元風景
平べったい布団の上で昼寝をしていた。
その瞬間の私は、自分がどんな姿なのか認知していないくらいに幼い。
はき出し窓が開いていた。
風で揺れる白いレースのカーテンがふわふわと大きく揺れて、反射した光が眩しかった。
私の一番古い記憶。
今となってみれば、家のカーテンが白くきれいに保たれていたこと等ほとんど無く、母親が洗濯をしていた姿も、一度も見たことがない。
家のカーテンはタバコのヤニで黄ばんで汚れていたし、祖母は目が悪かったからそんなに気にしたりはしなかった。
次の記憶は幼稚園の持久走で気持ち悪くなった時のこと。
母親の足に挟まれて、原付で幼稚園に行くのが怖かったこと。
幼稚園の隣の竹林が怖かったこと、幼稚園のうんていにぶつかったこと、先生が優しかったこと。
灰色の団地がいくつもいくつもあって、その中でも私が住んでいた5階建ての団地は古かった。
10階まである団地に住む子からは下に見られていて、
「マミチャンち、エレベーター無いでしょ?」と言われる度になんとも言えない気持ちになった。
ちなみに一軒家に住む子は少なくて、お金持ちの家の子だと一段上に思っていた。
これはもう、小4の記憶。
その頃にはもう父親らしき人物はおらず、母親もたまに帰ってきては泊まっていく(ほとんど泊まらないで帰る)そんなふうだった。祖母も毎日は来られなかった。
同じ家に住む、半分だけ血のつながった男の人(兄とも言う)が2人いて、でも彼らもやっぱりたまに帰ってくるだけ。私から「兄」と呼ばれたがらない人たちだったし、私も呼ばなかった。
母親やその人たちや祖母がいない時、私は家に一人だった。夜も。
隣の家が猫を飼っていて(ペットは禁止だった)夜中にベランダで猫が鳴くのが怖かった。
そうか私は怖がりだったのか。
私はあの団地にいる間、ずっと怖かったんだと気づく。
そう思い当たってみれば、悪夢ばかり見ていた。
車に乗っている母親を見て、そんなお金どうしたのかと思ったその日の夜には、車に乗って私を一人置き去りにする母親の背中を追いかける夢を見た。
低空飛行で何かから逃げる夢
大きな足や手や、そういう物に捕まりそうになる夢。どんどん身体が重くなって、逃げ場が無くなり、動けなくなるのが怖かった。
思い出す風景は、全部暗い。
団地に囲まれた小さな公園、団地の住民しか行かないマミーマート。大きな団地の下にある歯医者。じろじろ見られる小さな本屋、ビンを持っていくと5円玉をくれるパン屋、その隣の中華料理店、店の中の、丸くて赤いテーブル。
小便プール、団地に囲まれた小学校。
汚い貯水池に、竹林に囲まれた大きな家。
バス停のすぐ背中には、不気味な林があった。びくびくしながらバスを待った。時間が守られないバスを、小銭を握って一人で待った。
祖母の家に行くためじゃなかったら、バスになんて一人では乗りたくなかった。
草で割れたアスファルト、虫だらけの道。
夏草のにおい、枯れ草のにおい。桜並木、壊された自動販売機。
18か19歳か、そのくらいの夏の夕方。
川崎でお昼から深夜まで働いて、ホテルで寝て、起きて、朝から昼過ぎまで働いた、たぶんそんな日の帰りだった。
私はあの団地に向かうバスが出る駅のホームに立っていた。
駅の本屋は団地にあったのよりずっと広くて、きれいで
マックもすかいらーくもあって、ちょっと行ったらヤオコーがあって、モスがあって、チョコ臭かったハズの工場が、すました顔でたっていて。
私は近くの店に入って、人を見ていた。
昼間は人の少ない駅なのに、大学生や高校生が帰ってきて、スーツを着たサラリーマンがちらほらと見えるようになると、駅前のロータリーには迎えの車と、バスが並んだ。
あの場所が、全員にとってそうなわけじゃない。
だから私は自分の足で立てるようになった私は、その目であの場所を見たかった。
でも行けなかった。
行ったら帰れない気がした
私が大人になった後に団地に行けたのは、夫と結婚してからだ。