むかしそんなゆめをみた
タイトルの通りです。
多少の脚色して、昔娘サイドで書いたものを父親サイドで書き直しただけです。
「ルルー、ルルーッ」
可愛らしい怒りを含んだ幼い声が、我が家に響き渡る。
ここは僕と、ルルと、彼女しかいないとても静かな家なので、幼いとは言え怒りのままに叫ばれたらどこにいてもよく聞こえる。
もっとも今僕の膝でくつろいでいる当のルルは娘の怒りに知らんぷりで、自分から名乗り上げることはない。僕も娘は可愛いけれど、どうせここにはすぐ辿り着くのだからもう少し可愛らしい彼女の声を聴いていたい。
僕は両足が不自由なことになっていて、日々のほとんどを寝室のベッドの上で過ごしている。そしてルルは僕の膝の上がお気に入りなのだ。
「ルルー?」
やがてパタパタとスリッパの音を立てて、なぜか毛布をズルズル引きずりながら娘が現れた。
娘は僕と、膝の上のルルを見付けてあっと叫んだ。
「ルル! またパパのところで――って、聞こえてたんでしょ! なんでへんじしないのよ!?」
目を三角につり上げて、ぴゃっと毛を逆立てて怒る様子は、ルルみたいに猫っぽかった。やはりうちの子は可愛い。
じゃなくて、ルルは返事をする気がないし、想像はつくんだけど一応聞いておこう。
「どうしたの、そんなに大きな声を出して」
「そうだ! 聞いてよパパ、ルルったらまた毛布でツメとぎして、ボロボロにしちゃったのよ!」
そう言って引きずってきた毛布をえいと持ち上げ僕に見せ、なるほど、ルルの鋭い爪で引き裂かれている。
僕は膝で寝たフリをしていたルルに(耳がぴんと立ってしっぽがパタリパタリと動いているから、僕も娘も嘘寝なのは分かってるよ)、
「おやまあ、ルル、またやったのかい?」
「そうよ、もうこれで5回めよ! それも私の大好きなものばっかり! あやまってよ!」
少し涙目になりながら娘が訴える。
ルルは僕が声をかけたので、ようやっとのっそり顔を上げた。
そして、三日月のような目をぐっと細め、まあ世にも憎らしい顔で――普通のヒトには猫の表情なんて分からないだろうけどね――、一言答えたよ。
「イヤ。よ」
「!?」
「アンタがアタシの爪を勝手に切ろうとするからじゃない。アタシはぜっ・た・い! 謝らないわ」
「~~~~~~~っっ!」
涙目の可愛らしい幼女の訴えになんて一ミリも動じず、きっぱりルルは言い切った。上にあっかんべーまでオマケした。あれ、これはこれで清々しいな。
一方やられた娘は元々怒っていた顔を真っ赤に染め上げ、体中から声を出して叫んだ。
「ルルーーーーーッ!!!!!」
結局娘にはまた新しい毛布を買うと約束して何とか宥めた。
元々の喧嘩の原因だけど、こう見えてルルは僕の立派な使い魔で、爪は普通の猫みたいに手入れしなくても大丈夫だと言い聞かせた。もう彼女にも何度も話しているんだけれど、たまにこうしてやらかしてしまう。
「それはルルも、たまにわざと家の中を引っ掻いてるからだろう? あれは僕も、少し困ってるかな」
「そうよそうよ。だから悪さする爪を切ろうとするだけじゃない! ルルが悪いのよ」
「………………………」
娘だけでなく僕にも責められ、形勢の悪くなったルルは押し黙ってそっぽを向いた。
「……にゃあ」
「誤魔化してもダメ。ルル、ちゃんと謝って」
「うう~~」
「ルル」
爪が伸びすぎたりなんてないから身体的な問題ではなくて、ルルが魔物の本性で何かを攻撃してしまうのは、僕も分かっている。
でもルルは娘の教育係であって、やられたらやり返せなんて子供じみたことして示しがつくわけない。いやそもそも、外で発散してくればいいだけなのに、わざわざ嫌がらせと面倒臭さで中でやるなんて論外なんだけど。
魔物としてはそうおかしな行動ではないだけに、ルルとしては折れたくはなかったろう。でも主である僕の言葉に、やむを得ず折れてくれた。
「分かったわよぅ。ごめんなさい、これからは、なるべく家の中の物は壊さないから」
渋々、本当に渋々、ルルは頭を下げてくれた。
すぐその後で、ふんっと顔を背けてしまったけど、
「うん! 約束よ」
満面の笑みで娘が答えるのを、少しにやつきながら聞いていたのが、僕の位置からは丸見えだった。ルルはなんだかんだ言って、母親と離れて暮らす娘に甘々だった。
それを誤魔化すように体を丸め、僕の膝の上で本格的に寝る体勢をとる。娘も僕の横によいしょと上がってきて座り込んだ。
しばらく僕に寄りかかり、機嫌良く鼻唄を歌っていたのが突然途切れ、あっと変な声を上げた。変な声だけど可愛いよ。
「どうしたの?」
「あのね、ごめんなさい、この前、パパがおるすのとき、私、ひとりでママのところへ行ってたの」
「一人で、ママの所へ?」
おうむ返しに聞きながら、僕はルルに目を向けた。
確かに僕は数週間前、しばらく所用で家を空けていた。そういう時のための教育係なんだけど、……ルル? 報告、受けてないよ?
