手紙、米国からの報せ
その手紙の存在に俺が気付いたのは、中間考査期間中は行くのを自粛していたアルバイト先である“じいちゃん”家から帰宅した日曜日の夕方の時だった。
ポストに投函されていた青と赤を基調にしたカラフルな封筒。
航空郵便。海外からの手紙。
「…………?」
うちに外国人の知り合いなんていないはずなんだけど……。
そう思って宛名の住所を確認。JAPANの文字が入っているけど、間違いなくうちの住所だった。
なら、母さん宛の手紙かな?
仕事の要件とか。母さんなら有り得ない話じゃないし。
間違っても俺宛の手紙なんかじゃ──。
そう思って封筒に書かれた宛名に目を落とす。書かれていた名前は。
青海大和様。
「…………っ」
俺だった。
嫌な予感。
真冬に吹き荒れる強烈な吹雪。そんな寒気に似た緊張感に襲われる。
「……いや、まさか」
そんなはずはない。間違ってもそれだけは無い。
そんな気まぐれを起こす様な人間では無い。あの人は。あの彼女が。
あの“姉”に限って俺に手紙なんて──。
そんな否定的な言葉を頭の中で並べて、恐る恐る差出人の住所欄に目を移す。
最初に見えた文字はUSA。
住所は米国のマサチューセッツ州、ボストン。
『まさちゅーせっちゅしゅー? なにそれ、シュークリームの仲間?』
『違うッスよひめちゃん。マサチューセッツ州ッス。そこにあるボストンって都市が前にウチが住んでいた場所なんッスよ』
『ボストンって確かハーバード大学とかマサチューセッツ工科大学とか有名な大学がある場所だよね?』
『おおっ、イオちゃんは物知りッスねー。さっすが委員長キャラは伊達じゃないッス』
ふとしたきっかけで蘇る昔の記憶。
いつだったかの塾で後ろの列にいる三人がそんな話をしていた事を思い出した。
ボストンは有名な語学学校が多数あり、留学先として人気のある場所だ。
海外留学。それが可能な知り合い。海外留学できるほど頭脳が明晰な人物。それはつまり──。
震える手を鋼のメンタルで鎮める。
覚悟を決めて差出人の名前を確認する。
差出人の名前は──。
From.Mikoto.Kashiwazaki。
漢字に変換すると柏崎美命。
予感が確信に変わり手がガクガクと激しく震える。
「……………」
よし。一旦落ち着こう。
玄関の鍵を解錠してドアを開き家の中に入る。
出迎えに来た愛犬が足の周りをチョロチョロとまとわりつく。普段なら頭の一つでも撫でてやるのだが……残念ながら、この時の俺にそんな事をする心の余裕は一ミリもなかった。
リビングに入った瞬間、封筒をテーブルに置いて、スッと水面に浮かぶ水鳥の様に静かにソファーに腰かける。
「すーはー……」
深呼吸。
よし、一旦落ち着いた。
あとは不満をブチまけるだけだ。
「畜生っ、なんでこうなった!?」
頭を抱えてオーバーリアクション気味に嘆きの声を上げる俺。
「おいおい、BOSSそれは無いぜ。いくら大統領の注文でも俺にだって選ぶ権利はあるはずだ。そうだろ?」
一人でアメリカ映画にありがちな台詞回しを呟いて心の平穏を保とうとするも、身体の震えは一向に収まる気配が無い。
「勘弁してくれよBOSS。明日は娘の誕生日パーティーなんだ。今から他所の戦場に行くなんて嫁に知られたらスラム街のドブネズミよりも臭い俺の靴下を朝食のトーストと一緒に食わされちまう。俺はそんなのごめんだよ」
つぶらな瞳で「何してんだこいつ」と目で語る愛犬。
心配すんなクロ。俺はまだ“一応”正気だから。
「OK。分かった、俺の選択肢は二つ。『悪いニュースを今すぐ見る』か『悪いニュースを無視してさらに悪いニュースが来るのを震えて待つ』かだ。実にシンプルな問題だろ? こんなのベースボールの試合を観に来たキッズにだって答えられるはずさ、ハハッ」
アメリカンナイズなテンションで自分自身を奮い立たせる。だが、目の前に置いてあるエアメールに中々手が出せない。
