第6話「愛し合う2人の過去」
翌朝、ヘリコプターの回転音で目を覚ました最果は頭を掻きながら外に出た。
「この音は…アグスタ…道警が来たか…」
ヘリコプター好きの最果は、寝起きでも機体の種類によって変わるその音を聞き分けることができる。急いで純恋を起こし、血で染まった白色のバスタオルをアグスタウエストランド(AW139)に向かって振った。
無事救助された2人は道東にある総合病院に運ばれ、入院した。
入院して2日後、純恋が個室の病床で本を読んでいると、患者着姿の最果が訪ねてきた。
「あれ?最果さん、髪が…」
盆の窪あたりで束ねていた黒髪が切られ、くせ毛を生かしたセンターパートスパイラルになっている。
「ああ、切った。妹が3人いるんだけど、1番上のやつが昨日いきなり知り合いの美容師連れてきてこうなったわ」
「そうだったんですね。私、その髪型好きです。三代目の“おみ”と同じじゃないですか」
“おみ”のファンである純恋はフォローしている公式インスタグラムを最果に見せた。
「妹が言ってたのはこの人だったのか…オーダーするときもこの人の名前出してたし」
「妹さんも好きなんじゃないですかね?」
「だと思う。元々あいつ男性アイドル好きだからさ。…あ、足の具合、どう?痛いだろう?」
「はい、痛いです…でも、最果さんの処置が良かったから、回復は早いかもって先生はおっしゃってましたよ」
「そっか…よかった」
最果はパイプ椅子に腰掛ける。
「話があって来たんだけど、いいか?」
「大丈夫ですよ」
「思ったんだけどさ、俺人間に戻ったはいいけど純恋にとっちゃ今怪しいおっさんじゃない?」
「あ、言われてみれば…好きすぎてわかんなくなってたけど」
「ふっ!どんだけだよ!いいか、まだ俺だったからいいけど、他のおっさんだったら犯罪に巻き込まれてるかもしれないから気をつけたほうがいいぞ…あと、ヒグマだったら普通は巣穴に拉致した時点で保存食だからな?」
「でも…最果さんだったからいいの。ね?」
純恋はニコッと笑う。最果はその笑顔にドキリとし、耳が赤くなる。
「…で、でな、うちの身内に取りに行って貰った名刺。俺はこういう者です」
「はぁ…」
最果から名刺を受け取り、数秒見つめた後、純恋は固まった。
「…知床ホテル&リゾートさいはて…ふ、副社長さん…でいらっしゃっいましたか…」
ーーふしゅ〜
純恋の脳天から湯気が出ると、完全にフリーズした。
「大丈夫か?びっくりさせちゃったか…ごめんな」
最果はパイプ椅子から立ち上がると、脳天から湯気が立ち込める純恋を抱きしめ「よしよし」と頭を撫でた。
「あ…あ…すいません…上の方とはお聞きしてても、まさかお若くして副社長さんだとは思ってなくて…その、心構えが」
「そんなかたく考えなくてもいいよ。長男ってだけで就いた役職だし、10年失踪して死んだことになってんだからんなもん名ばかりだわ」
「でも、ホテルを継がれる御意志はあるんですよね?」
「あるよ。継ぐにしたって死亡宣言の解除手続きもこれからだし先は長いわ。親父も70超えた割には元気だったし」
「最果さんってお坊っちゃま育ちなのか…」
「お坊っちゃま育ちには見えないわな…あんなサバイバル生活してたら」
「レンジャー部隊出身に間違われますよ、あれは」
「“ワイルドなお坊っちゃま”とは付き合えない?」
「またセミとかアリ食べるんですか…?」
「いや、さすがにもう人間なんだから食わねーよ…で、俺と付き合えない?」
「もちろん、いいですよ…大好きな最果さんですもの!」
最果は純恋の小さく細い手に触れると、薬指に軽く口付けた。
「純恋」
「はい」
「俺と結婚前提で付き合ってください」
「結婚前提…」
「そう」
「あの、おひとつ聞いていいですか?」
「うん」
「最果さん、国籍は日本ですよね…?」
「うん。生まれはスウェーデンだけど、国籍は日本だから大丈夫」
「よかった…ずっと青い眼が気になってて。私、パスポートないから困ったなぁって…」
「俺、母親がスウェーデン人なんだわ。てか、パスポートないってことは、海外行ったことないってことか」
「そうなんです…添乗員研修も終わらないうちに倒産しちゃいましたからね…」
「パスポート作って今度俺とどっか行くか?
