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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マヨイガ

マヨイガ〜家に帰る〜

作者: 吉尾京

 だから実家には帰りたくなかった。

 この地域にたったひとつのコンビニで安酒を買って、ひとり悪態をつく。

 田舎はどこもそうだ。口を開けば結婚、出産。私はこの村の人口を増やすために生まれてきたのだ。

 七つ離れた兄には「優雅な独身貴族」と半ば好意的なのに対し、まだ二十五の私にはやれ売れ残りだの責任感がないだの言いたい放題。仕事で重要なポジションにいるのだと説明すれば女の癖に男の真似事をして下品だと散々な言われよう。

 このまま縁を切ってしまおうかとも思ったが、流石にそこまで邪険にできない。こういう感情こそ支配されている証拠だとわかっているのに放ってはおけないのだ。

「いや、ひとり暮らしできてるだけマシだけどさぁ……」

 誰に言うでもなく愚痴る。街灯にたかる蛾は返事をくれない。

「隣いいかな」

「ギャッ!」

真っ暗な闇から声がした。成人男性のそれは、私を怯えさせるのには充分だ。特にこんな誰もいない真っ暗な夜なら尚更。

「ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。こんなところに女の子がいるなんて思ってなくて。声もかけずに横に座るのも失礼かなって……あ、ナンパじゃないよ、挨拶だけ」

 悔しいことに、声は驚く程いい。勝手にイケメンだと思って返事をする。

「いえ、すみません。私、実家に居づらくて」

「少し聞こえた。こんな時期に帰省なんて珍しいね」

 季節は秋。確かに社会人の帰省にしては遅すぎる。普通はお盆だろう。

「兄の……命日なんです。私、ふたり兄がいて、そのうちのひとりが去年の今頃亡くなって……。だから、帰ってきたんです」

 突然の出来事だった。原因は未だ不明。山奥で登山客に発見されて、死亡したのはハロウィンぐらいだろうと検死でわかった。

 元気で気さくな人だった。確か隣の県で働いていた。住んでいた場所もそうだったはずなのに、わざわざ田舎の山奥で何をしていたのだろうか。

「そうだったんだ。ごめんね、変なこときいちゃって」

「いえ、いいんです。少し酔っちゃったなぁ。愚痴っていいですか?」

 隣の男性は居酒屋のような返事をした。この時間のテンションじゃない。

 私はその明るさに救われて、どんどん心のモヤを吐き出していく。会社のセクハラと、実家の圧力。人生にストレスがないようにとは言わないから、せめてわざと苦しめるようなことだけはやめて欲しいな。

