1章『スリーピングフォレスト』♯31
ロウ達は戦闘の後始末に追われていた。
だが、その合間に聞いた内容に、ロウ達はこの世界の違和感に気づき始める。
当たり前だが、当たり前ではない世界。
そしてルシフェルに連れて行かれたナイマもまた、世界の新しい一面を見る。
新たに出会う人々の中で、彼女は少しづつ変わっていく。
眠りの森編、第31話。
♯31 遠く離れて
その場所は、喧騒に包まれていた。
続々とエルフやドワーフ達が城内に足を踏み入れ、怪我人の治療や炊事の準備に追われている。
ヴァルフォル達が去った後の古城は、まるでかつての賑わいを思い出したかのように戦闘で傷ついた者達でごった返していた。戦場に近いこの場所は水場もあり、何よりも勝利を確かめたい者達によって自然と兵が集まり、臨時の野戦病院のような状態となった。
私たちは状況を整理すべく、カルマの案内によって三階にある応接室に集まり、1000年の時を経てもなお新品のような状態を保つ、ふかふかのソファーに腰を下ろしていた。
本題に入る前の雑談で、この古城全体に状態維持の魔法がかかっているとカルマに教えられた私たちだが、窓の外に見える内庭、そこに空けられた巨大な穴が徐々に塞がっていく様子を眺め、何てファンタジーなんだと囁きあったのは言うまでもない。
私はふかふかのソファーがどうにも落ち着かず、窓のそばにある小さなテーブルと、そこにある椅子に目をつけ、腰をかけた。その、なんだ、何となく壁際とか落ち着くとは思わないか?ちょうど窓から柔らかい陽も差し込み、私はようやく力を抜いて話し始めた。
「で、一体なぜ君は私たちと行動を共にしようと思ったんだ?」
私の視線の先で、やはり1000年前から保存されていた葉を使い、優雅にお茶を入れるカルマが笑う。その手慣れた手つきは意外だが高貴な者とは思えないものだった。普通なら使用人がすべき事を、この冥族の女性は当たり前の様に自分で行う。そこに疑問を抱きながらも、私は黙って返答を待った。
かすかに微笑んだ彼女は、断るブリジットの前にティーカップを置きながらこちらを向いた。
「あら、別にいいじゃない。何となくよ、何となく」
「良いわけないだろう。私たちはこれから森を出てブリジットの国へ向かうんだぞ?」
「あら?心配してくれるの?」
「誰が貴様の心配などするものかっ!!それより知っていることを全てはなせモガモガッ!?」
「はいはい、ブリジットちゃんお腹が空いたのねー、クッキー美味しい?」
「モガーーッ!!」
怒鳴るブリジットの口に大量のクッキーを押し込みながら彼女は話を続けた。
「別に理由が無いわけじゃ無いわよ?1000年も経てば国も人も変わるわ」
「ブリジットの国が滅んでいると、君は言うのか?」
「私の部族が滅んでいるというのは考えられるわね。まあ、一族全員が死んだとは思わないけど」
そう、彼女は敗れたのだ。ブリジットの国と戦い、そして彼女だけはこの地に封印された。
共に戦った同胞がどうなったのか、彼女はその目で見ていたのだろう。少し悲しそうに揺らぐ瞳が、それを肯定していた。そしてゆっくりと私に歩み寄り、目の前の小さなテーブルへお茶をそっと置いた。
「みんな死んだわ。目の前で殺されていった。だから私は、その子の城で禁呪を使ったの」
「禁呪?」
「あまりの威力や凶悪さに使用を禁じられた魔術や魔法よ。私が使ったのは消えない炎の魔法よ」
その言葉を聞いたブリジットが盛大にむせた。
隣でクッキーをかじっていたC2が眉間に皺を寄せている。食べる事に関して妥協しないからなぁ。
「んぐっ、ゴホゴホっ!!」
「そんなに急いで食べちゃダメよ?ブリジット」
「ハアハア・・覚えているぞ!水をかけても土をかけても消えず、森を焼いていく炎を!!」
立ち上がり、カルマを指差す彼女だったが、口元に付いたクッキーの欠片で雰囲気は台無しだ。
それを見て面白そうに微笑んだカルマだったが、すぐ拗ねた様に口を尖らせ言った。
「ええ、全てを焼き尽くすまで消えないはずだったのに。まさか凍らされるとは思わなかったわ」
「凍らされた?」
