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幼なじみが幼なじみに負けないラブコメ。  作者: 窪津景虎
起・幼馴染、元気ですか?
49/61

誘惑? 止まらない幼馴染の暴走

なるはやと公言して二週間も更新を遅滞させてしまい申し訳ございませんでした。

 結局はこうなるんだよなぁ……。

 自室のドアを開け、俺はそんな嘆きの一言を心の中でボソッと呟いた。

 夕食を終えた午後七時頃。自室の前。

「大和のお部屋満喫ターイム!」

 ゲートが開いた直後の競走馬の如く、嬉々とした顔で「いぇーい」と俺の部屋に突撃するワガママな幼馴染おひめさま

「ベッドにぃぃぃドーン!」

 学校の制服を着たままなのにも関わらず、なんの迷いも無く人のベッドに飛び込み、枕を抱きしめてゴロゴロと寝転がる姫光。どういう理屈か、さっきからやけにテンションが高い。

 夕飯の最中も俺が折れるまで引っ切り無しに「大和の部屋に行きたい!」と駄々をこねていたけど。

 何故こうも俺の部屋に固執するのだろう。

 何か理由があるのだろうか?

 姫光のテンションが空回りしている気がする。無理して空元気に振舞っている様に見えるのは俺の勘違いなのだろうか。

「ふーんふーんふーん♪」

 小さな怪獣の化身は鼻歌交じりに足をバタバタとバタつかせる。ベッドの上で水泳のバタ足でも練習しているのだろうか。多分違うよな。

「…………」

 いくらなんでも人の部屋でアグレッシブ過ぎるだろ、コイツ。少しは遠慮しろよ。

 そんなにアグレッシブだと……何かの拍子でうっかり下着パンツが見えちゃうだろうがっ。

「やだ、この枕すっごく気持ちいいんだけど?」

「…………」

 人の枕に遠慮なく顔を埋めるな、と言ってやりたい。

「これは完全に人を駄目にする感じのベッドよねー」

「…………」

 なんていうか……無防備すぎる。

 寝返りをうつたびにフワリと浮き、足をバタつかせるたびにヒラヒラと舞うチェック柄のスカート。それに包まれた形の良い臀部ヒップ

 そこから伸びる色白の太ももと生足がとてもまぶしくてなまめかしかった。

「ねーねー大和。漫画とか読んでも良い?」

「……っ!?」

 姫光の呼びかけでハッと我に返り慌てて生足から目をそらす。

「あ、ああ。テキトーに好きなの読んでくれ……」

「んー、ここからだと本取れないから大和がテキトーに取ってよ」

 ころりと寝返りをうち、両手を開いて「ちょーだい」とアピールする姫光。

 その仕草がたまらなく挑発的というか、魅力的に見えた。まるで誘っているかの様な。

「…………」

 いやいや。待て。

 俺は何を意識しているんだ。

 いくら姫光がベッドの上にいるからって……まさか期待でもしているのか?

