雨天、青空はまだ来ない(後編)
「それでは先輩。お大事にー」
「ああ、じゃあな」
流石の小悪魔後輩も親父さんが同伴だと無茶な事は出来ないらしく、乗車中特に不審な行動は見られなかった。
「お世話になりました」
そんな簡素な別れの挨拶を美夜子の親父さんに送り、俺は車から降りた。
美夜子の親父さんの世話になった事、母さんが帰ってきたら報告しないと。
六月四日の午後一時半頃。自宅のリビング。
リビングで再度熱を計ったら、熱が三十八度七分にまで上昇していた。
「これは完全に風邪だな……」
知りたくなかった現実を数字でまざまざと見せつけられたせいかクラっと目眩に襲われる。
世界がグルグルと回って足元がおぼつかない感覚。
「マスク、まだあったかな……」
母子家庭だから日頃から怪我とか病気には人一倍気を付けていたけど。
風邪をひいた時の心情ってどうしてこんなに心細くなるんだろう。
「……やっぱ持つべきものは愛犬だよな」
マスクを着用してリビングのソファーに寝転がると賢い愛犬が主人の心情を察したのか、そっと俺の横に寄り添う。
「ワフッ」
いかにも「大丈夫?」と言いたげな表情で鼻をフスフスと鳴らすクロ。犬という生き物はどうしてこんなにも人の感情に対して敏感なのだろう。
「大丈夫だよ。ただの風邪だから」
愛犬の頭を撫でた後リモコンを手に取りテレビの電源を入れる。
暇つぶしにテレビ番組を見る。
普段なら見れない昼のテレビ番組。久しぶりに見る児童向けの教育テレビ。
風邪をひいた時にしか見れない映像作品。
「…………」
なんだろうな。この罪悪感。
べつに悪いことなんて何もしていないのに。
普段なら見れない昼間の教育テレビを見ると謎の罪悪感に襲われる。それが本当に不思議だ。
風邪をひくと気分が滅入るから。
一人になると寂しくなるから。
だから、ネガティブな思考が生まれて余計なことばかり考えるようになるんだ。
全ては風邪のせい。
言い様のない不快感だって。
風邪さえ治れば全て元に戻る。
元に戻れば何も心配いらない。
だから──。
今日一日くらいアイツの事を無視しても良いよな?
ブーブー、と小刻みに震えるスマホのバイブ音。
画面に表示される時刻と通知の文字列。
午後二時半。着信履歴の数二十件。トークアプリの未読メッセージ三十件。
その全てが姫光からの呼び出しだった。
「…………」
今日はもう姫光に会いたくない。
この『気持ち』の正体が分かるまでは姫光と話したくない。
そう思ったから。
ガチャリ、と。
玄関に鍵をかけた。
「……どうせ誰も来ないだろ」
独り言を呟いて横になった俺は再び浅い眠りについた。
■ ■ ■
俺が夢で見たその光景は悪夢と形容するのに十分なほど、酷い内容のものだった。
「お待ち下さい大旦那様! 坊っちゃまはまだ八歳なのですよ!?」
悲愴感に満ちた声で白髪混じりの男に訴えかける一人の少女。その少女が俺と“クソじじい”の間に割って入る。
エプロンを身に付けた十代中頃の女子高生。
俺と“あの姉”の世話係だった家令の家系の使用人。
柏崎家の専属メイドの一人。
名前は玲奈。
名字は確か──燕だったはすだ。
「そこを退け玲奈! これは大和に対する躾なのだ!」
近所迷惑度外視で喚き散らす初老の男。