「そうよ、水神が来て炎を城ごと凍らせてしまったの。あれはびっくりしたわ、炎って凍るのね!」
「何がびっくりしただ!!我々が悪鬼の様に暴れる貴様を抑えている間に、私の城と仲間達は!!」
「私が取り押さえられた後に人は助けてもらったんでしょ?別に良いじゃない、城なんて」
「何だと貴様ぁ!!私たちがどんな思いであの城を建てたと思っているのだ!!」
また言い合いを始める二人を呆れた様に眺める私たちだったが、どうやら簡単にいうとこういう事だ。
ブリジットの城は魔法技術の粋を集めた素晴らしいお城だったらしい。湖に浮かぶその美しさは住民の誇りとして、そして外国からの観光客で賑わうほどだった。だが、その美しい城はブリジット率いる王国の最前線に位置し、カルマ達北方民族にとってまさに目の上のたんこぶ。
カルマ達はそこを目標に全軍を集めて突撃し、まさに城内へ踏み入ったという時点で壊滅した。
次々と倒れていく仲間達を見て頃合いと判断したカルマは禁呪を使い、城も湖も森も全てを焼き尽くそうとした。そして自らも狂化し、まさに暴れまわったというわけだ。神々の計画通りに。
だが、本来なら傍観する予定だった神々のうち、何も知らない闇神がそれに気づき、周囲の神々に止めるよう嘆願した。そして同じく何も知らなかった水神がそれに応じて炎に包まれようとしていた地域一帯を氷漬けにしてしまったというわけらしい。
・・何というか、うっかりやりすぎてしまうとか、神様としてどうかと思うんだが。
「計画が狂ったおかげで、私が正気を取り戻した時にはこっちは全滅。でも私だけは死ななかった」
「闇神様が貴様の命だけは救って欲しいと頼まれたからだ。必死で事情を説明しておられた」
「何だ、ブリジットも神様と会ったのか?」
「ああ、とてもお優しい方だったが、こいつの助命には反対した。不死に近いこいつを押さえるまで、
いったい何人殺されたかわからない。許せるはずもないだろう!?」
「でも、結果的に計画は変更され、妹に甘い光神様の判断で私の存命は許された。でも、その代わり」
「ブリジット達も君と共に封印されたわけか。喧嘩両成敗って感じの仕置だが、真実は違った」
「ええ、力を付け過ぎて神々が決めた領域すら踏み越えようとした彼女達は厄介払いされたの」
中庭で戦闘中に聞いたのはその事だった。
光神が広げようとした未開の地はブリジットによって開拓された、だが闇神のテリトリーにまで彼女たちが踏み込み、荒らし始めた為に、光神を中心とした一部の神々は焦ったのだろう。そしてカルマにブリジットを殺すように計画を持ちかけ、援助して攻めさせた。
だが、思ったより早くそれを闇神に気づかれた光神は、とっさに仲裁に入って計画を修正した、
大掛かりな仕掛けと小道具を用意し、森に二人を封じ込める事によって神々のテリトリーを維持したのだろうが、何というのか、あまりにもやり方が神らしくない。どうなってるんだこの世界の神々は。
まあ、神らしくないと言っても私が知っているのは狭間の少女ぐらいなんだが。
なるほど、あれを基準にすればわからなくもないような、やはり納得がいかないというか。
・・・私の中のなにかが不機嫌になっているような気もするが、気のせいだろう。
「そういうわけで、私が戻っても知り合いはほとんどいないはずよ。いくら私たちが長命でもね」
「なるほど、ならば我々と行動するのも支障はないというわけか」
「まあね、ヒト種の寿命なんてせいぜい200年、私たちの顔を覚えているのなんて精霊種ぐらいよ」
「ふむ、私としてはバレなければ別に良いんだが。そういえば君はどうするんだ?ブリジット?」
「私は・・戻ってから決める。だが、もう光神様に従うつもりは無い」
そう言って悔しそうに俯く彼女に、我々は同情した。信じていた者に裏切られ、騙され、捨てられたのだ。この件で一番の被害者は彼女たちだろう。わかっていて参加していたカルマとは違って、彼女はただ国を護ろうとしただけなのだから。
カルマが彼女に同情的なのも、その辺りの事情もあってだろう。本当は戦いなど望んでいなかったのでは無いだろうか?族長である彼女は、自らのテリトリーと仲間さえ守れれば良かったのでは無いか?