 有り得ないだろ。変なことを考えるな。

 今は真摯に紳士な対応をするべきだ。

「テキトーでいいならマジでテキトーに取るからな」

 俺はそんな事をボヤいて本棚からランダムに漫画本を三冊ほど抜き取って姫光にそれを「ほらよ」と渡す。

「おっ、ワンピじゃーん。ヤバイ、超(なつ)いんだけど」

 テンション高めでケラケラと笑う姫光は漫画を受け取ると寝っ転がったまま仰向あおむけで本を読み始める。

 人のベッドを占領して黙々と漫画を読む幼馴染。

 それを黙って見守る俺。

 あまり広くない部屋に気不味い静寂せいじゃくが満ちていく。

 体感で一分くらいが経過したあたりで唐突に姫光が──。

「てゆーかさ。そんな所に突っ立ってないで大和も“こっち”に座れば?」

 そんな事を言い出した。ベッドをポンポンと叩いて催促する様に。

「いや、ベッドに座るって……お前が占領していて座る場所なんて──」

 そう言いかけて。

「んー? こうすれば座れるでしょ?」

 俺はゴクリと息を飲んだ。

 姫光が足を立てて体育座りみたいに足を引っ込める動作が目に入った。

「ほら、これで座れるでしょ?」

 いや、待てよ。

 だって、その場所に座ったら──。

「どうしたの? ボケーっとして」

「あっ、いや……」

 だって……その位置で、その角度だと、横に座ったら確実に“見える”から。

「遠慮してないで早く座りなさいよ。これは船長命令なんだからね?」

 空いたスペースに座るように催促する姫光。催促というより完全にただの強要だった。

「あ、ああ。分かった、座ればいいんだろ……」

 ドクン、と。

 心臓が飛び跳ねた気がした。

 誘われている。

 そんな淡い期待に近い予感があった。

 予感はあったけど。

 脳内に「なんでこのタイミングで?」という疑問が浮かび、そこから広がっていく可能性を一つずつ真っ向から否定して潰していく。

 姫光の方から俺を誘惑する。

 姫光に限ってそんな『はしたない事』は決してしない、と。

 姫光の自尊心プライドがそれを許すはずがない。

 姫光は人一倍身持ちが固い女だから。

 少なくとも背を向けたままベッドに座る瞬間までは──そう思っていた。

「…………っ!?」

 チョン、と。

 姫光の足が俺の腰に触れるまでは。


 こっち向いてよ。


 そう──言われた気がした。

「…………っ」

 今日はやけに積極的というか、グイグイと迫って来る気がする。

 思い返せば、姫光はあの時、俺にキスをねだってきた。

 そして別れ際に「待っているから」と告げた。

 あれは言わば一種の『踏み絵』みたいな行為なのだろう。

 自分の気持ちに俺がちゃんと応えてくれるかどうかの確認。

 あの時はどっちつかずの対応で乗り切ったけど。

 今回はどうすればいい?

 姫光は今何を確認しているのだろう。

 俺の何を試しているのだろう。

 本当に誘惑しているなら応えるべきなのだろうか。

 それとも俺をからかって遊んでいるだけなのだろうか。

 そもそも何の気もなしに男の部屋で二人きりになるだろうか?

 分からない。分からないけど。

 それでも分かる事が一つだけある。

 間違いなく今俺は男の器量うつわを試されている。

 それだけは分かるけど──。

 押すべきか、引くべきか。

 正解がどっちなのか、それが一番分からない。

「……ねえ、大和」

 姫光は言う。少し甘えた声で。衝撃的な一言を。

「あたしが“今日は帰りたくない”って言ったらどうする?」

「……………っ!?」

 絶句。

 姫光の爆弾発言に言葉が出てこない。

「いや、どうするって……」

 振り絞る様に声を出してみたものの頭の中はすでに大混乱だった。

 困惑。軽いパニック状態。

 ピヨピヨとひよこが頭の周りを回っている気分だった。

「それは……」

 今日は帰りたくない。

 それはつまり……そういう事なのだろうか?

 言葉通りに受け取っていいのだろうか。

 脳内に浮かぶ二つの選択肢。

 『分かった。準備するから先にシャワー浴びてこいよ』

『いや、帰れよ。泊まるにしても、着替えとかないだろ?』

 俺が選んだ答えは──。

「……いや、帰れよ。泊まるにしても、着替えとかないだろ?」

 とにかく逃げの一手だった。

「着替えとかその辺は大和のやつ貸してくれれば問題ないから」

 そんな逃げの一手に詰め寄る姫光の強烈な攻め。

 大胆不敵な一撃。

「下着は……一晩あれば乾くだろうし……」

 ポツリと呟かれる聞き流せない一言。

「…………」

 お前、俺の服着るのに抵抗とかないの?

 あと、その言い方だとこれから一晩下着無し(ノーパン)で過ごす様に聞こえるんですけど?

 脳内にモヤモヤと浮かぶ姫光のあられもない姿。

 具体的に言うと裸ワイシャツ。俺はそれを想像してしまった。

 ああ、でも裸パーカーも捨てがたいな。

 いや、そうじゃなくて。

「……ほら、帰らないと大輔さんが心配するだろ?」

 頭から妄想を消し飛ばし詰むまでとにかく逃げる苦し紛れの一手。

「大輔には後で『友達の家』に泊まるって連絡するから」

 ドーンと逃げ道を塞ぐ姫光の王手。

「そ、それに今日は母さんが帰ってくる──」

「んん? たしか大和ママは北海道の大学に出張してて週末まで帰ってこないはずでしょ?」

「……………」

 方便の為についた嘘があっさりと看破された。

「…………あ、ああ。特別講師の依頼で講義と実習に参加するんだって……言ってたけど」

 だから……なんでお前が母さんの仕事日程スケジュールを把握しているんだよ。そこら辺そろそろきっちりと問い質したいんだけど。

「じゃあ、今夜は泊まっても良いよね?」

 有無を言わせない一言。

「…………」

「い・い・わ・よ・ね?」

「…………っ」

 どうやら俺が詰むまで攻撃の手をゆるめる気は無いらしい。

「ねえ、大和……あたしと一緒に寝るの嫌?」

「…………!?」

 その質問はズルいだろ。

 そんな甘えた声、普段なら絶対に出さないよな?

