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願わくば、いつまでもこのままで

作者: 絹乃

 いつまで一緒にいられるんだろうな。

 アランは、腕の中で寝息を立てる少女を見下ろした。

 少女の名はソフィ。年齢はたぶん十三歳。男手ひとつで育てたせいか、どうにもしとやかさに欠ける。


 今日も今日とて川でカニを捕まえたらしく。手作りの籠の中では、ぎっしりと詰まったカニがうごめいている。

 これを潰して水から煮出すと良い汁が取れて、町で高く売れるのだと満面の笑顔で帰ってきた。


 だが長時間川に入っていたせいか、体が冷えてそのまま寝入ってしまったのだ。

 困ったことに、椅子に座っていたアランの膝の上で眠ってしまったから、動けない。


「疲れてそのまま眠るくらい、頑張ったんだな」


 褒めてやるべきなんだろうが。元々レディとして育つはずだったソフィのことを考えると、頭が痛い。

 三十半ばのアランは、今は用心棒の仕事で生計を立てているが。もとは軍人だ。

 そして十三年前に王に対して叛意あり、民衆を煽動しているとして断罪された辺境伯の一族、たった一人の生き残り。それがソフィだ。


 一族は皆殺し。年端のいかぬ子どもでも育てば王を憎悪するだろうと、赤子も殺すよう命じられた。

 軍人仲間はためらうこともなく、辺境伯とその兄弟や妻、子ども達の命を奪った。


「子どもの数が足りない。赤子がいるはずだ」

「乳母が連れて逃げたのではないか」


 屋敷内に飛び交う怒号と悲鳴。騒ぎの中、アランはゆりかごを見つけた。

 中の赤子を隠すようにカーテンで覆われたゆりかごの中で眠っていたのが、ソフィだ。

 血のにおいが満ちる屋敷の中、ソフィはしゃくりあげるように泣いていた。

 ゆりかごの中で、誰かを求めるように手を伸ばして。それが母親なのか乳母なのか、アランには今も分からない。


 ソフィに向けたのが剣ではなく、自分の手だったのは、父性本能と呼ばれるものだろう。

 血に濡れたアランの指を掴むソフィの手はとても小さく、ふくふくとしていた。


 彼女をくるむ柔らかな布ごとソフィを抱えて、アランは二階の窓から飛び降りた。

 茂みの中にソフィを隠し、任務が終わるのと同時に彼女の元へと駆けつけた。

 木や草の葉に囲まれながらも、すやすやと眠るソフィを見た時は、ほっとして力が抜けてしまった。


 本当は、誰かに託せばよかったのだ。だが、できなかった。

 どこからか彼女の身元がばれるかもしれない。ゆりかごに入っていた布には、刺繍があった。


 ――エルヴェーラ、と。


 そしてアランは軍人を辞め、今では富豪や大商人の用心棒を務めている。


 子どもの成長は早い。今、カニの入ったカゴに大事そうに手をかけるソフィの指はしなやかだ。


(俺の務めは、こいつが幸せな家庭を築くのを見届けることだな)


 それが一人ぼっちになってしまった彼女への、せめてもの償いだ。


 ◇◇◇


「ふんふんふーん。今日も小金を稼ぐのよー」


 翌日。朗らかな声で歌いながら、ソフィは棒を上下に動かしている。

 深い器の中の惨状は見ない方がいいだろう。っていうか、なんでお前は平気なんだ。


 アランは呆れながら、大量のカニを潰していくソフィを見下ろした。さすがに家の中では生臭くなるからなのか、作業は外で行われている。


 柔らかな銀色の髪に、深い蒼の瞳。黙って座っていれば美しいのに。今のソフィの周りには、カニのにおいにつられて蠅がぶんぶんと飛んでいる。


「あ、おかえり。アラン」


 足音に気づいたソフィが、立ち上がってアランに飛びついてくる。ソフィの身長はアランの胸にも満たない。


「ねぇねぇ、お帰りのキスしてあげる」

「そりゃ、どうも」


 ソフィは一生懸命に背伸びをするが、腰を屈めるつもりもないアランの頬には到底届かない。


 っていうか、困るんだよな。保護者とはいえ、軽々しく頬にキスしていいのは子どもだけだぞ。


 ソフィはとうとうジャンプし始めたが、それでもまだ無理だ。

 ふいにアランから離れたと思うと、ソフィは家の方へと向かった。


(お、諦めたか)