名前は柏崎源内。
俺の父方の祖父であり地元にある総合病院の元院長。地元でも有数の権力者の一人。なんでも華族とかいう日本における貴族の末裔らしい。
母方の祖父である『じいちゃん』とは違い、とにかく俺に厳しくて五月蝿い嫌な老人。
世間ではこういう老人こそを老害と呼ぶのだろう。
はっきり言って俺はクソじじいが嫌いだ。
大嫌いだ。それは今も変わらない。
一日も早くくたばって欲しいとすら思っている。
俺がコイツの──クソじじいの孫であるという救いようのない事実が俺の過去に一体どれだけの悪影響を与えただろうか。
大和の目つきの悪さはお祖父ちゃん譲り。小さい頃、父さんにそう言われたことがある。
俺はそうは思いたくないけど。
やっぱり血縁者のせいなのか顔の感じが今の俺によく似ている。腹立たしいほどに。
だから俺は自分の顔が嫌いだ。鏡を見ると嫌でもクソじじいを思い出すから。
「言い付けを守らずに『異人の餓鬼ども』と遊び呆けていた愚か者には相応の躾が必要なのだ。いや、躾では無い、これは教育であり懲罰なのだ。柏崎家の嫡男にふさわしい教養を施すためのな」
どういう理屈かクソじじいは姫光と大智と美未を毛嫌いしていた。
おそらくは三人が外国人の子供だからだろう。
いや、三人以外にも湯沢家の長子である雪雄のことも目の敵にしていた。
俺がその四人と一緒に遊んでいた事を知るとこうして怒鳴り散らして説教を始めて──。
最終的には蔵に閉じ込められて無理矢理にでも反省させられる。
暗くて狭い牢屋みたいな蔵。
クソじじいの説教に口答えすると余計に怒られるから。
不遜な態度をとると俺だけじゃなくて世話係の玲奈さんまでクソじじいに叱られる。
それを学習したから俺はクソじじいから受ける説教や罵詈雑言を黙って聞く事を覚えた。
それが一番楽な方法だと。それが最適解の選択であると。
「……申し訳ございません、坊っちゃま。大旦那様に逆らえない無力な玲奈をお許しください」
南京錠をかけられた扉の向こうで泣きながら謝罪する玲奈さん。
「坊っちゃまがここをお出になられるまで玲奈はこの場に控えております。御用があればなんなりと玲奈にお申し付けください」
どうして玲奈さんが謝るのだろう。
どうして俺は蔵に閉じ込められるのだろう。
何も、誰も悪くないはずなのに。
どうして──。
「それはね、貴方が“選択”を間違えたからよ」
暗闇の中からフッと幽霊の様に出てくる白いワンピースを身に付けた長い黒髪の女の子。
闇夜に潜む黒猫の様に妖しく輝く深緑の瞳。
翠玉の様な目を持つ母さんに似た顔。
猫の様な三角耳と細長い尻尾。
夢の中でなければ決して見られない光景。現実世界にいるはずのない偽物の人物。
猫耳をはやした小学生の柏崎美命。姉の形を模倣した悪夢の化身。
俺の深層心理の中にいる魔物。
「ねえ、大和。もしかして貴方、自分が不幸な星の下に生まれたと勝手に勘違いしてない?」
魔物は夢の中にいる八歳の俺を介して『今の俺』に語り掛けてくる。
「この際だからはっきりと言ってあげるけど、貴方は恵まれた環境の下で生まれ、何不自由もなく育った『幸せな子供』なのよ」
言われている意味が分からなかった。
幸せな子供? 一体誰が幸せなんだよ?