「それは……」

 質問に答えようとした時点で“詰み”が確定した。

 今回ばかりは曖昧な態度で終われない。終わらせられない。

 覚悟を決める時が来たのかもしれない。

 全てに対して責任を取る覚悟。

 そう意識したせいだろうか、襲い来る重圧感プレッシャーのせいで身体がカチコチに固まって思うように身動きが取れない。

 座ってからどれくらい時間が経っただろう。

 俺は未だに前を向いたままだった。

 姫光の方に顔を向けられない。首を横にするどころか、視線すらも。

 だって……そっちを見たら自制が効かなくなるから。

 姫光の下着パンツを生で見る。

 そんな事をしたら理性が蒸発して性衝動リビドーが爆発するから。

 脱衣所で揉みくちゃになったあの時と今では状況がまるで違う。部屋も明るいし、険悪なムードでも無い。

 姫光が『それ』を拒まなければ俺は自分の欲望を止めることが出来ない。

「……俺は──」

「…………」

 至近距離のせいか「ふぅ、ふぅ……」と姫光の荒い息遣いが聞こえる。

 姫光が俺の返事を待っている。

 振り向かなくても期待の眼差しを向けられているのが雰囲気フィーリングで分かった。

 俺の自意識過剰なのかもしれない。

 でも、そうだよな。

 姫光にここまで言わせたんだ。

 女をいつまでも待たせる奴は男じゃない──そうだろ?

「お前のことが──」

 先ずは俺の気持ちを姫光にちゃんと伝えないと。

「な、なーんちゃって!」

 姫光が発したその一言を聞くまでは……そう思っていた。

「あれ? 大和ってば、もしかして本気にしてた?」

 クスクスと笑いながら姫光は言う。

「もー、大和は本当にバカなんだから。あたしが『準備』も無しに泊まるわけないじゃない。そういうの普通に考えれば分かるじゃん?」

「…………」

 姫光にからかわれていた。

 そう理解した途端、欲情してたかぶっていた気持ちが一気に冷めた。

 ふにゃふにゃ、と。

 というか完全にえた。

「あれれー? 大和はもしかしてあたしと『エッチなこと』出来るかもって期待してたのかな? 残念でしたー。ふふん、あたしはガードが固い女なんだからね?」

 人を小馬鹿にする姫光。その不遜な態度に少しばかり苛立ちを覚えた。

「はっ、べつに……」

 純情な男心を幼馴染にもてあそばれた。

 思わせぶりな態度で散々人を煽って期待されておいて……その態度はないだろ。

 マジ無いわ。

 どうせあれだろ? 無防備なフリして実はスカートの下にスパッツとか穿いていて下着パンツが見えない様にしてあるんだろ? 挙動不審な俺の反応を見て楽しむために。

「ふひひ、大和ってば、もしかして怒ってる? ホント、大和はいじり甲斐があるから楽しいのよねー」

「…………」

 人をからかうのも大概にしろよ。

「お前な、少しは──」

 そんな怒りにも似た感情を胸に抱き、文句の一つでも言ってやろうかと姫光の方を何気なく向いた──。

「ちょっ!? まだ『こっち』向かないでよ!」

 のが悪かった。

「…………っ!?」

 驚愕きょうがくの瞬間。

 目を奪われるとは言うけど。

 俺の人生でこれほど視線が釘付けになった事が未だかつてあっただろうか。

 まず最初に目に入ったのは赤いチェック柄のスカートと純白のシーツの狭間から伸びる二本の色白な美脚だった。

 その美しさを例えるなら百合の花が一番相応しい表現だろう。

 色白で程よい肉付きの太もも。

 大股を開いてM字開脚気味になっている姫光の生足。

 その中心部に位置するのは薄ピンクの扇情的な布地。

 桃色に染まった淡い色の下着パンツ

 例えるなら『めしべを覆う花弁』が妥当な表現なのかもしれない。

 まだ開花しきれていない若い蕾の花。それを覆う薄い桃色の花びら。それが少しばかりお尻と『めしべ』の方に食い込んでシワができている。その食い込みで出来たシワがとても魅力的に見えた。

