一番になる瞬間
キャバクラで指名をしてくれる人は、少しばかり多くお金を支払っている。
それは1000円だったり、2000円だったり5000円だったりするのだけれど、指名されると「今、この人は私が一番だと思っていてくれている」と感じる。
基本料金で飲むフリーのままならたくさんの女の子と話せるし、彼女たちは指名が欲しいからみんな優しい。(一周目は)
生まれてきてずっと、私は誰の一番でもなかった。
母親はもちろん、写真と通帳の振り込み名しか知らない父親も。
私を一番見ていてくれた祖母でさえ、やっぱり私を一番大切だとは思ってくれていなかった。
祖母の一番は、伯母さんの娘の、チカちゃんだった。
だから私は、お客さんに本当の名前を聞かれるたびに「チカ」だと名乗った。
そう名乗るたびに、自分が自分で無くなっていく気がした。それで良かった。
お客さまは神様です、というフレーズが好きだった。
流行ったのだか、テレビの懐古番組で見たのだかは忘れたけれど、私はそう言える店員でいたいと強烈に思ったのを覚えている。
お店の中の30分だけでも、1時間だけでも、私を一番にしてくれるお客さんが、私は大切だったし、その人の席についている間は、その人を一番大切に思った。
神様を信仰するような気持ちで。
だからあのフレーズは、確かにそうなのだ、と思っていた。
お客さまは神様だった。
お金を払って、その効果が持続している間は。
みんな、元気にしているのだろうか?
たぶん、元気だと思う。
たまに思い出す彼らは、やっぱり神様なのである。
だって思い出すのは店内で指名してくれている姿だから。
私は子供の一番の母親でいたいし、夫の一番のパートナーでいたい。
もっと優しくしたいし、もっと笑顔でいたい。
怒りたくないし、怒らせたくない。
でも、ダメなことはダメだと教えて貰えなかった私は、ダメだと伝えるのが愛情だと、身をもって知っている。
いつ死ぬかわからないから、いつだって愛情を伝えていたい。
大切だと伝えたい。
私は一番になれているだろうか?
毎日、毎夜考える。
アセクシャルが人を愛すると、重たいのかもしれない、そう思う。
普通の子ども時代を送っていない私は、子どもにも愛情を注ぎすぎる。
マザコンにならないようにしなければならないと思い悩みながら、私はこの手で過保護にあやし続けている。
もう10数年も。
それも仕方の無いことなのだ。
無条件に私を一番に愛してくれる子どもが、私には『永久指名をして貸しきりにしてくれる、お客様』に見えるのだから。
私は死ぬまで、子どもと夫の良き店員でありたい。
普通の母親や妻が、わからないから。