序、とある高校生の独白
心理学の一説に『ヤマアラシのジレンマ』というものがある。
ある寒空の下、二匹のヤマアラシが、お互いに身を寄せ合って温め合おうとした。だが、近づきすぎると自身の針が相手に刺さって傷つけてしまう。
かといって、離れると今度は寒さで凍えてしまう。二匹は近づいたり離れたりを繰り返して、最後は互いを傷つけ合わずに暖をとれる最適な距離を見つけた。
それが引用元であるドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの寓話だ。
最初それを聞き知った時は心がジーンと温まる良い話だと思った。
互いを慈しみ思い合う姿勢に子供心ながらとても感動した。
そんな生き方が素晴らしいと。美しいと感じていた。
少なくとも俺の心が純真無垢な間はそう思っていた。
具体的に言うと思春期を迎えるまで。
今は残念ながら違う。
高校生になり俺の心はすっかり汚れてしまった。
偏屈になったとも言う。
真っ白だった純真な心にトラウマ由来のドロドロとしたドス黒い感情が混じって出来た灰色の人格。
有り体に言えば捻くれ者。悪く言えば嫌な奴。社交性と協調性が欠落した取っつきにくい性格。一匹狼と言えば聞こえだけはいいけど、要は無愛想なボッチだ。
見えない壁を作って他人と距離を置く人間。昔の自分を知らない人とは仲良くなれない。人見知り。選り好み。それが俺。
嫌な奴だろ?
まぁ、自分語りはほどほどに。
俺から言わせてもらえば。
そんなこと所詮は綺麗事。真実じゃない。
ヤマアラシのジレンマはあくまでも寓話、ぶっちゃけ作り話なんだよ。
人間が勝手に美化した想像の産物。獣畜生であるヤマアラシにジレンマなんて感情は一切無い。
冷静に考えてみてくれ。
相手と触れ合うのにジレンマしてたら交尾は一体どうするんだ!?
針が邪魔? 危険? そんな訳ないだろ! それが事実ならヤマアラシとっくに絶滅してるわ!
これは最近になって知った事だが、ヤマアラシの雄と雌は身を寄せ合う時に針を畳んだり、あるいは広げたり、または針の無い部分を利用して上手いこと相手を傷付けないように触れ合っている。
野生動物はイチャイチャする術を本能的に理解している。まさに愛のなせる技。
だが、彼ら野生動物に愛はあっても恋は無い。愛は真心、恋は下心。野生に下心無し。
だから恋で故意に相手を傷付けたりはしない。
本能のままに相手を求め、本能のままに争う。生存本能に基づいて繁殖行動を繰り返す。
人間とは違う。
ジレンマなんて面倒臭い心の葛藤は人間が自身の愚行を正当化するために生み出した概念でしかない。
自己の自立、相手との一体感。
どちらかを選んでも何か損をする。
だから戸惑う。
だから人は恋愛に対して臆病になる。
恋愛に正解なんてない──そうだろ?
と、恋愛経験がほぼゼロの俺が言ってもあまり意味は無いのだけど。
いや、まぁ。
クサい台詞も出たので、そろそろ締めに入ろう。
何が言いたいかというと。
このヤマアラシのジレンマ、恋愛の駆け引きとして取り上げられる事が多い。
具体例を挙げてみよう。
たとえば、三角関係。
人間関係における恋愛のもつれ。二人で一人を取り合う構図。
他者との争いを避けて恋を諦めるべきか?
それとも叶う保証のない恋を選び争いに身を投じるべきか?
苦悩の選択。苦渋の決断。それを強要するのがヤマアラシのジレンマ。
誰だって損はしたくない。でも、欲しいモノを得るには何かを犠牲にしなければならない。この世界はそういう仕組みで出来ている。
じゃあ、何なら犠牲に出来る?
たとえば、友人。
たとえば、家庭。
たとえば、思い出。
たとえば、将来の夢。
たとえば、たとえば、たとえば──。
恋愛には常にジレンマがつきまとう。いや、恋愛に限らず、人間なら何かしらの悩みを常に抱えているのだろう。苦悩だとか葛藤だとか、そんな馬鹿みたいに面倒で重いものを。
なら、俺の場合はどうだ?
正しい選択ができるのだろうか?
その前にちゃんと選べるのか?
いや、結果は分かっている。
選べないんだ。
勇気も覚悟も無い奴に後悔の無い選択なんて出来るわけがない。
分かってるんだよ。そんなことは最初から分かっているんだ。
だけど。
それでも募らせた想いを伝えたい相手がいる。
愛の告白。求愛行動。プロポーズ。好きな人に好きと伝える。
素晴らしいことだと思う。
偏屈になった俺でもそれだけはそう思える。
だが、それはおそらく俺には叶えられない。
そして許されない。
何故か?
決まっている、人の気持ちを考えない馬鹿な奴がいるからだ。
ヤマアラシの針より危険なものを人間は持っている。
悪意という見えるけど見えない針。
悪意は人の心を傷つける。重く深く心の奥底に突き刺さり思い出せばズキズキと痛む見えない針。
そして、それはやがて集まり束となって最後は『いじめ』に変わる。
いじめ問題。悪意による数の暴力。
それが怖いから俺はアイツと距離を置いた。
視界に入っても目を背ければ無視出来るほどに。
イヤホンで耳を塞げば声が届かないほど遠くに。
全ては自分と相手を守るため。
あの日からもうすぐ二年の月日が経とうとしている。
いつも通りの朝、いつも通りの時間、いつも通りの場所。
もう二年が過ぎようとしているのに。
未だに俺は『アイツ』の背中に「おはよう」の一言も言えていない。