「ほんと、厄介な時期に、厄介な物を送る厄介な姉だよ貴女は……」
溜息を吐いて一言だけ呟く。某アニメ映画で語られる、あの有名なフレーズを。
「ハクナマタタさ、嫌な事は忘れろ」
言葉のチョイスに深い意味は無い。ただ言いたかっただけだ。
意を決して封筒を開封する。
当たり前だけど、中には一枚の手紙が入っていた。
俺は嫌々ながら手紙に目を通す。
達筆な文字で認められた手紙の冒頭はこう書かれていた。
愛しの我が弟へ
拝啓
新緑の美しい季節を迎え陽の光の強さも相まり、夏の訪れを肌で感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
一先ず、謝辞を述べさて頂戴。貴方がこの手紙を開封するにあたり様々な苦悩と葛藤があったと思うけれど。貴方が勇気を出してこの手紙をちゃんと読んでくれた事にお姉ちゃんは感謝しています。
「……………」
読んだ瞬間に戦慄を覚えた。
あの姉、開封をためらうのも想定済みかよ。予知能力者でもあるまいし、マジで恐怖しかない。
俺は戦々恐々しながらも読まないと始まらない上に終われない厄災を読み進める。
さて、書きたい事が山の様にあるのだけれど、全てを書き連ねると用紙が森林破壊しても足りないほどの枚数になると思うから、要件は手短にかつ合理的に伝えさせてもらうわ。
書かれていた要件、いや、この手紙の趣旨はその一言に集約されていた。
いい加減、米国に来なさい。
姉からの催促。海外留学の打診。
貴方にとっても、お姉ちゃんにとっても、日本という国は狭くて小さ過ぎるのよ。
いつまで子供みたいに駄々を捏ねているつもりなの?
離婚して縁を切ったとはいえ、貴方も華族の血筋を受け継ぐ柏崎家の一員なのだから、貴方にはその才覚を遺憾なく発揮する『責任』と『義務』がある。お姉ちゃんはそう考えています。
「……俺を貴女と一緒にしないでくれよ……」
比べられるのが嫌だから、人生を勝手に決められるのが嫌だから。
だから、俺は『あの時』家出したんだ。
トラウマに近い湿った記憶を頭の片隅に追いやり、俺は手紙の末文に目を通す。
もちろん貴方にも異議申し立てをする権利はある。だから、今一度、貴方の──大和の気持ちをお姉ちゃんである私に聞かせてほしいの。
つきましては八月の中頃、お盆休みの間に一度、日本に帰国するから。その時に『他の家族』も交えて姉弟水入らずの時間を有意義に過ごしましょう。
敬具
手紙の最後にはさらにこう書かれていた。
追伸
お祖父様がその気になれば文字通り『合法的』に貴方を柏崎家の一員として連れ戻すことも出来るという事実を忘れないで頂戴。お祖父様に会いたくなければ今後とも身の振り方には気を付けること。そして、心身の健康にはちゃんと気を遣いなさい。何事においても自愛の精神は大事よ。これはお姉ちゃんとの約束だからね?
そして、最後の一文に核弾頭クラスの爆弾発言を落として、この手紙は締め括られる。
そうそう、万が一にも貴方に彼女が出来ていた場合は隠さずにちゃんと私に紹介すること。お姉ちゃんの可愛い大和を拐かした女狐をその場で処するのに多少の準備は必要だから。間違ってもあの『茶髪の阿婆擦れ』とだけは交際してないわよね?
もしもそうであるなら、お姉ちゃんは持てる全ての力を行使してそれを排除します。
最後の一文を読み終えて、俺はそっと手紙を閉じた。
そっ閉じ。
「……………ふぅ」
溜息を一つ。
この手紙から分かったことが一つ、いや二つだけある。
それはあの姉が未だに極度の弟愛を拗らせている事と。
今年の夏は迫り来る厄災のせいで対人関係が大いに荒れることだろう。
「この手紙、見なかった事に出来ねぇかなぁ……」
──This story is to be continued.




