王太子殿下
フィーの元で暮らし始めて暫く経った頃のことだった。
「やぁ、久しぶりだね」
突如、離宮を訪ねて来られた方の姿に私は息を呑んだ。
この方は・・・
「王太子殿下!」
キャラメルブラウンの柔らかそうな髪に、フィーとお揃いのエメラルドグリーンの瞳。見目麗しく、お側にいるだけで妖艶な何かが漂ってきそうな超麗人。
ラディーシア王国の第1王子であり王太子殿下。側妃さまの御子でフィーの実の兄君でもある。
「そんなにびっくりしたかい?キアラ嬢」
「あぁ、いえ!その、名前、覚えていてくださったのですね!」
王城のパーティーでご挨拶をしたことはあるけれど、王妃さまの御子・バカ王子の元婚約者と言う立場ではおいそれとお会いするわけにはいかなかった方だ。
「もちろん。愛しい我が弟の婚約者、おっと明日は君の誕生日だから明日からは妃だね」
「・・・っ!こ、光栄なことです!」
「そんなに畏まらないで。今日のことはフィーにも話してある。勝手に会いに来た、なんてことが知れたらお兄ちゃん口利いてもらえなくなっちゃうんだ」
お、お兄ちゃんて。そしてフィーも口を利かないなんて何だか子どもみたいで。
「な、仲がよろしいのですね」
はっきり言って、フィーと王太子殿下の間柄はよく知らなかった。私がフィーのところに来てお会いしたのも今日が初めてだ。
「あぁ、溺愛してしまうくらいにね」
とさらりと仰る。まぁフィーに対して悪意は感じないし。
「君のところもショコラ嬢とはとてもいい姉妹だそうだね」
「えぇ。ショコラは元より親友ですから」
「そう。生家とは大違いなようでよかったよ」
「私の生家のこともご存じなんですね」
「そりゃぁ、君は弟の妃となるのだから。身辺調査はしっかりとするさ。元より・・・」
そう言うとマティアスさまが一拍おいて、私をその神秘的なエメラルドグリーンの双眸で見やる。
な、何だろう?
「愚弟の件では君にとても迷惑をかけたようだ」
「その、愚弟と言うのは・・・」
「無論、君の元婚約者の方」
「あぁ、ですよね」
「うん。我が弟は全く愚かではないからね。とてもかわいい私の弟だ♡」
何だかバカ王子のことを語る顔つきと、フィーのことを語る顔つきが全く違う。
一瞬和やかに微笑まれたものの、その表情はすぐにバカ王子のことを話す時の心底呆れた表情に変わる。
「君が陥っていた窮状を私と陛下が掴んだのは、あの愚弟が君が病欠だと言って君のかつての妹君を連れて王城のパーティーに出席した時からだ」
かつての妹、と言っても異母妹だが。名前はマリーアンナ。現在のあのバカ王子の婚約者におさまっているはずだ。もちろんそれを陛下が承諾していたらの話だが。
「誰が見ても明らかだったよ。度を超えたスキンシップが目立ったし」
「あははは」
外でもお構いなしにやってたか。あのバカップル。
「それにその日も私は君が処理した書類に決裁をおろしていたのだから、奇妙に思わないはずがない」
「え。私がやったと、わかったのですか?」
「どうせあの愚弟に書類作業なんて無理なのはわかっていた。それでも数は減らしていたんだがね。
ある時から全く遅滞せずに仕事がなされるようになった。調べさせたところ、全て君が処理し、あの愚弟は適当にサインだけしていたようだね。それは王妃の指示なのか愚弟の指示なのかわからなかったけど。君をあのようなところで腐らせないくらいには仕事を回しちゃったけど、大丈夫だったかな?」
「えぇ。そのおかげであちらより量は少ないものの、フィーのお仕事のお役に立ててますし」
「私が知っててやらせていたことは、怒らない?」
「王太子殿下にはなにかお考えがあったのでしょう?」
「そうだね。私も陛下もあの愚弟には頭を悩ませていたから。君の処遇も考えて相手は王妃だから慎重に調査を進めていたところに、あの愚弟が君のかつての妹を連れてイチャイチャを周囲に見せつけたんだよ」
「それはそれは」
「さすがに私も陛下と相談し、陛下はその日も君が王城に王子妃教育で来ていたはずだがと、王妃に尋ねたんだ。尤もその頃には、君がとっくに王子妃教育を終えていたことも把握していた」
「まぁ、そうですね」
そのころの王子妃教育は執務をやらせるための口実だった。
「けれど王妃は王子妃教育の時はなんともなかったから、その後で体調が悪くなったのではないかと言ったんだ。その瞬間王妃が明らかに陛下へ虚偽の申告をしたことが確定した」
まぁ、王子妃教育は既に終了していたわけだから。
「それと同時に私はある計画を進めようとしていたんだ」
「その、計画とは?」
「君を、フィーの妃にする計画さ」
「私を?その、何故私なのですか?」
「ふふ、そうだね。フィーは昔から君のことをたいそう大事に思っている」
「私は・・・そこまで大事にされる心当たりがないのですが・・・」
「君にとっては当たり前のことでも、昔から特殊な環境にいたフィーにとっては君は何より特別な存在だった。さて、どうやって君をあの愚弟から引き剥がし、弟の妃に据えるか。できれば君のかつての妹ともども破滅に持ってこうと考えていたんだ」
「よ、容赦ないですね」
「もとよりフィーは、君を長年苦しめてきたあのメロンディナ公爵家を許さないと思ってね」
「どこまでご存じなのですか?」
「そりゃぁもう徹底的に調べたさ。君の亡くなったお母君のことから継母・義妹の呆れるような所業、メロンディナ公爵の無能さ。そんな状況で公爵家が立ち回ってこられたのは君がいたからこそ。陛下もメロンディナ公爵は大丈夫かどうか心配していてね。領地経営が順風満帆だったから安心していたようだけど、まさか娘を冷遇した上に、娘に全てをやらせているとは誰が思うだろう?」
「まぁ、そうですね」
「だから私と陛下は公爵家ごと何とかできないかと思ってね」
き、規模が桁違いだ。
「そんな中、あの愚弟が陛下に婚約破棄状を持ってきたんだ」
「そうですね。私も陛下の印が押されている破棄状を突き付けられました」
婚約破棄ブームにあやかって、正式な陛下の許可の出ていない婚約破棄を突き付けることも絶対厳禁となっているのだ。
まぁ、あのバカ王子にしてはそこはよくやったと褒めてもいい。
「陛下の許可が下りたのはそう言う事だったのですね」
「うん、そう言うこと。ついでに一蓮托生で崩れ落ちるある秘策も打ち出したんだ」
「秘策?」
「愚弟が新たに持ってきたマリーアンナ嬢との婚約証書。あれを認可することで愚弟・メロンディナ公爵家もろとも共倒れ計画を進行させているんだ♪」
何だかとっても楽しそうに仰る王太子殿下。
「領民のみんなのことだけが気がかりです」
「そこも問題ないと思うよ。伯父のキャルロット公爵が新たな事業を始めたからね」
キャルロット公爵ことお父さまは王太子殿下とフィーの伯父である。つまり亡くなられた側妃さまはキャルロット公爵の妹君だ。しかし、お父さまの始めた事業に何の関係が??