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無面─ノーフェイセズ─  作者: 上野祐太
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Face8 無くしたい『壁』

 まさかこういう形で闇町へ戻るとは思わなかった。物好きな政治家もいたモンだな。新井義夫(あらいよしお)知事は、闇町の待遇改善を通して外交関係の良化を図る、とか何とか言ってた。そこで現場を調べるために、闇町へ訪問するんだと。で、オレはそいつのボディガードとして、闇町へ来てるって訳さ。

 知事は言ったんだ。自分がどうしたいか、この国がどうあってほしいか。けど、

「勝手につま弾きにしといて!」

「俺達から居場所を奪う気か!」

「お坊ちゃんは帰れよ!」

 たくさんの石が投げられた。オレはそれを防ぎきれなくて、何個か知事に当たっちまった。頭から血を流してた。やむを得ず、闇町から出ていくことにした。逃げ際、知事は呟いた。

「『悲しみは永遠』か…」


 河川敷の芝生に座って、オレ達は話してた。知事がそうしたいって、言って聞かなかったんだ。だからオレは聞いた。

「今更ですけど…何でオレなんです?」

 闇町の奴等を下手に刺激しねぇようにって、知事はボディガードを一人だけにした。けど、それなら入りたてのオレよりはるかに向いてる奴なんてゴマンといたはずだ。そいつらなら、あの石だって防ぎきれたはずじゃねぇか。それがどうして、って気になって仕方ねぇ。そしたら知事は言ったんだ。

「僕の友人を思い出すから…じゃ、ダメかな?」

 闇町にはまるっきり似合わねぇほどの、すっげぇ爽やかな笑顔だった。きっとこいつは、オレ達みてぇな思いなんてせずに生きてきたんだろうな。そう考えたら、オレも何だかムカついてきたぜ。

 そんなオレにお構いなく、知事は続けた。

「彼はゴッホが大好きでね。いつも『ひまわり』の素晴らしさについて熱弁していたっけ。今時珍しく、敬虔なクリスチャンでもあったからさ。あの絵には相当惹かれたんだろうな」

「ゴッホとクリスチャンがどう繋がるってんですか?全然関係なさそうっすけど」

 すると知事はまた笑った。

「それね、僕も同じ質問をしたんだよ。そしたら彼、こう言ったんだ。『キリスト抜きにゴッホなんて語れない』ってね。見てごらん」

 と言って、知事は内ポケットから『ひまわり』の写真を取り出した。

「しつこいぐらい黄色っすね」

 率直な感想を言った。失礼じゃなかったか、言ってから後悔しちまったけど、知事は関心深そうに返した。

「鋭いね。やっぱり君、連れて来てよかったよ。ゴッホは黄色──というより、黄金が大好きだったのさ」

 一息置いてから続ける。

「黄金、それは太陽の──神の色。それにお辞儀する向日の花ヒマワリ。ゴッホはこの作品を感謝の印と表現したらしいんだけど、それは神に対する感謝だったんだ」

「神への感謝、ですか」

 太陽を見上げる。暖かい光。雲も分厚いってのに、なんて眩しいんだ…

「…って、彼の受け売りだけどね」

 照れ臭そうに頭を掻いた。あ、こいつ、いい奴だ。さっきまでの苛立ちがどっかに消えてた。

 …で、ここまで聞いたはいいんだけどよ、

「じゃあその人、オレとは全然似てませんよ。オレには何か夢中になれるような、そういうガッツは無いですし」

 オレは自分の生まれを言い訳に、ずっと被害者面してきた。けど、一度だってそんな自分を、そんな今を本気で変えようとはしなかった。動かない理由ばっか探してた。アンタの友達みてぇな、熱い奴じゃねぇよ。

 だが、知事は首を振った。

「それは、君が出会っていないだけさ。自分が全力でぶつかりたいものに。今は見えないかもしれないけど、いつか絶対見つけられる。彼が生きていたら、間違いなくそう言っているだろうね」

 最後の一言がオレの胸を突き刺した。

「もう…死んでるんですね」

 さっきまでの爽やかさが消える。太陽を見上げて言った。

「…悲しいことじゃない。死は──『自分』を貫いた死は、神の祝福を受けるんだ。主に結ばれて死ぬ人は…幸いなんだ」

 死ぬことが幸い?オレにはわかんなかった。

「死んだら何も残りませんよ」

 アッパもオンマもそうだった。二人とも病気で死んだ。十分に治せる病気を、金がないばっかりに、『韓国人』なばっかりに治せなくて死んだ。残ったオレに遺されたモノなんて一つもなかった。二人の顔すら、今じゃあやふやだ。『死ぬ』ってそういうことだ。何にも幸せなんかじゃねぇ。

 口から鉄の味がする。唇を噛んでたのか、オレ。それから、知事の方を見る。目をこすってた。

「でも…正しいと思う。巨匠ゴッホは生前、一枚しか絵が売れなかった。キリストだって、その教えは死んでからようやく理解された。彼がいつも言っていたことも…『人の根源』も、きっとわかる日が来る。僕はそう信じたい。──ごめんね。悲しい話をしちゃって」

