夕方、劣等感との対面
落ち着け。心を落ち着けるんだ。
この時、この瞬間はずっと前から脳内で何度も何度もシュミレートしてきただろ。
いつか来る対面の為に、出来る準備はしてきたはずだ。
大丈夫だ。俺は一人でもやれる。これは、この問題は一人で向き合わないと駄目なんだ。
窮鼠猫を噛むとは言わないけど。俺を追い詰めた事を、ここで後悔させてやる。
身体が震えるのは断じて恐怖では無い。いわばこれは武者震いだ。
積年の恨みを晴らすためにも。
俺は今日、嫌な記憶と決別する!
「…………」
そう心の中でどんなに思考を巡らせても、いざ何か喋ろうとすると言葉が中々出てこない。
畜生。
やはり、俺という人間は不測の事態が苦手なようだ。
「おいおい、なんだよ青海。久しぶりに会ったってのに挨拶もないのか?」
気さくそうに話しかけてきた割に、どこか人を小馬鹿にした態度が垣間見えるのは、俺の被害妄想なのだろうか。
挨拶だって? ふざけてるのか?
夕方だと『今日は』と『今晩は』の境界が微妙だけど。多分、挨拶なら今晩はが正解なんだろう。
だけどな。
生憎、怨敵と和やかな会話をするほど俺はお人好しじゃない。俺が偏屈な性根でなければ言われた通りに「ごめーん。久しぶりだねー」くらいは返していたかもしれない。いや、言わないけど。
相手になめられると会話の主導権を握られるから。少しでも優位に立つために、ここは少し勇んだ振る舞いをしておこう。
「あ? 何で平然と馴れ馴れしく話しかけてきてんだよ? お前は俺に言わなきゃいけないことがあんだろ?」
即興で考えて口から出た言葉が奇しくも昨夜の姫光に言われた内容と似ていたのはただの偶然だったと思う。
「ハハッ、急にどうした? そんなにイキって──オレが何か気に障ること言ったかよ?」
俺の威圧なんか歯牙にもかけず王子様はヘラヘラと嘲笑う。
気に障る? ああ、そうだよ。
俺はお前が嫌いだ。
その態度も、その声も、その顔も。お前の全てが不愉快だ。
「ああ、そうだよ。お前の存在自体が気に障る」
ピリピリと肌がひりつく感じを覚える。俺はこの感覚を何と呼ぶか知っている。
敵意だ。
俺は今、目の前の相手──雪雄に敵意をむき出しにしている。
湯沢雪雄。
俺のトラウマの象徴であり劣等感の化身である存在。
雪雄の人間的価値を言葉で表現するなら『絵に描いたような優等生』が妥当なところだろう。
学力は中学時代までは伊織とほぼ同じ。いや、総合的な学校の成績だけなら雪雄の方がわずかに上だった。
スポーツはバスケ部のエースである大智といい勝負が出来るくらい優秀。
友達の多さは健に引けを取らない。社交性とか協調性とか他人とのコミュニケーション能力は間違いなく高いのだろう。
姫光ほどではないが人望もある。中学時代に生徒会長に当選する程度に人徳とか信頼ってやつがこの野郎にはあった。
実家は弁護士一家である美夜子の家よりも裕福だ。たしか親が地元にある老舗旅館を含めたリゾート施設の経営者だったはずだ。
芸術的な才能は美未の足元にも及ばないけど、一般的な評価なら芸達者の部類に入るだろう。
容姿は王子様と呼んでも違和感が皆無なほどの端麗ぶりときたもんだ。実際のところ昔からかなり女子にモテていた。
俺が勝てる要素なんて、せいぜい身長の高さくらいしかない。
ほんと、こうして改めて見ると絵に描いたようなイケメンだ。イケメン過ぎて精神が擦り切れそうになる。
人が欲しがるモノは全て持っている存在。全てを持っているのに俺から『大事な宝物』を奪った存在。
湯沢雪雄は王子様である。
王子様は偽善と圧政で俺の全てを壊した。
だからこそ。
「目障りなんだよお前。俺の前からさっさと消えろ」
俺は雪雄を拒絶する。
「ハハッ。随分とつれない態度だな青海。人の話もまともに聞けないとか、お前いつからアスペになったんだよ?」
雪雄は。
「ああ、そうだったな。アスペつーかコミュ症は元からだったな。悪い悪い、忘れてたわ」
そう愉快そうに言った。俺を馬鹿にするのが心底楽しいと言わんばかりに。
「…………っ」
どこで間違えた?