ぴくん、と耳が動いて、身体が緊張したのが分かったけど、ルルは無言だった。
「うん。おそとは今、雪がいっぱいでさむいでしょ? ママのおうち探してたんだけど、とちゅうでつかれて、まいごになっちゃったの」
ルルを問い詰めようとしたけれど、話に夢中な娘に遮られてしまった。まあ、今は仕方ない、娘の話を聞くとしよう。
一生懸命その時のことを思い出すように話し続ける。
「でもね、何とかおうちに着いて、トントン、てドアをたたいたら、おじいさんが出てきて、しつじさんって」
「ああ、ママのおうちの執事だね。彼は少し変わっているけれど、とても優しいおじいさんだね」
「うん。さむくてつかれてまいごになって、困ってるっておはなししたら、ちょっと首をかしげておうちに入れてくれたの」
想像がつくなあ。彼は子供や目下の者たちにも気を遣えて、僕にも非礼な振る舞いはしてこなかった。優秀な執事なんだけど、実は娘みたいな可愛い子供や動物に目がないんだよね。
けれど娘は、僕が考えてたのとは全然違う方向の執事の呟きを話してくれた。
「そうそう、あのね、私にね、だんなさまの子どものころにソックリなぼっちゃんだって。……あれ? 私、また男の子になってた?」
「…………………うん、そうみたいだね」
はああ、よりによって、あのうちで男の子に変わっていたのか。
娘は僕の性質を強く継いでいるせいか、性別も普通の人間みたいには定まらない。本人が自覚すればどちらかになると思うけど、願望も込めて僕は『娘』と呼んでいる。
外見も、娘の時は癖のない長い黒髪に瞳も黒、雪のような白い肌、僕の特徴を受け継いでいるが、なぜか男の子の時は短い金髪に青い瞳、薔薇色の頬を持つ健康的な白肌と、母親似になってしまう。
それはつまり、彼女の祖父とも似る訳だ。もしかしたら、僕も無意識にそれを嫌って娘と願うのかもしれない。
僕の内心のため息を感じ取ったのか、娘は気まずそうに眉根を寄せた。
「えと……気がついたら変わってたみたいで……ごめんなさい」
しゅんとした娘の様子に、僕の心が痛んだ。こんな可愛い子に気を遣わせてしまった。
僕は首を軽く振って、娘の頭を優しく撫でた。
「いや、いいんだよ。悪いことをしたわけじゃないんだから。むしろ、それを無理やり変えようとする方が君の体に良くないからね」
「うん」
素直に娘はうなずいた。
それでも娘は僕の願望を受け取って『娘』であろうとするんじゃないか、と最近思う。親の欲を押し付けるのは良くない。悪魔だってそういう歪みは蔑むものだ。己の望むものが至高の種族だから。
子育てとは中々に骨が折れるものだな。
気を取り直して話を促した。
「それで、だんろに当たらせてくれて、あったかいスープくれて、うれしかったからお礼におそうじのお手伝いしてたの。ぞうきんで、ゆかをギュッギュッて、ふいたんだよ!」
「へえ、偉いねえ。小さい君には大変なお仕事だったろう」
「うん、それでがんばりすぎてね、ヒトにぶつかっちゃったの」
「おやおや。執事のおじいさんかな? 他のお手伝いの人たちかな?」
「あのね、ママだった」
娘、いや、息子が小さな体で懸命に床を磨いてる姿を思い浮かべて微笑ましく聞いていたら、また爆弾を落とされた。
そう言えばそうだ、これは娘がママに会いに行った話だった。
自然と自嘲の笑みが口許に浮かびかけたけれど、娘にはきれいに隠して聞いてみた。
「……そう。ママの様子はどうだった?」
「あのね、すごーくおどろいてた。お顔もまっさおで、……ママは私が男の子になるの、キライだものね」
「ママはパパに似てるところがキライなんだよ」
ああ、変な好奇心で娘を傷付けてしまった。
僕は馬鹿の一つ覚えみたいに、娘の頭を撫でて慰めるしかなかった。
あの女は、子供が男になったり女になったりするのを見て気味が悪いと、産まれて間もない娘を棄てた。あれの父親もだ。孫の顔を見さえしなかった。
どころか――
寂しそうな顔のまま、娘はまた続けた。
「それでね、ママが私に、『パパは元気?』って聞いてきたの。ママはパパのこと、冷たくしてるのに、ヘンだなって思ったんだけど、『元気だよ』ってこたえたら――」
「答えたら?」
娘の家出の時期とその質問に、それが示す事実に、もはや娘に配慮することさえせず僕は口を歪めた。
本能が止められない。僕は心の底から嬉しいんだ。
僕の暗い悦びに気付かず、娘は無邪気な様子だ。
「大きな声あげて、たおれちゃった。すぐにおうちのヒトがいっぱいきて、コワイおじいさんがママの名まえを呼んで体をゆすって、ママ苦しそうに起きたの。それから私を見て、『あの男が』『たしかにころしたはずだ』とか、よく聞こえなかったけど、そんなこと話してた」
それから大騒ぎで娘も危害を加えられそうになったところを、間一髪、ルルに助け出されたと言う。
そこは誉めるところじゃなくて、そこで護れなかったら懲罰じゃ済まないからね、ルル?