 端的な感想を述べると姫光に良く似合う可愛い感じのパンツだった。

 ふぅ……。

 控えめに言って目が幸せだった。

 俺は今世界に二つと無い『花』を見ている。その美しさはもはや芸術的と言っても過言ではない。

 人は真に美しい物を見ると邪な気持ちを抱かない。

 今なら悟りの一つでも開けるのではないだろうか。

 あまりにも尊すぎて汚れた心が浄化された気さえする。

 心頭滅却。煩悩退散。

 そんな感じで不純な気持ちを捨てたからこそ。

「ぴゃぁぁぁ!!! いつまでこっち見てんのよ! 大和のバカ! エッチ! 変態! むっつりスケベ!」

 そんな奇声じみた罵詈雑言も甘んじて受け入れられるのだろう。

「マジ信じられないんだけど! パンツ見える位置ポジションでこっち振り向くとか! マジであり得ないんだけど!?」

 見事なほど頰も耳も朱色に染まった姫光の顔。よく熟れたトマトといい勝負ができるほど赤みがかっている。肌が色白だから赤くなった部分がより一層際立って見えた。

「大和のバカ! なんでそんなにあたしのパンツガン見してんのよ!」

 羞恥心で赤くなった顔を両手で隠してギャーギャーと喚き散らす姫光。

 頭隠して尻隠さず。どういう理屈か隠すべき場所を一切隠さず姫光は足でげしげしと俺の腹部を小突く。

 足に力が入っていないのか、はたまた大股を開いているせいなのか、げしげしと蹴られても全然痛くなかった。

 あと、手で隠さないからパンツ見えたままなんだけど。蹴ってくれたおかけで見えなかった部分のフリルとリボンがはっきりと見えた。

 蹴ってくれてありがとう、と言いたい。

「早くあっち向いてよ! 大和のバカ! バーカ!」

 泡を食った様にキャンキャンと吠える姫光に俺は冷静かつ的確なアドバイスをする。

「いや、お前がパンツを隠せば済む話だろ」

 姫光は。

「ん??? 隠すって……あたしの手は顔の方を隠しているから……いや、手が全然足りないんだけど!?」

 混乱しすぎて意味不明な言動を口走っていた。

「あっ、そうだ漫画本でパンツ隠せばいいんだ。あたし冴えてるー」

「…………」

 コイツ、どんだけパニック起こしてるんだよ。

 単純に脚を閉じれば済む話だろ。

「これでよしっと」

 股の間に漫画本を広げて一息つく姫光。安心している様子だがピンクの部分が隠し切れていなかった。

 だから脚を閉じろよ。

 というか、何で開けっぴろげに大股開いてるんだ?

 花も恥じらう十代の乙女(ハイティーン)がそんな行儀の悪い行動を取るだろうか。

 一体何のためにそんなことを。

 煽るだけ煽って「はい終わり」の生殺しなら『仕掛けている側』はこんなに取り乱さないはずだ。

 からかうにしては演技が上手いし、誘うにしては態度も対応も中途半端だし。

 マジで意味不明。

 姫光のやつは何がしたかったんだ?