 ほっとしたのは、束の間だった。ソフィは全速力でアランに向かって突進してきたのだから。


「えいっ!」


 勢いをつけて飛び跳ねると、アランの首に両腕を回してきた。

 体格が良く筋肉質のアランは、その程度ではよろけたりはしないのだが……。


「く、苦しい。首が締まる」

「すぐに済むわ」


 んーっ、と甘い声を出してソフィがアランの頬にキスした。

 カニの生臭いにおいのするキス。だが、アランは硬直してしまった。


 なんでお前は、そこまでしてキスがしたいんだ。訳が分からない。相手は二十歳以上離れているおっさんだぞ。

 首にしがみつくソフィを抱きしめるわけにもいかないので、彼女の足はぶらんと宙に浮いている。

 幼い頃のソフィは、すぐにアランの太腿にしがみついていた。今は主に胴に抱きつかれるが。


「あのね、ザリザリする」

「夕方だからな。ひげも伸びるだろ」

「汗臭い」

「仕事帰りだ。しょうがないだろ。嫌なら俺に近づくな」

「くっつきたいんだもん」


 あまりにもまっすぐな言葉に、アランは絶句した。

 なんでお前は、そんなにも俺のことが好きなんだ。


 ソフィをぶらさげたまま家の中に入り、椅子に座って頭を抱える。

 もちろん、ソフィはくっついたままだ。


「……ソフィ。お前、好きな奴はいないのか?」

「いるよ。アラン」

「いや、そうじゃなくて。たとえば学校で。ほら、教会の柱廊で読み書きを教わってるだろ。その中に『いいなー、素敵だわー』って男子はいないのか」

「素敵な人なら、いるよ」

「そ、そうか」


 ほっとするのと同時に、なぜか胸の奥を一陣の風が吹き抜けた。おかしいな、窓は閉まっているはずなのに。


「で、なんていう奴なんだ? 俺の知ってる奴か?」

「ないしょー」


 口を尖らせると、ソフィはアランの膝から降りてしまった。


「晩ご飯を作らないとね。アラン、野菜を井戸で洗ってきて。あとはお肉も焼いてね。わたしは潰したカニを卵と炒めるから」


 あれを、食うのか。

 泥に腐った草のような色をした、かつてカニだった物を想像してぞっとした。


 固まりの肉に串を刺して、熾火で焼く。ジュージューという音と、香ばしい匂い。味付けはシンプルに塩のみ。

 肉の表面に焦げ色がつくと、アランはそれを野菜の葉で包んだ。しばらく寝かせておくことで、肉汁が落ち着いて中がしっとりとする。


「で、そいつの名前は?」

「ハンナ」


 白身で手をねっとりとさせながら、ソフィが卵を割っていく。


「ハンナって、女性の名前じゃないか。まさかソフィ、お前」

「卵を産むのはメスって決まってるでしょ」


 親鳥の話かよ。アランはがっくりと肩を落とした。


「んーとね。じゃあ、わたしの好きな人のこと教えてあげるから」

「うんうん」

「代わりにね、キスして」


 がくーっ、とアランは今度は床と仲良くなった。両手と膝を床につけて、うなだれる。


「そういう取引をどこで覚えてくるんだ。街か?」

「卵売りのおばさんだよ。男にゃ色気で迫るもんだ、ってね」


 コッコッコッコ、コケッコーとか言いながら、卵を売るでっぷりとしたおばさんが脳裏に浮かぶ。

 うちのソフィに余計なことを教えてんじゃねぇよ、と今からでも抗議しに行きたいところだ。


 だが、このままではソフィの好きな少年のことを聞きだすことができない。

 アランは気を取り直して立ち上がった。大きく深呼吸をして、心を落ち着ける。


 大丈夫。これは取引だ……いや、家族としてのキスだ。別に妙な感情を抱いているわけじゃない。ほら、保護者だから、どんな相手か知っておく必要があるじゃないか。

 相手の少年の名前を聞きだしたら、こっそりと教会に覗きに行ってやろう。


 そうだ、先生にそいつのことを尋ねればいい。

 保護者としては当然のことだろ。