「優秀な血統、優れた両親、裕福な家庭。欲しい物は望めばなんでも手に入る。そんな恵まれた家庭環境に身を置いて自分が不幸だなんて発想に至るのは貴方の被害妄想が招いた言わば『心の歪み』よ」
相変わらず意識の高い物言いをする。気位が高いというか。夢とはいえ人格の再現率高過ぎるだろ。
まるで直で本人と話してる気分だ。
「はっ、笑わせんなよ。恵まれた家庭? 望めばなんでも手に入る? 一番欲しかった物が何一つ与えられてないのにか? ふざけんなよ」
この夢が過去の追体験だけではない事を薄っすらと自覚した俺は目の前にいる魔物に反論する。
コイツに会うのはこれで“二回目”だから。
中学三年生の冬の時にも俺はコイツと夢の中で会っている。
「一番欲しかった物? 貴方が欲しかった物って何かしら?」
「決まってんだろ。“愛”だよ」
偽物の姉(猫耳)はフッと俺を嘲笑する。
「陳腐ね。それこそ貴方の被害妄想じゃない」
偽物の姉(幼女)は尻尾をフリフリと動かして俺の元に歩み寄ってくる。
「被害妄想じゃないだろ。現にこうやって俺は蔵に閉じ込められている。まさか、これがクソじじいからの愛の鞭とか言わないよな?」
俺がそんな悪態を吐いたら偽物の姉は口に粉薬を放り込まれたかの様にキュッと顔をしかめた。
「……そうね。確かにお祖父様の行為は行き過ぎているわ。でもね、だからって貴方が誰からも愛されていないわけではないのよ」
「……愛されてないだろ」
「いいえ。貴方は愛されているわ。お父さんとお母さんにも。玲奈にも。そしてお姉ちゃんである私にも、ね」
「……お前がそう思ってるだけだろ」
俺がそう言うと名状し難い姉の様な者は髪の毛を逆立てて間違いを指摘する。
「お前じゃないわ。私は“お姉ちゃん”よ」
「………………」
「大和、私のことはお姉ちゃんと呼びなさい」
「…………姉貴」
「お・ね・え・ちゃ・んっ!」
「………………」
夢の中で姉っぽい猫耳幼女にお姉ちゃん呼びを強要された瞬間だった。
「今すぐ私をお姉ちゃんと呼ばないと大和に口では言えない内容の“お仕置き”を決行するから」
完全に激おこだった。
何でそんなに怒ってんの? 意味不明なんですけど。
「……お、お姉ちゃん」
俺がそう言うと、にぱーっと幼女の頬が緩んだ。
「うんうん。大和は物分かりがいい子ね。お姉ちゃんはそんな大和が大好きよ」
うんうんと満足げな表情の姉なる者は唐突に背を向けてストンと俺の膝の上に座る。
眼前には形の良い三角耳が生えた小さい頭があった。
「…………」
あれ? 気付かないうちに頭身含めて俺の身体のサイズが変わってる?
というか、いつの間に座ってたんだ俺。
まぁ、所詮は夢の中だから何でもありっちゃありなんだろうけど。
いや、そんなことより。
「……あの、お姉ちゃんは何でナチュラルに俺の膝の上に座ってるんでしょうか?」
「愚問ね。弟の膝の上はお姉ちゃんの特等席と相場が決まっているのよ。かの有名な日本三大随筆の一つ徒然草にもそう記されているわ」
「いや、絶対記されてねーよ」
いや、知らんけど。徒然草どころか枕草子と方丈記ですら内容あんまり把握してないし。
「まぁ、冗談はさておき。大和、とりあえずお姉ちゃんの頭を撫でなさい。積もる話はそれからよ」
「……積もる話って何?」
「貴方の『心の防人』である“私”が再び貴方の夢に出て来た理由よ」
「…………」
なるほど心の防人、ね。
色々と府に落ちる部分もあるけど。
でも何でこのタイミングで?
いや、このタイミングだから夢に出て来たのか?