 全て話し終わった頃には、月が見えていた。雲はとっくにどこかへ行ったらしい。

 月明かりは私達の正体を明かす。目の前で深刻そうに頷いていたのは、ゾーッとするような整った顔の成人男性だった。

 思わず身体が後ろに逃げる。佐藤健とか、福士蒼汰とか、横浜流星とか、そういうタイプのイケメンは至近距離にいられない。この人はどちらかというと、外国人のような……。

「ごめん、距離が近かったみたいだね。まだ暗いところに目が慣れてなくって。ちょっと離れるね」

 気遣いができるイケメンだった。多分女慣れしているのだろう。

 彼は少し腰を浮かせてベンチの端に移動した。その時にぺそりと揺れてぶつかった袖には、両方とも手がなかった。なるべくじっと見ないように目を逸らす。

 この人も、私と同じように苦労したのだろうか。いいや、それこそ偏見か。

「ああ、これ? ちょっと嫌なことがあってね、肩からバッサリだよ。元はあったんだけどねぇ」

 でんでん太鼓のように身体を振って袖をぺちぺちと巻き付けたり離したりしている。茶化しているつもりだろうか。

「不便はないから安心して。少なくとも僕の周囲はいい人達ばかりだ」

 そういう風に言える人になりたかった。周囲の心配や偏見に、笑って「みんなのおかげ」なんて言える人に。

 やばい。九パーセントは強すぎた。

 この人と話すのは心地いい。そういう風に振舞ってくれているからだろうか。五体満足な人より、悪者扱いに慣れているのだろうか。底抜けに明るく、優しく、いい人だ。

「私も、そんな風に言えたらよかったんですけど……」

 私と同じ顔をして一緒に悲しんでくれる。確か人はそうすると仲良くなりやすいんだっけ。

 わかっていてやっているのなら、とても賢い人なんだろう。

「僕は実はあるお店のオーナーでね、そこで働くベビーシッターを探しているんだ。子供の世話はできるかな。勿論、無理なら別の業務を振り分けるけど」

「えっと……。私まだ仕事してて……」

 最近やっと重要な仕事を任されたばかりだ。入りたてでも女でも、仕事ができれば使われる、いい職場だ。

「……今から話すこと、内緒にしてくれる?」

 男性はキョロキョロと周囲を見回してから小声で言った。こんな時間のこんな場所に、誰もいないのに。

「あのね、僕、実はおばけなんだ」

 何を言い出すかと思えばそんな子供騙し。私は笑って返事をした。

「珍しい。若いイケメンのおばけもいたんだ」

「確かに発生条件から言えば幽霊は黒髪ロングで白い服の女性しかいないけれど、おばけは別だよ。まあ、幽霊でも日本兵とかはいるか……」

 おばけに対して発生条件なんて言葉を使うのがなんだかおかしくて、酔った私は大声で笑った。男性は困ったように笑う。この人は怒ったりしないんだな。

「生きてる人間が、死んで可哀想だなぁと思ったら、そこに幽霊ができる。おばけも同じ。ただちょっと違うのは、それが連続しているかとか、思いが強いかとかだろうね」

「じゃあ貴方も可哀想なんですか?」

 男性は少し悩んだ。

「可哀想と感じるかは人によるけど、まあまあ壮絶だったかな。唯一の救いは東京の大学に行けたこと。そしてそれが一番の原因かもしれない」

 頭もよかったのか。確かに話していてそんな気はしていた。

 それから男性は生い立ちと死後の話をしてくれた。難しい話だったけれど、かなり噛み砕いてくれた。

「つまり、今そのお店の店員を集めているところ……ってこと?」

 いつの間にか敬語はなくなっていた。男性もそっちがいいと言ったのでそのままタメ語で話す。

「そう。みんなでたくさんの赤ちゃんを育てているの。なぜか愛情をかけるとおばけのはずなのにすくすく成長するんだ。不思議だね」

 育って大人になった赤ちゃんは、そのまま店員になるそうだ。それで男女比が女性多めになっているのだとか。

「私が行ってもいいの?」

「勿論! 僕は女の子には幸せになって欲しいし、たくさんの女の子に囲まれてすごしたいっていうすけべ心もある」

 だから……と再度ラブコールを受けて、私はいい返事をした。二度と現実には戻れないという言葉に、少し惹かれたのだ。


*********


 少しの研修期間と、優しい先輩達。可愛い赤ちゃんや小さな女の子達。イケメンなオーナー。ここはあの世の天国か。

 オーナーの話ではここは異世界らしい。異世界といっても魔法が使える訳でもドラゴンがいる訳でもないけれど。どちらかというときさらぎ駅が近い。広い村のような場所に、洋館と小料理屋。それから働く人達の家。少し不便に感じる時もあるけれど、ゲームや家電やスマホも使えて、想像よりは自由だ。

 育児も思ったより難しくなく、大人しくていい子達だった。だからといって手を抜くことはしないが、みんなで協力しているのでひとりあたりの仕事が少なくて済む。

「明日はハロウィンだね」

 先輩がそう言った。この世界には女性が圧倒的に多い。男性が三人なのに対して女性が数十人程いる。赤ちゃんまで数えたらそうというだけなのでそういう業種……例えば看護士や保育士なんかは常にこういう状態なのかなと思う。

 男性は受付の人と、オーナーと、案内係の人だけ。案内係の人は定年直前、受付の人は二十代前半、オーナーは三十歳だ。

 年上の部下がいるってどんな気持ちだろうと思ったけれど、そういえばこの人は享年が三十歳なだけで、実際はおばけになってうんと時間をすごしたのだろうな。

「ここってハロウィンの行事とかするんですか?」

 先輩はあれっ? と意外そうな顔をして、それから私が新参者だと気づいたようだ。

「ああ、まだ経験ないのか。毎年ハロウィンになるとね、あそこの洋館……私達の職場は、現実と繋がるの。それで、呼び寄せた相手を無理矢理仲間に……って、ちょっと怖いか。でもね、変なことはしてないんだよ。相手が勝手に変になるだけ」

