第十八話 ヨルク
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「なるほど。流石、よく周りを見てるよ。じゃあ、この辺りの話題をあの男に振って、死霊が活性化するかどうかを見てみるか」
「そうね。話をしている内に、アイツの本音を引き出せるかもしれないし」
そう決まると、彼らの行動は早かった。昼食を済ませると二人でユーリを尋ね、馬小屋の男に再度面会したいと頼み込んだのだ。
「何だってあんな奴にまた会いたいなんていうんだ?」
「いや、それは……」
しかし、ユーリに詳しい事情を話すわけにはいかないため、二人の説明はどうしても要領を得ないものになる。訝しむユーリを何とか説得した時には、大分昼を過ぎた時間になっていた。
「あれ、いない!」
彼らが馬小屋に着いたとき、男はそこにはいなかった。
「まさか、逃げた?」
「出て行けって言われてたのに、逃げたっていうのはあれだけど、どうしたのかな。伝言は諦めたのかな?」
戸惑う二人の背にたまたま通りかかった村長の家の使用人が声をかけた。
「あの人なら、あっちにいるわよ」
その人が指した先にはロープでぐるぐる巻きにされ、逆さに吊られた男がいた。
「アンタ、何やってんのよ」
ルツカは不機嫌な様子を隠しもしない。この状況だ。彼が何かやらかしたということは馬鹿でも分かる。
「や、小腹が空いて」
「盗もうとして捕まったってこと!? アンタ、一体何がしたいのよ!」
一度ならず二度までも盗みを働く男にルツカは怒りを爆発させる。確かに彼の受け答えは、罪人としては失格だ。
「欲しいもんは盗る、それが……」
「“ポリシー”か?」
ハンスの言葉に男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤリとした。
「そうだ。ポリシーだ」
男がそういうと、ハンスは再び死霊の気配を感じた。ただ、まだ気配は薄く、今にも消えそうだ。
ハンスは、自分の様子をうかがうルツカに小さく頷いた。
「何でそんなにポリシーにこだわるんだ?」
「あんたらにはポリシーはないのか?」
「状況によるでしょ。逆さ吊りになってまでポリシーを貫きたくはないわ」
非難するような口調で言うルツカ。しかし、男は全く気にした様子がない。
「まあ、普通はそうかもな」
「じゃあ、何で!」
ルツカは噛みつくが、やはり男は何も答えない。
このやり取りの間、死霊の気配が消えることこそなかったが、強まることもない。ハンス達が、死霊の未練を刺激するような会話や思いを出来てないということだろう。
(ここからどうしたら…)
彼らの考えに間違いはなかったが、ポリシーという言葉一つでは死霊は活性化してくれないらしい。何かもう一手必要なのだろうが、何も良い考えが浮かばない。
(姉さんなら、こんな時、俺に何て言うかな)
ハンスがそう考えた時、かつて姉に言われた言葉がハンスの脳裏をよぎった。
“焦らないで、ハンス。あなたは自分がすべきことをきちっとしたらいいの”
それはまだハンスとリンダが子どもの頃の話だ。姉が精霊使いとして驚異的な成長を見せる一方、ハンスは何をさせても平凡そのものだった。優秀すぎる姉と比べられ、引け目を感じる毎日。その中でハンスが感じたのは、焦りだった。
このままでは、弟でいられなくなるかも知れない
ハンスは子ども心に、自分と姉ではあまりに差があり、不釣り合いだと感じたのだ。そして、それ故に、引き離されてしまうのではないかと。それはハンスにとって、何より堪えがたいことだった。
だから、ハンスはもがいた。周りから自分が姉の傍にいるに相応しい存在と思ってもらえるために、思いつく限りの努力をしたが、どれも実を結ぶことはなかった。何故なら、それは自身の長所や短所を顧みないものだったからだ。
そんなハンスにリンダはこう言ったのだ。焦らず自分がすべきことをすべきことをしたら良いのだと。
(俺にすべきこと。それは……)
それは初めから決まっていた。ならば、それをするだけだ。
「俺はアンタに憑いている死霊を解放したい」
「死霊だと?」
男の顔色が変わる。ハンスは戸惑いと期待が混ざりあったような表情を浮かべる男の目を真っ直ぐ見据えた。
「何か心当たりはないか? 俺には死霊について詳しいことは分からない。もう少し手がかりがあれば、何か出来るかもしれないんだ」
「俺にレオルが──」
スルリとこぼれ落ちるように男の口から出た言葉に呼応するように、死霊の気配が強まる。
“ヨルク、まだ引きずってるのか”
輪郭はないに等しいが、つぶやくような死霊の声だけは聞こえる。
心配なのか?
そう、ハンスが尋ねると、死霊が頷いたような気配がした。
見届けないと帰れないなら一緒に来るか?
“ヨルクに伝えて。もう忘れて、と”
そう言うと、死霊はハンスの中へと入っていく。その時に彼が感じたのは、傍にいられなくなることへの寂しさや悲しさ、そして残していかなければいけない人を案じる思い──それはもはや執着とも思えるほどだ──だった。
(レオル、君は俺と一緒だ)
ハンスは姉を置いてシイ村を出たときのことを思い出す。姉と死別したハンスは感じたことがないような喪失感と悲哀で押し潰される寸前だった。だから、逃げ出すように村を出ざるを得なかったのだ。
そして、それは恐らく目の前の男も同じなのだろう。大切な人を失ったことに耐えられず、認められず、今も喪失感に囚われ続けている。残された者も、先には逝ったものもそれは同じなのだろう。
(だったら、姉さんも俺と同じ気持ちだったのかな)
もはや確かめようももないことだが、ふとハンスはそう思う。
(俺がしっかりしなきゃ、姉さんを《死霊食い》から解放できないってことか)
リンダの未練を晴らす。そのための道筋が少し見えた気がした。
「アンタ、ジルっていうのか」
「お前、何でその名を!」
男の顔色がハッキリと変わる。もはや、今までの飄々(ひょうひょう)とした雰囲気は微塵もない。
「レオルって人があんたに“もう忘れて”って言っている。俺には何のことか分からないけど」
「……」
ヨルクは何も言わない。いや、何も言えないのか。
「ルツカ、ジルは大丈夫。信用できる人だ」
「ハンス?」
ジルはハンス、そしてハンスはジル。二人共、大切な人を失う辛さを知っている。何をしていても、結局はその辛さから逃れる方法を探しているだけのだ。それが、邪なものであるはずがないとハンスは感じた。
「ジル、俺達を預言者のところへ連れて行ってくれ」
「まさか、お前が救世主? シスコンだとかいう」
実は、男は預言者から救世主について事前に聞いていた。それは、救世主が自分にかける言葉である。彼は今、自分が救世主からかけられるはずの言葉がハンスから発せられるのを耳にした。
「俺は救世主なんかじゃない!」
ハンスはまたもや、反射的に叫んだ。まだ、姉一人を救う手段さえ分からないのに、世を救うだなんてとんでもない!
「分かった。じゃあ、ハンス。出発は明日の朝でいいか」
男はハンスがこう叫ぶことも知っている。したがって、叫ばれたことには驚いたりはしなかった。ただ、シスコンを否定しないことはやはり驚いたが。
「ああ」
ハンスがそう答えると、まるで縄がヨルクを手放したのように縄が解ける。頭から地面に落下した彼は鳥のように空中で姿勢を変え、何事もなかったように着地した。
「俺は今、ヨルクと名乗ってるから、そっちで頼む」
男はハンスに手を伸ばす。ハンスはその手をしっかりと握った。
「分かったよ、ヨルク」
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