そこまでは語らない彼女を見て、ブリジットの気持ちを受け止めようとしていると、気づいた。
やれやれ、優しいヴァンパイアとか。やはりこの世界は思っていたのと全然違う。
私は温くなったお茶を飲んで心を落ち着かせようとした。それは、バナナ味だった。
「いや、おかしいだろう!?この世界は!!」
「いきなりどうしたんだ、ロウさん?」
平然とお茶を飲む怜さんに衝撃を受けた私は、まじまじと自らのカップを観察してみた。
・・・黄色い。なぜ私のだけ黄色いんだ!?
顔を上げると吹き出しそうなのを我慢しているカルマの顔がそこにあった。
この世界は、歪んでいる!!
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私は、夢を見ていた。
何も考えれず、ただ目の前にいるものの血肉を啜りたい、その全てを喰いつくしてしまいたいという衝動を抑えきれず、ただ噛みつき、肉をむしった。
だけど、それは私を抱きしめ続けて、ただされるがままになっていた。ずっと、ずっと。
私は顎を動かしながら、決して満足出来ない飢えの中で、でもどこかで満たされていた。
血の匂いすら心地よかった。
そして、目の前のものは何かを叫び、私を痛みが貫いた。身体の中心を貫いた何かを感じ、でも消えていく痛みを不思議に思っていた時に、私の内から何かが出て、代わりに何かが入ってきた。
出ていったものは、天使だった。
入ってきたのは、あの少女だった。
私の中に欠けていたところを、彼女は埋めてくれて、私の飢えはおさまった。そして私を抱きしめていた男が、私の夫になるはずだった男である事に、気づいた。
本当は声をかけたかったのに、声を出す事すら私には出来なかった。母の時のように。
力無い子供に戻ったように、私は何も出来ず、羽のたくさん生えた悪魔が現れても、そして自分が連れて行かれるのがわかっていても、何も出来なかった。
そして、私は今、ベッドの上に横たわっている。
私は軽く腰を揺らして、そのベッドがエルフの村にあったものよりも上等であることを確信した。
「・・これなら、もっとイケる」
「目覚めた第一声がそれかい?」
声がした。
そちらに顔を向けると、ベッドの横に悪魔がいた。
顔は天使のように可愛らしいが、その褐色の肌、浮かび上がっている怪しげな模様、そして業物の刃物のように、鈍く光る、鋭い羽を持つ黒い翼。
あの時の悪魔だった。
私は即座に武器を確かめたが、いつものショートソードもナイフも無く、むしろ衣服すら身につけていなかった。だが、私は落ち着いて武器となるものを探しつつベッドから跳ね起き、悪魔の様子を観察した。
「思ったより早く起きたね。その様子じゃ理性も残ってそうだし、これは成功かな?」
「そのようですな!やはり堕天は早期発見!早期治療ですなぁ!!」
振り向いた少年のような悪魔に、向こう側にいるもう一人の悪魔が答えた。
その悪魔は、歳は、若く見えるが30は越えているだろう。悪魔の年齢が人間と同じなら、だけど。
緑色の短髪を撫でながら、悪魔のくせに白衣を着ている。そいつが近づいてきた。
がっしりとした身体、身長は190cmほど、兵士より鍛えられているように見えるが、訓練されたものでは無い。動きは自然で隙は無いけど、周囲の物を利用出来るような位置は確保していない。
つまり、兵士ではないものの、強い。
だが、目の前の少年の方が強く感じる、それは、生物として。私の中で何かがそう警告してる。
この華奢な悪魔を見てどうしてそう思うのかわからないけど、一人でも私を簡単に殺せるだろう。
白衣の方は、今の状態では苦戦する。せめて武器が欲しい、格闘では勝てない。
「ルシフェル様、なんでこの娘はここまで俺たちを警戒してるんですかね?」
「無理やり連れてこられたと思ってるんじゃない?僕らは悪者っぽく見えるだろうし」
「しかし、うら若い女性が全裸で構えているのを見ると、その、少し齧りたくなりますな!」
「ダメだよ?彼女は大切な預かりものなんだ。早く彼女に服を用意してきてよ、アザゼル」