「そういえば、兄の死んだ日もハロウィンでした。隣県に住んでいるはずなのになぜか私の実家がある県の山奥で見つかって……。やっぱり殺人事件なんですかねぇ」

 先輩は黙って顎に手を当てる。真剣に考えている……ということだろうか。

「もしかして、ここと関係がある? その人って、どこかがちぎられていたりとかした?」

「ちぎ……いえ、その、目立った外傷はなくて、毒や内臓の不審点も見当たらなかったらしくて……警察は多分登山途中の心臓発作だろうって言っていました」

 しかし深夜にスーツ姿で登山などするだろうか。もしそんなことがあるとすれば、職場で死体を処理することになったとか……それはサスペンスの見すぎか。

「ああ、もしかしてその人の名前って――」

 先輩は私の兄の名前を当てた。驚いて、そのからくりを探る。

「その人は去年のお客さんだよ。確か目がいいからって呼ばれて、私が担当したんだけど立ち上がった後何かに怯えてどこかへ飛び出しちゃった。何があったかは知らないけれど、その後死んじゃったんだ……」

 何があったんだろう。普段はそんな人じゃなかったのに。いや、最近ずっと会ってなかったから知らないだけか。

 先輩の話が正しければ、兄は一度ここへきて、先輩のシャンプーを受け、それから発狂してどこかへ逃げ出した。なぜ発狂したのか、その答えはここが異世界であることと関係があるのだろうか。

「あの……目がいいっていうのは?」

「ここは選ばれた人しか入れないんだよ。呼ばれた人か、視える人か……。多分貴方達は視える人だから呼ばれたのかな」

 幽霊の現物は見たことがない。でも、おばけであるオーナーのことははっきりと見えた。もしかして他の人には見えないのだろうか。

「私はただ呼ばれたのか、それともあの洋館が視えたから呼ばれたのか……。とにかく、素質はあるんだと思う」

 この世界が幻想には見えない。それは私に素質があるからで、一般的な人は見えないのだろうか。他の人が何を見てすごしているかなんて、知る訳がない。知る方法だってない。それなのに、違うことだけははっきりとわかってしまう。

 それがきっと、人が揉める原因なんだろう。


*********


 時計の針が空を指しているのを見て、伸びをひとつ。月曜日は誰だってこうだろう。

 現に俺の周囲には同じように画面とにらめっこしている奴らが五六人いる。

「休み明けにそんなに無理することはない。君も早めに帰りなさい」

 兄の一周忌だか何だかで田舎に帰っていた女性に声をかける。実は年甲斐もなく俺はこの子に惚れている。オッサンから好かれても迷惑だろうと、公にはしていない。

「はい。お気遣い頂きありがとうございます」

 正面から見るのも照れくさくて横目に彼女を見る。心做しか田舎に行く前と違う気がした。

 何が……とは明確には言えないが、身に纏う雰囲気が変わっている。外見も声もそのままなのだが、返事の内容だとか、イントネーションなんかが違う気もしてきた。

 所作も、失礼だが彼女はそう上品な方ではなかったはずだ。しかしここにいる彼女はとてもそうは見えない。どこかで礼儀作法を習ったように見える。

「君は……その……田舎で何かあったのか?」

 俺がそう言うと彼女は少し驚いたような仕草をして、それからなんでもないと言った。

「なぜそう思われたのですか?」

「いや、君が、その、あまりにも……」

「他人のようだったからですか?」

 俺は息を飲んで黙った。自覚があったのか。

「そうだ。田舎に行く前とかなり違う。田舎で何があったんだ? 親に何か言われたのか?」

 これ以上はプライバシーに関わるそもそも大して仲良くないおやじにあれこれと詮索されていい気がする若い女性などいない。最悪セクハラで首が飛ぶ。

「――来年は、貴方ですね」

「……来年? 何の話だ。教えてくれ」

 しかし俺の質問を敢えて無視したのか、彼女はそのまま帰ってしまった。

 翌日も、その先も、彼女は前とは違っていたが、仕事ができるので俺以外は特に何も言わなかった。友達なんかは何かを言ったのだろうが、俺は彼女の交友関係を知る程親しくもない。

 来年……来年?