俺の記憶が確かなら中三の冬も風邪を引いた時だったはずだ。あの時と今のシチュエーションは似ているといえば似ている。
「さぁ、大和。お姉ちゃんを存分に愛でなさい。姉を可愛がるのは弟の義務であり責任なのだから、お姉ちゃんを目一杯甘やかすのよ」
「……俺の知ってるお姉ちゃんは「頭を撫でなさい」とか「甘やかすのよ」なんて自尊心の欠片も無い発言は一度も言わなかったけどな」
「それはそうよ。この私は貴方の望む『理想のお姉ちゃん像』であって“本物のお姉ちゃん”ではないのだから」
「…………」
そりゃそうだよな。
目の前にいる『この姉』は言わば俺の願望が具現化した『承認欲求の象徴』みたいな物なのだろう。
姉に認めてもらいたい。姉に褒めて欲しい。
姉がこうであって欲しい。姉からこう言ってもらいたい。
姉とこんな感じで触れ合いたかった。
そんな願望の集合体がこの猫耳幼女の姉なのだろう。
「……分かったよ。頭を撫でれば良いんだろ?」
「ええ、そうよ。耳と耳の間の頭頂部を撫でて頂戴。恋人と触れ合うみたいに優しくお願いね」
言われた通りに頭を撫でると猫耳と尻尾が上機嫌にピクピクと動いた。
「ふふっ。大和はいけない子ね。夢の中とはいえお姉ちゃんにこんな可愛い格好をさせるのだから」
「…………」
断りを入れるが俺は断じてロリコンではない。
どちらかというと歳下よりも歳上のお姉さんが好みだから。
目の前にいる猫耳幼女の姉が俺の願望だったとしても、実の姉にこんなプリティーな格好をさせる特殊性癖は持ち合わせていない──と思う。
「……猫耳はともかく白のワンピースは小さい頃に良く着ていたと思うんだけど?」
「あら、良く覚えているじゃない。大和はお姉ちゃんのことなら何でも知っているのね。嬉しいわ」
「……いや、流石に何でもは知らないよ」
家族らしい、姉弟らしい触れ合いなんて記憶に残るほどしてないから。
一緒の家に十年近くも住んでいたのに。仮に両親が離婚しなくても姉との距離感なんて何も変わらないんじゃないだろうか。
「そうね。大和はお姉ちゃんのことは知っていても自分のことは知らないのよね。いいえ、“分からない”が正しい表現かしら」
そして。
姉の真似をした悪夢の化身はこの夢における『本題』に触れる。
「自分自身では気付いていないと思うけど……貴方、相当疲労と心労を溜め込んでいるわよ。でなければ人の何倍も頑丈な貴方が風邪を引く事なんて有り得ないのだから」
「それは……」
安易に否定出来なかった。
ここ最近、一か月間のうちに『色々なこと』が目まぐるしく続いたから。疲労が溜まっていたのは薄っすらと自分自身でも自覚していた。
それは精神的な疲労も一緒だと思う。
だけど。
明確な原因が、ストレスの根幹が何なのかが分からない。
「貴方は昔から自愛の精神が足りないのよ。心身共に健康には気を遣いなさいって『本物のお姉ちゃん』にも注意されたでしょ?」
「それは……」
返す言葉が無い。
病は気から。風邪は自己管理が出来ていない証拠。不摂生するから病気になる。貴方は意識が低い。
昔から言われていた姉の口癖がフッと浮かび上がった。
「お姉ちゃんとの約束を破った大和には本来なら厳しく注意するところだけど……生憎と貴方のお姉ちゃんは病人に鞭を打つほど鬼ではないの」
「本物のお姉ちゃんだったら「男のくせに情けないわね」とか言って首根っこ捕まえたまま病院に強制連行してそうだけどな」
「どうかしらね。もしかしたら手厚く看病してくれるかもしれないわよ?」
「無い無い。あの姉に限ってそれは無い」
「……なによ、そこまで否定しなくてもいいじゃない」
「…………?」
ふにゃりと垂れ下がる猫耳と尻尾にどこと無く悲しみの色を感じた。
「私だって──で厳しく──ない」
もにょもにょと口籠る姉。小声のせいで何を言っているか上手く聞き取れなかった。
「……そうね。やっぱり貴方にはちゃんと言ってあげて『分からせる』必要があるみたいね」
