第5話「2人の気持ち 後編」
外の空気を吸うため、2人はカビ臭い部屋から縁側に出た。縁側からは2人が出会った知床硫黄山と、宝石を散りばめたような星空が見える。
「綺麗な星空ですね、最果さん」
「そうだなぁ…でも、俺はもう見飽きてる」
「ああ…そっか、ヒグマなら天気が崩れない限り毎日見れますもんね」
「それもそうだし、俺は生まれた時から知床だからさ。それに…」
「なんですかぁ…?」
最果は純恋の頭を優しく撫で、オホーツクの海のように青く澄んだ瞳で見つめる。純恋はまた頬を染め、視線を逸らした。
「見た目も性格もかわいい女の子が目の前にいたら、知床の星空も霞んじまうだろ?」
「そんな…見た目も性格もかわいいだなんて…」
「かわいいよ。硫黄山で出会った時、俺一目惚れだったし」
「一目惚れ…?」
「うん。でもヒグマの状態でデートなんか誘えねーだろ?だから、怪我してる純恋をほっとけないのを理由にお持ち帰りしちまった」
「人助けという名のナンパだったんですか…?」
「まぁ、そうだよ…怒ってる?」
純恋は首を横に振る。
「最果さんならナンパでもなんでもいい…だって、かっこいいだけじゃなく肉体的にも精神的にも強くて、優しい男性に出会えたんですもん…」
「そんなこと言ってくれるところも俺好きだわ」
「だって本当のことですもん、何度でも言いますよ。それに私、最果さんのこと大好き過ぎて知床に移住しようかと思ってますから」
「え?本気で言ってる…?札幌の都会っ子が簡単に住めるようなとこじゃねーよ?雪は少ないけど、スーパーがちっこいの一軒だけだし」
「足りないものは車で斜里町でも網走でも中標津でも行って買い足します」
「仕事はどうする?」
「なんでも…温泉街のセコマでもいいですし、英語が使えるならホテルでも観光ガイドでも道の駅でも働きます」
「家は…?賃貸めちゃくちゃ少ないけど」
「空き部屋ならどこでも…ヒグマの巣穴でもいいです」
「ヒグマの巣穴ってあぶねーよ!なぁ…よく考えてから判断して?若気の至りの突発的な行動が一番やばいから」
「…だって、最果さんのこと大好き…いや、愛してるから…」
「俺も純恋のこと大好きだし、愛してるよ…あーもう、先に言いたかったのに言われちまった。純恋って案外押し強ぇな…そういうとこも好き…」
愛おしい純恋の体をぎゅっと抱きしめる。
「せっかく人間に戻ったし、好きな女の子にこんなに強く押されたらなんとかしねぇとな…」
「ねぇ…最果さん」
最果の腕に抱かれながら純恋は彼を見上げる。
「ん?どうした」
「“ヒグマの魔法”が解けたのは何故なんでしょう…?」
「…純恋の「愛」じゃないの?」
「私の…「愛」?」
「あんな獣臭い野生のヒグマの状態でも、人間と同じように愛してくれたじゃん」
「キスもしました」
その一言に一瞬、最果は目を見開きフリーズした。
「…ちょっとまて。純恋、動物と屍体、この2つとはキスしたらダメだろ…」
「本当は生きてるうちにしたかったけど、死んでしまったんですもの…それでもダメ?」
「ヒグマでもしたかったの…?」
「好きなら…どんな姿でもいいんです。好きな人がヒグマだろうがエゾシカだろうが受け入れて、キスでもそれ以上でも捧げます…」
「聖女か、純恋は…。でもごめん、俺も純恋のこと好きだからキスでもそれ以上でもしたいんだけど…10年もまともにちゃんとした風呂入ってない状態でするのは俺のプライドが許さないからちょっと待ってくれる?」
「ヒグマの状態でキスしたのに…?」
「純恋…初体験は大事しなよ。俺は今より綺麗になってから純恋とそういう深い関係になりたいんだよ。ハグはしちゃってるけど…」
「じゃあ…もっとぎゅっとして…?」
純恋の大胆発言と上目遣いに、最果は心臓を鷲掴みにされ耳を赤く染める。
「…あのさ…その…汗というか獣臭くねーのか?俺、本来は毎日風呂入って香水付けてるタイプなんだけど」
「さっきヒグマの時に言ったじゃないですか。
『最果さんだから獣臭くても加齢臭がしてもそれすら…もう、愛おしい』って。私は…最果さんだったら、きっと何もかも好きです。頭おかしいかもしれないけど、それぐらい愛してます」
そういうと純恋は最果に胸元に顔を埋めるように抱きつき、疲れが出たのかそのまま寝息を立てて眠ってしまった。
「…物好き過ぎだろ…でも、ここまで愛されたらすげぇ嬉しい…」
最果は純恋をぎゅっと抱きしめ、純恋の髪の匂いを密かに愉しみながら眠りに落ちた。