 彼女の言葉の真意が掴めぬまま一年を過ごした時、俺はその意味を知ることになるのだろう。


*********


 十一月も中盤になるとすっかり秋めいて、どこか肌寒ささえ感じる。紅葉が見頃だと聞いたが、そんなものを呑気に見ている気分にはなれなかった。

 俺は有給を使い、彼女の田舎へと向かった。やりすぎだと言われそうだが、どうにも引っかかったのだ。あの、外側だけを残して丸々入れ替わってしまったような彼女にどうしても納得できなかった。

 何か理由があるはずだと、その時の俺は思った。それがこんな大胆な行動になるとはその時は思ってもみなかった。

 彼女の実家は会社から車で一時間程の場所にある。正確な住所を知っている訳ではないが、話の弾みにどこの辺りに住んでいるかぐらいは聞いた。

「何の変哲もないただの田舎だな……」

 だがそうは言っても俺はこの土地に漂う嫌な空気を肌で感じていた。どこか他人を寄せ付けないような、そんな空気だ。人通りは少なく、その人達もよそ者を値踏みするかのようにジロジロと眺める。

 看板の落ちたパチンコ屋。咳をする軽トラック。レトロと呼ぶにはまだ新しく、若者にとっては馴染みのない懐かしさ。

 俺には故郷と呼べる田舎がない。埼玉の住宅地で生まれ育ち、東京の本社から左遷された俺には、懐かしむ田舎などないのだ。


「こんなところに行ったら確かにおかしくもなるだろうな」

 傘をさす程でもない霧雨に打たれて、知らない土地を歩く。量販店で買ったジャケットはじっとりと湿った。

 縁もゆかりもない住宅地。観光地なら兎も角、人が住んでいるだけの場所にわざわざ出向く機会はない。知り合いがいる訳でもないなら尚更。

 特にこれといって面白いものはなく、退屈な町だった。わざわざ足を運んだのは自分だが、早くも後悔してきた。

「珍しい。ただの住宅地に観光客がいるぞ」

 やけにハキハキとした男の声がして、振り返った。なんとなく、自分のことを言われていることはわかったから。

「……なぜ観光客だと……?」

「こんな狭い田舎じゃ、みんな知り合いさ。知らない人がいればそれはよそからきた人だろう」

 そういうものなのか。俺の実家は住宅地だったが、近所付き合いがそこまで活発じゃなかった。田舎特有の文化なのだと自分を納得させる。

「確かに俺はよその人間ですよ。しかし観光客じゃあない」

 男は器用に片眉だけを上げた。ルパン三世を思い出す。唸るほど男前だがどうにも表情が陽気すぎる。

 黙ってじっとしていれば入れ食いだろうが、そうでないから世の男達はおこぼれをあずかれるのだろう。

 早いうちから才能を見出されていれば今頃はカンヌにでも行けていただろうに、どうやらここの住人達は目が肥えているようだ。

「じゃあ人探しか。諦めた方がいい。その人はもう、ここにはいない」

「なぜ断言できるのですか?」

 男の目を見る。底の見えない穴のようだった。日本人に見えないのは、この派手な色合いの虹彩のせいだろう。

「ここの住人は生まれてから死ぬまでここですごす。そうじゃない奴は二度と帰ってはこない。外に出るのが面倒な奴か、こんなクソみたいな場所にはいたくない奴か、どちらかだ」

 お綺麗な顔とは似つかない粗野な口調。探偵ものの小説か、戦後すぐの映画で見たような話し方だ。

「……会社の女性が供養のためにここへ帰ったんです。一週間もせずに出社したのですが……」

 こんなことを見ず知らずの人に話して何になる。それでも俺の口は止まらなかった。

「まるで別人のようだった……?」

 驚いて彼の目を見る。陽気な表情を鎮めるとたちまちシリアスになる得な顔だ。

「そうです。こんな嘘みたいな話、にわかには信じ難いでしょうが……」

「信じるも何も事実だろう。自分の知識や理解が追いついていないだけだ」

 そう……なのだろうか。ただ俺の推理力が低いだけで、本当はなんて事ないのかもしれない。実は彼女は双子で、たまに入れ替わって遊んでいるとか、そんな陳腐なからくりだったりするのだろうか。