「……分からせるって何を?」
「貴方の心労の原因をよ」
俺の膝の上に座っていた猫耳幼女はクルリとこちらに向き直る。
「大和、不出来で可愛い私の弟、今からお姉ちゃんが言う事をしっかりと胸に刻み込んでおきなさい。脳だけじゃなくて心の中にも、ね」
トン、と小さい手で胸を小突かれた。
「貴方が抱えている不快感の正体は『不安』と『不満』よ」
「不安と不満?」
「そうよ。見えない危険から“自分を含めた全て”を守るという一種の責任感に近い感情による重圧感に貴方は不安を感じているの」
「…………」
なるほど、プレッシャーから来る不安な気持ち、か。
こうやって指摘されると自分が抱えていたモヤモヤの正体が良く分かる。
頭にかかっていた霧が晴れた気分だ。
でも。
納得出来ない部分も残っている。
「不安は分かるけど不満って何に対して不満があるんだよ?」
そんな安易な質問を斬り伏せるかの様に心の防人であるお姉ちゃんは言う。
「決まっているじゃない。貴方はまだ“許せていない”のよ」
深緑の瞳が見透かした様に俺の心を撃ち抜いた。
「……許せてないって何を?」
「あら、惚けるの? この期に及んでその発言はいささか白々しく聞こえるのだけれど?」
「…………別に惚けてなんか──」
言い掛けて。
目の前にある小さな口がそっと俺の耳元に近づいてくる。
ポツリと囁く様に一言。
「貴方はあの『茶髪のあばずれ』のことも『他のみんなのこと』もまだ許せてないのよ」
「っ!?」
言われたくなかった。いや、指摘されたくなかった自分の本心を心の防人とは名ばかりの悪夢の化身に教えられた。
分からせられた。自分のドス黒い負の感情を。
「……それは違う」
「違わないわ」
「違うんだよ!」
「いいえ。それが貴方の嘘偽りのない本当の気持ちよ」
「ふざけんな!」
俺がどんなに吠えて叫んでも目の前にいる『願望の集合体』は一切動じずに会話を続ける。
「八つ当たりしたいなら好きにすれば良いわ。でもね、お姉ちゃんは貴方がこれ以上『自分を犠牲にして選択を誤る』事はして欲しくないのよ」
「…………?」
選択を誤る? 自分を犠牲にする?
それって何のことだよ?
「最初にも言ったけど貴方は“選択”を間違えたのよ。他人と自分を天秤にかけて貴方はいつも他人の安全を優先した。この時も、この後も、そして“あの時”も」
「…………」
黙って聞くしかなかった。
言い返すことなんて出来るわけがない。
言い返したら、それを安易に否定したら、今までの自分の行動が正しくないと認める様なものだ。
俺の選択は間違っていない。そう思いたいから。
「ねえ、大和。自分を犠牲にするその“詰まらない生き方”をこの辺りで止めるべきじゃないかしら?」
「……人の人生を詰まらないとか言うなよ」
「詰まらないわよ。貴方の人生は貴方だけの物なのだから。自分を犠牲にして不愉快な思いをする人生は無駄でも無意味でも無くただ詰まらないだけよ。私、無駄な事と詰まらない事は嫌いなのよ。それは貴方も知っているでしょ?」
それは知っている。知っているし覚えている。
無駄は罪。無知は悪。それが姉の信条だった。
「……ホント、お姉ちゃんは意識が高いな」
その意識の高さはどこから来るんだよ。自信家にしても限度ってものがあるだろ。
「それはそうよ。柏崎家の長子であり貴方の、大和のお姉ちゃんである私は常に『誇れる姉』であり続ける事を自分に課しているのだから」
「…………」
昔からそうだった。
姉はとにかく自分に対して厳しかった。
他人に対してもそうだけど、それ以上に自分自身に重責を与えていた。
私は柏崎家の長子なのだから、と。
天才という生き物はどこまでもストイックだから。
そんな人生は詰まらないだろと言ってやりたいけど。
目の前にいるこの姉に言っても意味はないだろう。
「……お姉ちゃんの言いたい事は何となく分かったよ」
