存在しない、それが全くもって感情が無い神にとっては全くもって必要ないものだからだ。
だからこそ全てをそのまま受け入れられる、ということを伝えたいのだろう。
「――あァ、知ってる」
「……ですが、懺悔なら通じます」
――――。
「懺悔であれば、きっと、――」
「……そうかよ」
神が何を成す為に、ミルローズという存在を生んだか理解していながら……いちいちお節介なやつだぜ。
「――嘘は、神に対する最も重く、罪深い過ちです」
「…………」
「――それでも神は、変わらず赦しを与えることでしょう。ですから、――」
――神から生まれた、最も人に近い聖霊であるあなたの選択の全てを、私は尊重します。