「――でも、いい線行ってるよ。現に彼女は僕の店にいる。この前も初めてお客さんに指名されたばっかりだ」

 指名、店……嫌な予感がした。彼女が何者かに脅されて、よくない店で身体を売っている予感が。

 俺の顔に書いてあったのか、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。俺が彼女をそういう目で見ていただけだと知り、赤面する。

「ただのマッサージ屋だよ。まあ最近はそういう名目でよからぬ事をする店もあるみたいだけどね」

「なぜ彼女は急に……仕事は上手くいっていたはずでは……」

 俺からは見えない位置で、死にたいと願うような不幸があったのかもしれない。俺は彼女の一面しか知らない。

「彼女がそう願うから、中身だけを頂いたよ。どうやら外側はちゃんと同じ日常を繰り返してくれているらしい」

 人間は中と外で別れることができるのか。なんともスピリチュアルな話だが、彼は冗談で言っている訳ではないらしい。

「つまりあんたは、あの子がドラえもんのコピーロボットみたいにそっくり別人に入れ替わっているっていうんですか」

「違うよ。人間は元々、物質としての肉体と、精神としての霊体に別れているんだ。物質としての肉体はそれだけでも生きていけるし、脳が機能していれば思考だってちゃんとできる。霊体は肉体を認識した人物の記憶を元に形を作る」

「か、形を作って……?」

「それだけだ。気にも留めない人間からはいることさえ気付かれない。ただ、思考だけが浮遊して生きていくんだ」

 それはいないのと何が変わらないのだろうか。本人は今ここにいると認識しているが、世間がそれを認めない。ならばそれはいないのと同じだ。世の中は多数決で決まる。自分以外が死人だと言うなら自分は死人だということだ。それを認められずにいる存在が、もし実在したとすればそれこそが幽霊なのだろう。

「幽霊と違って、死んで可哀想だなと思ってくれる人間がいないから、認識されないし、存在も認めて貰えない。生霊でも死霊でもなく、入れ替わったことさえ誰にも気付かれないまま、誰にも話しかけられず、誰にも触れず、ここにいることも伝えられない。同じ仲間がいればお互いを認識できるから、ひとりでいるよりは居心地はいいだろうね」

「なぜあんたはそれを俺に教えてくれたんだ」

 男は俺の目をしっかりと見て答えた。脳が直接支配されるんじゃないかと思う程綺麗な緑の瞳とかち合う。

「お前が、いい腕をしているからだよ。来年のハロウィンにまたここにくるといい。今度はちゃんと彼女にも会わせてあげるよ」

 俺は写真を撮るのが趣味だ。大きな大会だか展覧会だかで暫く飾られていたことだってある。アメリカやヨーロッパの美術館にだって飾られた。この仕事を辞めてそっちで食っていけと何度も言われたが、安定を求める俺はそれを仕事にする勇気がなかった。

 彼女を撮影して欲しいのだろうか。しかしなぜ来年のハロウィンなんだ。そういった……すけべな格好をさせるつもりなのか。

 まあいい、ここで粘る程俺と彼女は親密ではない。いくら俺が強く願っても、彼女は俺の顔さえ知らないかもしれないのだ。流石に全く見覚えがない訳ではないだろうが、しっかり覚えているかは怪しいところだ。

「そうですか。じゃあ、そうします。彼女にも伝えておいてください。気にするやつはいるってね」

「やめとくよ。彼女が気味悪がっちゃいけない」

 それもそうかと笑って、俺は村を出た。知らないオジサンにあれこれ詮索されたと聞いていい顔をする若い女性はいないだろう。


車に乗り、五分程進んだところで、なぜ彼が俺の写真の腕を知っているのか気になった。まあ、展覧会で名前と顔を確認したのだろうと自分に言い聞かせて、僅かな不安を揉み消した。

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