「すーはーすーはー……ふぅ、ふぅ、ふぅ……」

 深呼吸で荒い息遣いを整える姫光。顔はまだ紅潮したままだった。

「……か、勘違いしないでよね」

 ポツリと。

「べ、べつにアンタを誘惑したとか……そんなんじゃない、から」

 何も訊いていないのに姫光はツラツラと言い訳がましく弁明する。

「間違っても途中でビビって止めたわけじゃないから。そこんところ勘違いしないでよね!?」

「……………」

 言動が支離滅裂というか何というか。

「……よし、お前は一旦落ち着け。とりあえずもう一度深呼吸しろ。あと、いい加減脚を閉じろ。目のやり場に困る」

「…………ふぁっ!?」

 隠し切れていない事実を指摘されて再びパニック寸前になる姫光。

「あー……分かった。俺が後ろ向くからお前はとりあえず平常心を取り戻せ。それでも駄目なら俺は一旦部屋を出るから」

 俺はそう言いながらゆっくりと背を向けて部屋の壁に目を向ける。

「…………押し倒したりしないの?」

「…………」

 酷い言い草だな、おい。

 質問するにしても、もう少し言葉を選ぶべきというか、デリカシーのない発言するなぁ。

「しねーよ。お前は俺を何だと思ってんだよ?」

「だって、あたしのパンツガン見してたし……」

「…………おおう」

 恨めしそうな声でありのままの事実を指摘された。

「……それは仕方ないだろ。俺だって男なんだ。見たいもんは見たいんだよ」

「やっぱ見たいんだ?」

「……そこから先はコメントを差し控えさせてもらいます」

 正直言って劣情に負けて大切な幼馴染おひめさまを押し倒さなかった自分の紳士対応を褒めてやりたい。

 パンツをガン見する奴が紳士かどうかは分からないけど。

 でも、やっぱり。

「……前にも言っただろ。お前を傷つける事は“絶対”にしないって。だから押し倒すのは無しだ」

 俺が性衝動を我慢する、我慢出来る理由はそこにあるのだろう。

「…………そっか」

 ボソボソと姫光は。

「あたしって大事にされてるんだ……」

 何かに納得した様子でそう呟いた。

「……ちょっとだけ待って。ちゃんと落ち着くから」

「……ああ、分かった」

 そして、それから数分が経ち。

「もう落ち着いたか? そっち向くぞ?」

「ん、もう大丈夫」

 振り向くと、そこにはしおらしい雰囲気でベッドに腰掛ける姫光の姿があった。腕の中には俺の枕がしっかりと抱かれていた。

「で? 何であんな事したんだ?」

 俺の率直な質問に姫光はこう答えた。

「……マーキング」

「……は?」

「ここはあたしの居場所アジトなんだって自己主張したかったの。自分の縄張なわばりにはマーキングするのが普通だから」

「いや、マーキングって犬や猫じゃあるまいし」

「一緒よ。人間でも自分の匂いがしないと不安になる事ってあるじゃない。あたしの家はもう『あたしの匂い』がしないから」

 だから家に居辛いし帰りたくない、と姫光は言う。

「お、おう。そうだな……」

 姫光の言いたいことが今一つ理解出来ない。

 やっぱそこら辺は感性の違いとか男女の違いなのだろう。

「多分、あたしは焦っていたんだと思う。居場所が無くなる前にもっと先に進まなきゃって……そう思ってた」

「お、おう。そっか」

 分かった風を装ってとりあえず相槌を打つ俺。はっきり言って姫光が何を言いたいのかがさっぱり分からない。

 そんな感じで独り言めいた姫光の話に付き合ってからさらに数分が経ち、時刻は午後九時にまで迫っていた。

「それで、今日はどうするんだ? 帰るならクロの散歩ついでに家まで送っていくけど?」

「…………」

 無言の圧力と細めた目で俺に不満を訴える姫光。いかにも「あたしって散歩のついでなんだ、へぇ……」と言いたげな顔だった。

 ていの良い厄介払いだと勘ぐられてなければいいけど。

「……どうか差し支えがなければお家までエスコートさせて下さい姫光お嬢様」

「ん、分かった。エスコートよろしくね」

 そんな感じで精神面だけでも紳士の振る舞いを演じた俺はクロと一緒にお姫様をお屋敷の前まで送り届けた訳なんだけど。

 どういう訳か、道すがら姫光は終始しおらしい雰囲気のままだった。

 上の空というか心ここに在らずというかべきか。何を話しても生返事しか返ってこなかった。

 今日の姫光はらしくない振る舞いが目立った。

 まるで何かに気付いて欲しいと訴えかける様に。

 でもまぁ、人間ならそんな日もたまにはあるのだろう。そう思って俺はそれ以上の事はあまり深く考えずにいた。

 思考の放棄。問題の先延ばし。

 もしかしたら俺は無意識のうちに『気付いていないフリ』を姫光の前で演じていたのかもしれない。

 それでも。

 ただ一つだけ、気がかりな事があるとすれば。

「そうよ。大和はあたしの──なのよ……絶対誰にも渡さないんだから」

 別れ際に姫光がぶつぶつとそんな独り言を呟いていた事くらいだ。

今後とも彼女面ムーブを爆走するメインヒロインにご期待下さい。

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