どこで差が開いた?
ガキの頃は仲良しだったはずなのに。どうしてこうなったんだ。
俺がお前に何かしたかよ?
俺はお前に嫌われる事なんて一つもした覚えはないぞ。
逆はあってもお前に嫌われる事なんて──。
「つーか、いい加減人の質問に答えろよ。お前、最近『姫』と会っただろ?」
「っ!?」
心臓に焼けた鉄杭が打ち込まれた様な感覚に襲われた。
嫌われる理由は──あった。
『姫はオレが守る。お前は二度とオレたちに近付くな』
そういうキザっぽい台詞が素直に出てくるって事はつまり『そういう事』なんだと、俺はあの時に感じ取ってしまった。知らなくてもいい事を思い知った。
お姫様に対する王子様の想いってモノを今までずっと遠くの方から見てきた。この二年近くの間、嫌というほど見せ付けられた。
「…………」
分かってるよ。
俺が邪魔なことくらい。
知ってたよ。お姫様のこと諦めて欲しいんだろ?
だから追放したんだろ?
みんなでグルになって手の込んだ茶番劇まで演じて。
王子様はお姫様の事好きだもんな?
お姫様は王子様と一緒になるのが一番だよな?
そんな事は──。
「知らねーよ」
俺はそう雪雄に言い返した。
どんなに頭で理解していても心がそれを認めなければ意味ないんだよ。
ありがとうな雪雄。
おかげで覚悟が決まったよ。
やっぱりお前は必要ない。
「つーかお前、未だに姫川のこと姫呼びしてるのかよ? いくらなんでもそれ寒すぎだろ。自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
誤解のない様にあらかじめ言っておく。
俺は割と平気で嘘をつく。
姫光を含む『大切な相手』以外なら俺は平気で嘘もつくし悪態も罵詈雑言も平然と言い放つ。
俺は人をえり好みする。
真面目な生徒であっても優等生では無い。悪人ではなくても善人でも無い。
べつに自分の事を必要悪だと評するつもりは無い。中二病は中学生の時に卒業した。俺はただお人好しじゃないだけだ。
もう一度言う、俺はお人好しじゃない。敵に情けなんて一片たりともかけない。
失った物は取り戻したいし、元に戻りたいとも思っている。
だけどな。
雪雄は、こいつだけは絶対に許さない。何があっても絶対に。
覚悟しろ雪雄。今度はお前が失う番だ。
「あっ? お前、今なんて言った?」
ビクッと。
その凄味を感じる雪雄の一言で蛇に睨まれた蛙の如く身体がこわばる自分がいた。
「…………」
うん。
そんな事を面と向かって言えてたら今頃こんな風になってないよなぁ……。
「え、えーと。その、姫呼びって呼ばれる方も恥ずかしくなるんじゃないかなーって思ってさ」
夕暮れの駅ホームに威圧された瞬間下手に出る意気地の無い高校生男子の姿がそこにあった。
しょうがないじゃん。
だって雪雄怒ると超怖いんだもん。お前の親本当はヤクザだろって思うレベル。
なんていうか。
この辺りでカミングアウトするのは大変恐縮なのですが、一言だけ言わせて頂きたい。
俺は図体だけの小心者です。
ぶっちゃけ雪雄に出くわしてから足が産まれたての子鹿みたいにプルプル震えてました。
所詮、独白は独白。思っていても声に出さなければ何の意味もない。
というか。
「おい、青海。お前、オレを馬鹿にしてるのか?」
さっきから雪雄が超怖いんですけど!?
最近の若者は沸点低すぎだろ! 最新の電子湯沸かしポットでも沸くのにもう少し時間掛かるぞ!
伊織といい雪雄といい、お前らもう少し煽り耐性つけろよ。カルシウムが足りないから背もそんなに伸びないんだよ。
「べつに馬鹿にしてねーよ。心の中で笑ってるだけ……あっ」
ポロっと。
恐怖のあまりうっかり本音が出てしまった。
「は?」
雪雄からドスの効いた声が聞こえる。
怒りの炎にガソリンをぶち込んだ瞬間だった。
「お前さ」
怒り狂って暴君と化した王子様は──。
「犯罪者の癖に、なに調子に乗ってんだ? なぁ!?」
ガツンと。
「っ!!?」
俺の左足を乱暴に踏みつけた。
勢いよく踏まれたせいで足の甲に鋭い痛みが走る。
「オレさ、お前と違って暇じゃないんだよ」
暴君の化身はギリギリとグリグリと踏みつけた俺の足をこれでもかといじめ抜く。
いたたたたっ!? 暴力反対!!