「それは残念!いや?それより眼福であったと我らが父に感謝すべきですかな?」
はっはっは、と笑いながら大きな方の悪魔が部屋から出ていった。
私は会話の内容から状況を把握しつつ、目の前の少年悪魔から情報を得ようと質問した。
「ここはどこで、君は誰?」
「ここはメイザー魔帝国領内にある、僕の屋敷さ。僕はルシフェル、一応、魔王って感じ?」
にこにこしながら答える少年。なるほどね、私の夫と同じ病気か。ならば仕方ないこと。
「なに?その憐れむような目は?」
「そんなことより、帰る方法を教えて」
「帰る?まだ無理だよ。戻ったら今度こそ堕天してしまう。ここならまだ症状は進行しないよ」
「症状?」
「うん、君は堕天したんだ。もう少しで天魔になるところだったんだよ?」
意味がわからない。私は病気?でも、もう苦しくないし痛みもない。身体だってちゃんと・・
してなかった。肌が黒い、それに変な模様も。まるで目の前の悪魔と同じように。
私は全身を確かめ、この世界に来る前に生えた翼を前に広げた。黒い刃物のような羽も同じだった。
私は、悪魔になってしまった?なぜ?いっぱい殺したから?
黒天使、と、あの人が呼ぶ声が聞こえた。最初に出会った時の声が。私は、もう天使ではなくなってしまったみたい。悪魔になったことより、そのことが、もう天使と呼んでもらえないことが悲しい。
こんな姿では、会えない。ようやく見つけたのに、一緒に故郷へ帰ると約束したのに。
「ねえ、そんな悲しい顔をしないでよ。治らないとは言ってないんだからさ」
「・・なおる、の?」
子供のくせに、祖父や祖母のような眼で私を見つめる悪魔は、にっこりと微笑みながら言った。
「うん、治るよ。僕たちのお父さんなら治せるんだ、今はいないんだけど」
「そう、どこにいるの?」
聞いた私に、困ったような顔を横に振る悪魔。
座って、と言った彼の言葉に従い、私はベッドの上に座った。そして払いのけた毛布を手繰り寄せて肌を隠した。非常事態とはいえ、夫以外の男に肌を見せていた自分を少し恥じたけど、今更な感じもする。
少年悪魔は、少し寂しそうに話し始めた。
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「で、どうするんだ?ロウ」
「とりあえず村の損害は少なかったし、動けるものは壊れた家屋の修復を、怪我人は治療に専念」
「兵や我々はどうするんだ?あの城に集まってから一度も帰っていない者もいるが?」
「交代で帰還を許可しよう。村の自警団を古城に連れて行って、同じ人数で戻す」
「ふむ、既に安全だと思うが、お前はまだあの城に拠点を置く必要があるというのか?」
「戻ったら再編成して、精鋭と共に森を出るつもりだよ。外はどうなってるかわからないしね」
「となると、帰らない者も出てきそうだな」
「むしろそんな人を集めて出たいけどね」
村を歩きながら、私はイズ兄さんと状況を確認していた。ナイマを狂わせたあのガイストが、村に大きな損害を与えた可能性があったため、私たちは古城で一日だけ泊まり、翌朝に村へと戻った。
襲撃はあったものの少数によるもので、破壊された門と警備兵以外の死傷者は少なかった。だが、おかしくなったナイマを止めようとした十数名が大怪我をしており、彼らの治療にミリィ達は奔走した。
二日経過した今では重傷者の治療も終わり、ようやく村の状況を把握できる余裕が生まれた。
そして私たちは、それらの対応と今後の方針を説明すべく、村長の家に向かう事にしたのだ。
「ロウ、外に出てお前はどうするつもりなんだ?」
「決まっている。仲間を探す旅に出る」
「だが、我らの王はお前だ。簡単に出て行ってもらっては困るのだ。それはわかってくれるな?」
「・・わかってるよ」
そう、私の腰には王の証である剣、キーブライトが差してある。一度はブリジットに返そうと思ったんだけど、断固拒否された。自分には王の資格は無いと言い張り、挙げ句の果てに逃げ回る彼女を必死で追いかけるというという事態に陥った。今思うと、何とも情けない話だが、結局は暫定として私がこれを持つ事になってしまった。おかげで皆もそんな眼で私を見ている。面倒な事この上ない。