…で、結婚前提で付き合ってくれる?」
「はい、喜んで!」
「よっしゃあ!…でさ、考えたんだけど、退院したら、俺と同棲しねーか?」
「いいですね。札幌とウトロじゃあ東京ー大阪間並みに遠距離になっちゃいます。私、最果さんと離れるの、凄く嫌です」
「俺も嫌だな…こんなかわいい女の子、他のやつに取られたくねーもん」
「札幌には私よりかわいい女の子いっぱいいますよ、すすきのとか大通とかに」
「俺は純恋がいいの。なんでそんな自己肯定感低いの?」
「…小学校の時、夕張の転校先で机に赤の油性ペンで『ブス』って書かれてから低くなりました…」
純恋の表情が曇り、しょんぼりと頭を垂れた。
「あ…ごめんな?嫌なこと聞いちまったな。純恋はブスじゃねーよ。目が大きくてさ、ちょっとハーフっぽいから嫉妬されたんだろ?美容師連れてきた妹がウトロって言うんだけど、ウトロもそれで上靴隠されてたりして一緒に探したわ。まあ、ウトロは協調性もなかったから浮いてたんだけどな」
最果はしょんぼりしている純恋の頭を撫でる。
上靴を隠されて泣いていた幼いウトロと重なった。
「これからは俺がいるから安心しな。変なこと言ってくるやつとかいても、俺が追い返すから。それにさ、札幌の女の子がヒグマとかシカばっかのウトロでひとり暮らしするより、俺がいたほうが危なくねーだろ?元ヒグマだし」
「そうですね、最果さんがいれば」
俯いていた純恋は最果に笑ってみせた。
「あ、父に話しておかないと…」
「お父さんには承諾得られそう?」
「最果さんが父に会ってお願いすればいいんですよ。足が治ったら、札幌まで私が運転します」
「そこは女満別から飛行機で行かねーか?7時間ぐらいだろ?それにさ、お願いしてすぐOKもらえないだろ。1人娘なんだし…」
「大丈夫ですよ。最果さんのホテルに夕張メロンを納入している農家は、うちの父方の祖父母ですから」
その事実に最果は目を見開く。
「…え?!姫山農園さんとこの孫なの…?!」
「そうです。20年以上仕入れて頂いてますよね?名刺見てびっくりしちゃいました。世間って狭いんですね。他の北海道メロンがある中で、うちの夕張メロンをご贔屓頂き本当にありがとうございます」
純恋の父方の祖父母の家は夕張市の高台奥にあるメロン農家で、知床の三ツ星ホテルであるさいはてホテルに20年以上納入しているというのが祖父母の唯一の自慢だった。
「いや…こちらこそありがとうございます。うちの川上が極度の夕張メロン推しで…って、じゃあ、一回だけ俺と会ってるでしょう?」
「え?」
「俺が高校の時…17歳だったから18年前か。1回だけ親父と営業の川上さんに連れられて姫山さんとこに行ってる」
「18年前…私が7歳の時…あ、もしかして私にトンボの捕まえ方教えてくれた天パのお兄さんって…」
「天パで覚えてんのか。できればくせ毛って言って…あの時名前知らなかったけど、ボブカットが似合うかわいい女の子だなぁって思ってた。あの時いじめられてたってこと?」
「はい。あの時はなんとか学校は休まずに通ってる時で…。最果さんは18年前から既にかっこいいお兄さんでした。こんな形でまた会えるなんて…」
最果は純恋のくせ毛の長い髪の毛を撫で、柔らかな唇にキスをした。
「あ…ファーストキス…」
「あのかわいい女の子のファーストキスが貰えるなんて思わなかったわ…俺のために取っといてくれたの?」
純恋が頬を赤らめて「そうかもしれない」と答えると、もう一度キスした。