「さっさと正直に答えろ。お前、姫に何かしただろ?」
何か? 何かって何を?
心当たりがあり過ぎてどれか分かんないんだけど!?
「はっ? 俺が姫川に近付くわけないだろ? お前、海馬にウジ虫でもわ──」
癖なのか、はたまた俺の性なのか。俺は性懲りも無く、また煽り文句を言ってしまう。
委員長様に学習能力がないと言わたのが安易に否定出来なくなった瞬間だった。
「惚けんな! 姫がオレに連絡も無く無断で学校を休むわけがないんだよ!」
「……………」
……ええ。
何その決めつけ。束縛強過ぎない?
「最近何かに悩んでる素振りも見せてたし、お前が何かしたんだろ? どうなんだよ、なぁ!?」
「…………」
なんだ、姫光のやつあの件を雪雄に相談してなかったのか。
「ははっ」
無自覚のうちにクスリと笑っている自分がいた。
なんだろう。素直に嬉しい。
そっか、雪雄には話してないんだ。
一つだけ雪雄相手に優位を取れた。
そう思ったからだろうか。
さっきまで恐怖で震えていた身体が嘘みたいに軽くなった。
いや、俺の身体、手のひら返し過ぎだろ。
「お前、何笑ってんだよ!」
「いや、笑ってねーよ。馬鹿にしてるんだ」
というか。いつまで人の足踏んでんだよ。足つぼマッサージなら自分家でやれよ。
「しつこい男は嫌われるぞ? メンヘラなら尚更、なっ!」
そう言って俺は王子様の踏み付けから全力であらがい拘束から抜け出す。
「ああ? 誰がしつこいメンヘラだ!!」
今にも殴りかかって来そうな雪雄に心底ビビりつつ俺はありのままの事実を伝える。
「やめとけよ。周りに人がいる場所で喧嘩したらどうなるかお前だって分かるだろ?」
そう言って俺は人の視線に気付いてない王子様に忠告を出す。
雪雄はクルリと振り返り、人集りがこっちを注視しているのを確認する。
この辺りが王子様と委員長様の違いなんだろうな。
王子様はもう少し人の目を気にするべきだ。
「……チッ」
舌打ちを一つ。これ以上の問答は時間の無駄だと思ったのだろう。
「……オレの姫を傷付けたら許さないからな」
覚えておけよ、そう俺に釘を刺して暴君と化した王子様は肩を怒らせながら駅の改札口に向かっていく。
俺はそれを呆然と見送った。
「…………」
もうそろそろ良いよな?
「もう、あいつマジでなんなの!? いきなり足踏むとかありえないだろ!」
そう言ってしゃがみ込んで痛めた足を慈しむ様に全力で摩る。
痛いの痛いの飛んで行け! 雪雄の方に!
「……ふー」
深いため息を一つ。
「……とりあえず、人としての尊厳だけは辛うじて保てた、よな」
男には守らなければならない自尊心があるから。
どんなに安くても。男に生まれた以上は男という品位を守らないといけないから。
「……サンキューな伊織。お前のおかげで雪雄にキレなくて済んだわ」
まぁ、さすがに偶然だろうけど。
雪雄に煽られても怒りが込み上げて来なかったのは溜まっていた物を事前に吐き出したせいだろう。
「どんなに恨んでいてもやっぱ簡単に割り切れないもんだな……」
そんな事を独り言ち、年老いた犬みたいにヨロヨロと歩きながら改札口を出て自転車置場に向かう。
帰りたくて仕方がなかった学校も自転車に乗れば後は真っ直ぐ家に帰るだけだ。
今日はとにかく良く喋った。我ながら感心するくらい人と会話した。
もう今日は誰とも会いたくない。精神的に疲れすぎて過労死する。
そんな事を思ったせいだろか。はたまた、知らないうちに何処かでフラグの一つでも立ててしまったのだろうか。
噂をすれば影。いや、ただの偶然なんだろうけど。
「遅い。今まで何やってたのよ?」
帰宅した我が家の玄関前に見覚えのある茶髪がいた。夕日に照らされて少し赤味がかっているその不機嫌そうな顔には少しばかり疲労の色が見えた。
「早く鍵開けてよ。あたしもう座り過ぎてお尻が痛いんだけど?」
「…………」
どうやら俺は二日連続で最高レアリティのガチャを引き当てたらしい。