「落ち着くまでは神輿になってあげるけど、その時が来たら出ていくからね?」
「ミコシというのが何かわからんが、少なくとも体制が整うまでは居てもらわねば困るぞ」
「はいはい、わかってるよ。それよりエレノール君の容体は?」
「ようやく落ち着いたようだ。あの傷でよく生きていたと驚いたんだがな」
「だよね、最後までナイマを止めてくれてたみたいだし、意識が戻ったらお礼言わなきゃね」
そんな話をしながら私たちは村長の家に着いた。
すでに長老たちも集まっており、口々に我々を褒め称えた。現金なものだ。あれだけ反対してたのに。
だが、そんな彼らでも少しは後ろめたさがあったのだろう。我々の提案は全て受け入れられ、話は順調に進んでいった。だが、私が旅に出ると口にした時は驚きと非難の声が止まなかった。
説得するのも面倒になっていた私は、イズ兄さんが話していた内容を語り、その上でしばらく王を務める事を約束した。長老たちは安心したが、バカめ、私には家出という手段があるのだよ。
疑いの目を向けるイズ兄さんと村長に、具体的な計画を話した後、私は一人で部屋に向かった。
静かだった。
当たり前のように隣にいた存在がいない事を、久しぶりに実感した。装備だけ外してベッドに倒れこんだ私は、彼女の、ナイマの姿を思い出す。最初の黒い天使から、最後の変貌した姿まで。
私は決めていた。
約束は守ろう、この世界に来ている同胞を探し、彼らの協力を仰ぐ事。だが、それと同時に私はナイマを探す。あの明けの明星と呼ばれた堕天使と同じ名を持つ少年は、彼女を救うと言っていた。それは信じても良いと思う。だが、治ったからとこちらに戻してくれるとは限らない。
だから、迎えに行こう。たとえそれがどんなに遠くても、どんな困難が待ち受けていようとも。
一度は手を離してしまった。だが、二度は無い。こんな気持ちに自分がなるなど、思っても見なかったが、あの無茶苦茶な奴がそばに居ないのは、少し寂しい。
疲れが溜まっていたのか、私は重くなった瞼に抵抗できず、深く、眠りに落ちていった。
その途中で、なぜか黒髪の少女がこちらを見ているような、そんな夢を見ていた気がした。
助けを求めるような、そんな顔で。
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着替えた私は、屋敷の中を案内されながら生まれてくる子供の名前を考えていた。
どんな名前がいいかな?どうせなら故郷の言葉でつけてあげたいけど、男の子か女の子かわからないようじゃ決めようがないかな。でも、せっかくだし両方考えてもいいかもしれない。
あ、でも今の私は悪魔になってしまった!これでは産まれてくる子も悪魔になるんじゃない!?
どうしよう、早く治さないと困る。こんな私が母親になるのも申し訳ないけど、産まれてくる子供には綺麗でいて欲しい。ロウの子供だから変なのになりそうな気もするけど。
私は少し楽しくなっていた気分を落ち込ませ、また少し面白くなってきたりと、忙しかった。
「楽しそうだね、ナイマ」
「そんなことはない」
「嘘だ!なんか嬉しそうだったよ!僕にはわかる!何を考えてたのさ!!教えてよっ!!」
「ひみつ」
「なんだよそれっ!僕は命の恩人だよ!?」
話を聞いてから、ルシフェルと名乗る悪魔少年はやたら馴れ馴れしくなってしまった。
別に私は聞いていただけなんだけど、勝手に都合よく解釈したみたいで今は隣で跳ねている。
悪魔は恐ろしいものだと母から教わっていたし、私も悪魔になっていうのもなんだけど、こいつ。
「うざい」
「ヒドいっ!!僕だって君のこと心配してたのにさっ!!」
拗ねてブーブー言っている悪魔は、それでも丁寧に案内してくれた。
時々、通りすぎる魔族だか冥族だか知らない人たちが、皆、驚いた顔をしたあとで頭を下げてる。
私たちのような見た目の者は少なそう。むしろさっきのアザゼルとかいう悪魔ぐらいしか見てない。
外に出よう!と言ったルシフェルが自慢げに見せたものは、広大な敷地に作られた広場。