分かったけど。
「でも、やっぱり『それ』を認める訳にはいかないんだ。相手を許さないと醜い争いがいつまで経っても終わらないから」
もしかしたら俺はまだ自分の悪い部分を認め切れていないのかもしれない。
この夢はいわば自問自答の代行であり、もう一度自分自身を振り返るために用意された都合の良い舞台装置なのだろう。
「ありがとうお姉ちゃん。おかげで少しは気が楽になったよ」
クスリ、と。
「あら珍しい。大和が私にお礼を言うなんて」
確かな笑みを浮かべて。
「やっぱり貴方、ちょっと変わったわね。前の時はこっちの話なんて全然聞かなかったのに」
偽物の姉は言う。
「一つ訂正するわ。貴方の人生、詰まらない事ばかりじゃなかったみたいね。まぁ、それでもまだ詰まらない部類なのだけれど」
いかにも本物の姉が言いそうな言葉だった。
「しょうがないだろ。前の時は多分俺の人生で一番心が荒んでいた時期だから」
「それも含めて、よ。曲がりなりにも、お姉ちゃんにこうやって口答えが出来る様になっただけでも貴方が立派に成長した証なのだから」
「そうだな。どこぞの委員長様のおかげで口論スキルが大分上がったからな」
「そうね。そのどこぞの委員長様にもちゃんと感謝の気持ちを伝えてあげなさい。言いたい事をハッキリと言ってあげるのもまた一つの優しさなのだから」
上機嫌な猫耳はおもむろに立ち上がり、クルリと俺に背を向ける。
「そろそろ時間みたいだから、お姉ちゃんはこのあたりで御暇させて貰うわ」
自身をお姉ちゃんと自称する存在はフワフワの尻尾を振りながら最後に一言だけ。
「流石の私も米国から日本に精神体を飛ばすのは骨が折れる作業だから」
そんな不穏な発言を去り際に残して。
「また会いましょう。可愛い私の大和。次に逢う時はお姉ちゃんと一緒にお風呂にでも入りましょう」
この悪夢はそこで終わりを迎えた。
「マジ怖ええええぇぇぇ!!!」
夢から醒めた瞬間に思わず絶叫してしまった。
何が怖いかって? あの姉なら非科学的でオカルトチックなことでもその気になればワンチャンで出来そうだと思えるあたりが。
「いや、流石にあの姉でも他人の夢に干渉なんて出来ない──よな?」
今のは夢、そうただの夢だから。
「ワフッ?」
愛犬のつぶらな瞳が全てを物語っていた。何やってんだコイツ、と。
「心配すんなクロ。俺はまだ一応正気だから」
ピンポーン。
唐突にインターホンが鳴る。
時計で時間を確認したらいつの間にか時刻は午後六時頃になっていた。
ピンポーン。
「ワン!」
インターホンの音に反応したのかクロが玄関の方へ向かってトボトボと歩き始める。
「ちょっ、待てクロ。玄関に行くな、お座り、待てだ、待て」
尻尾をブンブンと振った愛犬は俺の命令を無視して玄関のドアをカリカリと引っ掻く。
「…………」
正直に言って今日はもう誰にも会いたくない。
風邪をひいている状態で真面に人と会話なんて出来ないから。
場合によっては風邪を口実に面会を拒絶しよう。
そう思って。
俺はドアの覗き穴から来訪者の姿を確認した。
「…………え?」
そこに居たのは予想外の人物だった。
一眼見てそれが『彼女』だと分かった。
本来ならこの家に来る事なんてないはずの人物。その人が“今の我が家”に訪問してきた。
だってあの人は──もう。
「お久しゅうございます。坊っちゃま」
家の扉を開けると開口一番にメイド服を着た女性にそう挨拶をされた。
「……玲奈さん?」
そこに居たのは過ぎた年月の分だけ大人びた、大人になった世話係の姿があった。
「はい、玲奈でございますよ」
斜め四十五度の綺麗な御辞儀をして玲奈さんは言う。
「本日は坊っちゃまの看病に参りました」
知らない人が来てはしゃぐ黒い毛玉を見てふと思う。
流石に俺でもこの展開だけは予想出来なかった。
お姉さんメイドと小さいお姉ちゃんの今後の活躍にご期待ください。