 必死に自分に言い訳している内に、アランは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

 まるで全力疾走した後みたいに。


「い、いいか?」

「うん、いいよー」

「左の頬でいいな」

「んっ」


 うなずきながら、ソフィが頬を突きだしてくる。

 ほんの一瞬だ。それで情報が得られるなら、何も問題はない。情報を制する者は世界を制す……じゃなくて、家庭円満だ。

 拳を握りしめて、アランはソフィの白い頬に顔を寄せた。


 その時だった。深い蒼の瞳が、目の前にきたのは。

 ふわっと柔らかな……柔らかすぎる感触。


「うっ、うわわわわっ!」


 あろうことか、途中でソフィが正面を向いた。そのせいで唇と唇が重なってしまった。

 アランはとっさに飛びのいたが、ソフィの腕に拘束されてしまった。

 相手は少女。しかも自分は元軍人。

 腕をふり払うことなんて、訳ないはずなのに。それができない。


「卵売りのおばさんはこうも言ってたの。好きな男相手にゃ、駆け引きも必要だよって」


 にっこりと微笑むソフィ。

 ああ、頼むから。外でそんなことをしないでくれ。

 もし見知らぬ少年とソフィがキスでもしようものなら、俺は剣を抜いてしまいそうだ。


 ◇◇◇


 夜。近くの森からフクロウの鳴き声が聞こえてくる。

 ソフィは胸がどきどきして寝付けなかった。


 この家は寝室が一つしかないので、アランとソフィはベッドを並べて眠っている。

 アランは仕事で疲れたのか、よく眠っている。


(今日は、頑張りすぎたわ)


 むりやりではあったけれど、アランとキスしてしまった。

 これまで彼に抱きつくことは多かったけれど。唇を重ねたのは初めてだ。


 どうか、いつまでもこの生活が続きますように。

 そっとベッドから降りると、床の冷たさが素足に伝わってきた。

 音を立てないように気を付けて、棚の引き出しを開ける。


 二人分の服がしまってあるその奥に、驚くほど手触りのよい布がある。

 ソフィはそれを取りだして、窓辺へ持っていく。月明りが四角い窓の形に切り取られて、床に淡い黄色の光が落ちている。

 その光の中で、縫い取りのある文字を確認する。


「エルヴェーラ」


 それは学校の先生が言っていた、辺境伯の娘の名前だ。

 辺境伯のことは授業で習った。国家の転覆をはかる罪深い一族だったと。そして、ついでのように話してくれたのだ。

 当時赤ん坊だったエルヴェーラの遺体だけが、見つかっていないと。


「……いつか本当のことを話そうとか、思ってるかもしれないけど。そんなの聞かないんだから」


 辺境伯とかエルヴェーラとか、知らない。

 わたしはソフィで、将来はアランのお嫁さんになるんだもん。

 いつまでも一緒にいたいんだもん。


 でも、その古い布を丁寧にたたんで置いているアランの気持ちを考えると、切なくなる。


「ねぇ、アラン。わたし、もう子どもじゃないんだよ」


 窓を背にして立つと、月光に照らされてソフィの髪が銀色の光を宿した。

 独り言を呟いているのだから、人の気配に敏感なアランが気づいていないはずがない。けれど彼は眠っている。眠り続けている。


 足音を忍ばせてアランのベッドに近づいて、そのままベッドの端に片膝を置いて身を乗りだす。


「おやすみ」


 アランの頬にキスしようとすると、突然アランが寝返りを打った。

 唇と唇が重なる。

 そしてアランは寝言のように囁いた。


「おやすみ、愛しい人」


 うわ、うわわ。うわわわー。

 顔から火が噴きだしそうだ。ソフィは両手で頬を押さえて、自分のベッドにもぐりこんだ。


 月の光は、人を素直にさせる。

 

 いつまでも、アランと一緒にいたい。

 願わくば、このままで。ずっと。


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