暗い森が遠くに広がるのがかろうじて見えるぐらいに広い、まあ、原っぱ?みたいな所。
そこでは何百人もの武装した奴らが、実践的な訓練をしていた。
軍隊だ、私はそう直感した。
この空気を、私は知ってる。教官と死をおそれながら過ごした日々も、恐れられる存在となった後も、変わらない。研ぎ澄まされて、どこかすえた匂いのする、この感じ。
私が黒い甲冑に身を包んだ彼らを見つめていると、ふと目の端に白い影が入り込んだ。
「おー、ルシ君じゃないか!珍しいね、キミが家にいるだなんてさ!」
「なんだ、君か。訓練中じゃなかったのかい?」
「きゅーけいだよ休憩。ボクはこれでも優秀なんだよ?サボったりするわけがないでしょ?」
「どうかなぁ?信じられないね。君は変に要領がいいからね」
「ヒドいなぁ、こんな真面目に働いてる配下を見つけてさ!って、その人は誰?」
話しかけてきた人物は、ルシフェルから目を離して私を見た。当然だけど、私も見た。
背は小さい、けど、胸はでかい。髪は金色に少しピンクが混じってて、背中まで伸びたのを簡単に纏めている。目はけっこう大きくて、整った可愛らしい顔。どことなく少年悪魔に似ているような。
その細い腰に合わせたような純白のライトアーマーに身を包み、腰には左右それぞれに剣が吊られていた。二刀流なのだろうか?私と同じ?でも、剣の長さはロングソードぐらいある。
そして、その背中から生える白い二枚の翼。白い肌と相まって、明るい雰囲気を醸し出している。
彼女はその、いたずらっ子が見せるよう表情で、私の顔をジロジロ見た。
「ふーん、珍しいね!堕天使とかまだいたんだね!?」
「コラ、失礼だよ。彼女はナイマ、最近堕天したばかりでね、うちで治せるまで預かる事にした」
「また拾ってきたのかい?ボクがいうのもなんだけど、犬猫のように拾ってくるのはどうかと思うよ」
「良いじゃないか、そのままじゃ完全に堕天して、また僕らの評判が悪くなるんだからさ!」
「今でも充分すぎるほど悪いと思うけど?」
そう言って少年をからかい始める彼女は、しばらくして私に再びその翡翠色の眼を向けて言った。
「よろしくナイマさん。ボクはこの私設軍で近衛兵をしている、ミズキ。ミズキ・シュウだよ」
「・・よろしく」
「うわぉ!?話せるんだ!!理性を保った堕天使とかレアだね!びっくりだよ!!」
女のくせにボクとか言ってるその子は、あまりにもあけっぴろげに私が話す事に驚いてた。
それがあまりにも自然すぎて、私は笑ってしまいそうになるのを必死で堪えないといけなかった。
「シュウ、失礼だよ!」
「あ、気を悪くしたらごめんよ!ボクってほら、けっこうガンガン言っちゃうほうだからさ」
「べつにいい。それより、お腹へった」
「お?ご飯かい?ならボクも一緒に・・」
「君は訓練中だろ!!早く部隊に戻らないと、お昼ご飯抜きにするよ!!」
「えー、ヒドいなルシ君。ご飯はボクにとって唯一の楽しみだよ?」
「なら戻ればいいじゃないか!!」
「だってめんどくさいし」
「やっぱりサボってたのか!!」
二人の言い合いに、なんだなんだと寄ってくる兵士たち。けど言い合ってる二人を見ると、またか、と呆れた後に配置に戻って行った。どうやらシュウって子を呼び戻すつもりはないみたい。
ここは、軍隊だ。でも、私が知ってるところとは少し違うみたい。
私は空を見て、どこかにいる夫になる予定の男を思って、少し笑った。
彼ならなんて言うだろうか、私はそう思うと、自分の身体が変わってしまった事を少し忘れた。
今日は、晴れていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
第一章である眠りの森編も、残すところあと2話となりました。
次の32話で一応、1章は終了となります。
そして33話は、さてどのようなお話となるでしょうか。
第二章までの間に、この第一章の編集作業を行います。
色々と試行錯誤を繰り返しましたが、果たして良くなっているのでしょうか?
まあ、賛否両論あると思いますが、もうしばらくお付き合い頂けると嬉しいです。