 何にもなかったみてぇに爽やかな顔を取り戻してた。それがつらくて仕方なくて、オレはたまらず言ったんだ。

「つらい時はつらいって…言って、いいんですよ」

 そしたら、知事は途端に泣き崩れた。オレはその背中をさすった。ずっと…つらかったんだな。川が太陽に照らされ、そこにある何よりも輝いてた。


 オレは知事にハイユンを紹介することにした。ああいう話、ハイユンなら喜んでくれるはずだろうからさ。廃工場の前で、

「ちょっと待っててください。来たぞ、ハイユン──あ…」

 呼んでから思い出した。そうか、今のオレはR-ONE(ローン)なんだ。オレがオレじゃねぇのを、こんなにも恨めしく思ったのは生まれて初めてだ。ずっと、オレじゃねぇオレになりたかったのにな。

 そんなことを考えてたら、もうハイユンが顔を出してた。怪我でもしたのか?所々、包帯をグルグル巻いてた。

「はい──その…〇〇〇〇さん、ですか?」

 ビックリしすぎて仰け反った。

「嘘だろ?何でわかったんだ?」

 普通あり得ねぇだろ。オレ、前とは何もかも全然違うってのに。そしたらハイユン、笑ったんだ。

「ここを知っているの、私以外には貴方だけですから」

 言われてみれば確かに、こんな所で人が生活してるなんて誰も考えやしねぇだろうな。ってことはだ、こいつには誰一人いなかったのか?自分がここで生きてるってさらけ出せる相手が。なら尚更、知事をここに連れて来てよかった。

「今日から二人に増えるぜ。客を呼んでんだ。なんと都知事だぜ!凄いだろ?」

 よかれと思って言ったはずだった。だが、ハイユンはさっきまでとは全然違う顔色で言った。

「…ごめんなさい。お帰り願えますか?」

「何でだよ!」

「どうしてもダメなんです。わかって…いただけますか?」

 どうしてダメなんだよ。オメーをわかってくれる人が増えるかもしれねぇってのに。言葉を探した。クソッ、全然思い浮かばねぇ。

 すると後ろから声がした。

「すみません。彼から素敵な方だと聞いていたので伺ったのですが、ご迷惑でしたら謝ります」

 知事だ。額から汗が出てた。オレからもまた言ってみる。

「オレからも頼む!知事はハイユンと同じなんだ!本気でこの国を変えようとしてる!人と人との壁がねぇ国にしようとしてんだ!話だけでも聞いてくれねぇか?」

 しばらくの沈黙。それからまた、ハイユンが顔を見せてくれた。

「…わかりました。貴方が言うのなら」

 すげぇ渋々って感じでハイユンは言った。空気が冷たくてチクチクしやがる。どうなることやら…

 って不安は、あっという間に消えた。二人とも、すっかり意気投合したんだ。アートとか哲学の話に熱中してて、すげぇ楽しそうだった。オレは話に着いて行けなかったけど。だからずっと黙って二人を見てた。知事と話し終えるまでの間、何故か胸が苦しかった。二人はあんなに笑顔なのに。

 知事は先に車に戻ってった。ボディガードも一緒にいなきゃダメじゃねぇのか?って聞いたけど、

「お邪魔しては悪いからね」

 何だそりゃ。でも不思議と、心が晴れやかだった。ハイユンといい友達になれると思って、勝手に知事を誘っといてさ。嫌な奴だなぁ、オレ。

 振り向くと、ハイユンが目の前に立ってた。ふと後ろのでけぇケーブルも目に入る。

「…で、どうだった?いい人だったろ?」

 ハイユンは静かに頷いた。いつものハイユンだ。理由もなく、そんな風にホッとする。一度断られたあの時の、冷たい目のせいか?

 突然、ハイユンのパソコンから音が鳴る。何の音だ?聞こうとする前にハイユンが言った。

「すみません。私、仕事に行かないと」

「仕事って…そんな身体でか?」

 包帯だらけの脚を引きずるハイユンを見て、オレはハイユンの歩みを止めようとした。でも、ハイユンは止まろうともしなかった。まるで、そこにオレがいねぇみてぇにさ。

「私がやらないと…いけないことですから」

 その言葉には重さがあった。何の重さかわかんねぇけど、とにかく重かった。結局オレはハイユンを止められず、廃工場で立ち尽くすしかなかった。


 車の中に戻ったオレに、知事は言った。

「どうだった?楽しめたかい?」

「仕事だってさ」

 ふうん、と鼻を鳴らしてから、

「まだまだだね」

 何がだよ。首をかしげると、知事は肩をすくめた。ったく、だから何だってんだよ──ん?何だ、あの手に持ってる書類。後ろから覗き見てみる。ちょっとしか見えなかったけど、確かにこう書かれてた。『闇町の解放に関する宣言』ってな。

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