今はとても愉快な気分だから、少しは勘弁してあげるけれどね。
そして娘は何でそんなことを話し出したかといったら、あれが何だったのか意味が分からなかったので、いつか僕に聞こうと思っていたらしい。
突然話を聞かされた僕はビックリだけど、ルルの心臓の方が驚いたかもね。ルルに心臓なんてないけどね。
僕はふふふと笑い、娘の疑問に答えてあげた。
「それはね、その時、恐いおじいさん――ママのパパだね、そのおじいさんとママが、パパを殺した後のことだからだよ」
「パパを、ころしたの?」
「食事に誘って、毒入りスープを飲ませてね。ママは確かにパパを愛してくれていたのに、パパが悪魔だと知ると、パパを憎んで恐いおじいさんの所に逃げてしまったからね」
彼らは資産家で格式の高い名家だった。
悪魔と契った娘の不貞が漏れはしないかと恐れた彼らは、僕を消し去って醜聞を無かったことにしたかったらしい。子まで為した仲だったのに、悪魔より人間に裏切られるなんて、僕もつくづく間が抜けてる。
僕が殺された理由を簡単に説明してあげると、娘は不思議そうに小首を傾げた。あ、それ凄く可愛い。
「そんなことでヒトをころしちゃうの? お金もちって、ニンゲンってヘンね」
「そうだね、おかしいね」
「それにアクマが毒で死ぬわけないのにね。おかしいね」
「うん、おかしいね。だから死んだフリをしてあげたんだけど、君にバラされてしまったんだね」
なけなしの愛を捧げた相手への餞別のつもりだった。ニンゲンの情けない裏切りへの勉強代と言ってもいい。
芝居が高じて毒で半身不随の設定を続けていたけど、これじゃあまた歩けるようになってしまうかもしれない。
僕の言葉に、「いけなかった?」と娘が顔を曇らせた。
いけないもんか、僕は今とても愉快なんだ。
「大丈夫だよ。ふふ、それより愉快だね。やっぱりパパは悪魔だから、恐怖と絶望のニンゲンが大好きなんだ。ママとおじいさんは、どれだけ恐怖に震えたんだろうね」
「だからママとけっこんしたの?」
「君も言うね。いつも言ってるだろう、パパとママは、ちゃんと愛し合って結婚したんだよ」
とても美しい日々だった。僕の中で永遠に美しいままだろう。たとえ彼女が裏切った今でも、これからも。
だって僕の側には、可愛い娘がいるのだから。
娘はどこか誇らしげに、「うん!」と大きくうなずいた。
両親が愛し合って生まれた子供だというのは、半人半魔である彼女の誇りだった。
「はー、これでスッキリした」
「それは良かった。ところで、夕食の支度は出来てるかい?」
「あ」
『半身不随』の僕の代わりに、食事の準備をするのは娘の仕事だ。
ほんとはこんな小さい子の仕事ではないけれど、何も気付かず四苦八苦する娘が可愛くて、ついさせてしまっている。うん、僕は歩けないからね(それでもおかしいんだけどね)。
今日はルルの毛布騒ぎで準備ができていないらしい。
ばつの悪そうな顔で、娘は釈明した。
「パ、パパの大好きなネギならたくさん切ってあるわ!」
「……やれやれ」
山盛りのネギか。ネギだけか。
好きだけど、娘も大好きだけど、どうしようかな。
くぁあ、とルルが膝の上で伸びをした。話が終わって、僕のお叱りが来ないと思ったのかもしれない。調子がいいな。猫だしね。
寝起きの毛繕いをしているルルを撫でながら、窓の外に浮かぶ月を見上げた。
常闇の世界で、どこかの悪魔が気紛れでヒトの世界を模した月。僕と、彼女と、娘のような、嘘と真実が混在した虚空だ。
いつも三日月なのは、きっとその悪魔が適当だったからに違いない。僕じゃないよ。
ルルが撫でられてるので、「私もー」と娘がすり寄ってきた。もちろん可愛いから撫で回してあげた。娘も嬉しそうで、それを見ている僕はもっと幸せだった。
どうやら僕は生き返ってしまっていたようだし、ネギの山盛りだけご飯も困るし、今夜から半身不随は治さなくちゃいけないようだ。
僕は久し振りに娘のために食事を作ることにした。
娘には名前がない設定でしたが、改めて見たらルル以外誰にも名前はありませんでした。
ルルは空気でした。