遅れてきた”ヒーロー”
8時30分を知らせるチャイムが校舎中に鳴り響く。颯太は着席しながらその音を聞いていた。颯太の隣の机の上に座っているサクは、足をばたつかせている。
「何人かはもう知っていると思うが、今年の”クラス対抗球技大会”まであと6日だ」
チャイムが終わるのと同時に口を開いた北浦先生。その言葉に生徒達は色んな表情を見せる。
『クラス対抗球技大会って、何ですか?』
対するサクは、颯太に疑問をぶつけていた。
その疑問に答えようと、颯太はカバンから筆箱を取り出し、シャーペンを取り出した。そして少し悩んだ後、机の端の方にこう書き記す。
「どのクラスが一番球技が上手いかを見極めるために行われる大会」
颯太の字を見たサクは『ほぉー』と言葉を漏らす。ただ、本当に分かっているのかは定かではなかった。
「去年と同じ2日間に渡って開催されるわけだが…守矢と清水、1時間目のロングホームルームで、球技大会の話し合いの指揮を執ってもらってもいいか?」
北浦先生のこの言葉に、生徒2名が「大丈夫です」と答えた。
「それじゃあ次に他の連絡だが…」
球技大会の話が一段落つき、北浦先生は手帳を見ながら伝えるべき情報を探す。
まさにその時だった。「今日の昼休みに」と北浦先生が言いかけた直後にその男子生徒は現れた。前側の扉が勢い良く開かれ、息を切らしながらその1人の男子生徒が入って来る。
「遅れましたっっっ!」
呼吸の乱れを打ち消すかのように、大きな声でそう挨拶をする。遅刻をしているのにも関わらず、全く悪びれた様子が見られない。
そんな男子生徒が教室へ入った途端、クラス中がざわつき始めた。颯太の登場とは違って、それは明るいものだった。
「志乃、また遅刻か!もう少し早く家を出るということをしないのか」
「いやぁ、今日は自転車がのタイヤがパンクして…」
「昨日も似たようなことを聞いたぞ。昨日は”チェーンが外れて”だったっけなあ?」
「その件なんですが、実はですね…俺の自転車、反抗期の真っ最中なんですよ」
「自転車に反抗期なんてあるか!」
北浦先生のこの言葉に、教室中はどっと笑いが起こる。
『あの人…何故かは分かりませんが好きになれそうにないです』
サクはその男子生徒を指差ししながらそう告げる。サクの言葉に颯太は机に「そうか」という一言を書き記す。
「遅刻も大概にしろよ」
そう言って北浦先生は、席につくようにと男子生徒を促す。それに応じるかのように「明日は頑張って反抗期が起きないようにしますよ」と言いながら、男子生徒は自分の机へと向かう。
その時だった。男子生徒がある場所に目が止まったのは。
「あれは…もしかして、そーちゃん?」
男子生徒はそう言って颯太の方をまじまじと見る。
その視線を感じ取った颯太は、嫌な予感がした。机の上に書いた文字を素早く消し、心を落ち着かせる。そして、決して振り向くものかと思いながら窓の方を睨む。
だが、男子生徒はそんな態度の颯太を気にもせずに、颯太の机へと近付いてきた。
「やっぱりそーちゃんだ、久しぶり!元気だった?家にお邪魔しても、いっつも妹ちゃんしか出てきてなかったから心配したよ」
近付いて来た男子生徒、志乃秋人は、颯太の肩を掴みながらそう熱弁した。颯太は秋人と一瞬目が合った後、すぐに目を逸らす。
この光景に、クラスのほとんどが絶句した。秋人が呼んだ”そーちゃん”の正体が颯太であることに、ほとんどが驚きを隠せなかったからだ。颯太の目の前に座っている女子生徒は特に、驚きが隠し切れなかったのか動揺している。
再び注目の的になってしまったことを悟った颯太は、青ざめながら言葉を発する。
「人違い、じゃないですかね」
「幼稚園からの友達であるそーちゃんの顔を、忘れるはずがないじゃないか」
「いや、人違いだと思いますが」
「そんなこと言って…本当は照れているんでしょう?」
「人違いですって」
「そーちゃんもさ、また俺のこと”あっきー”って呼んでほしいなあ」
頑なに他人のふりを続ける颯太。秋人はそれに負けじと言葉を発していく。
しかし、そんな攻防戦はすぐに終わりを迎えた。颯太と秋人の横に、いつの間にか立っていた北浦先生によって。
「仲が良いのは素晴らしいことだ。だがな…それはホームルーム中にやる事かな?砥上?志乃?」
怒りに満ちた表情で言い放つ北浦先生。2人はその北浦先生の威圧感に対抗できず、押し黙る。
「あーあ、そーちゃんのせいで怒られた」
北浦先生が教卓の方へ戻るのを見届けた後、秋人はそう文句を言って颯太の隣の席に座る。そこの机に座っていたサクは、秋人がカバンを置こうとするとすぐに颯太の横へと移動した。
『私の居場所、盗られましたし』
サクが秋人を睨み付けながら言う。
一方の颯太は、隣の席が秋人であることに驚愕していた。
秋人がやって来た時点で、颯太は大方嫌な予想はついていた。空いていた席が自分の隣のみだったため、そこに秋人が来ることは予測が立っていた。だが、いざ現実を目の当たりにすると、それが受け入れ難かったりする。
「なんでお前が隣なんだよ…!」
「なんでって言われても…くじ引きで決まった席だし」
秋人の返しに、颯太は頭を抱える。だが、悩んでいる暇は無かった。
秋人の返しの直後、教卓からバンという強い衝撃音が響いたからだ。クラス中の誰もがその音に肩を震わせる。
「二人はいつまで続けているのかなぁ?そんなに俺に怒られたいのかなぁ?」
いつも以上に低音の声で言い放つ北浦先生。さらに怒りが増しているように思える北浦先生のその声に、颯太と秋人は震え上がった。
2人が完全に黙りこくったのを確認すると、北浦先生はいつもの調子に戻って言う。
「さてと…そうそう、今日の昼休みに学級委員会の集まりがあるから、瀬田と柳は忘れずにな」
そして、生徒がかけた号令によって、朝のホームルームは終了した。
生徒達は北浦先生が教室から出るのを見届けると、再び会話に花を咲かせたりしていた。2年1組の教室は、瞬く間に騒がしくなる。
「おーい、そーちゃーん」
秋人もそんな生徒達の例外ではなかった。机の上で手を組んで、その中に顔を埋めている颯太に声をかける秋人。だが、颯太はその声を聞かぬふりをする。
「ねえねえ、どうして避けるんだい?」
秋人は颯太の肩を揺らしながら、問い続ける。しかし、颯太は反応しない。
すると秋人は、颯太の頭に顔を近付け、耳をめがけて息を吹きかけた。その行為を受け取った颯太は
「ひゃっ」という声を上げてしまう。
顔を上げた颯太の目に飛び込んできたのは、大成功とでも言いたげな笑みを浮かべる秋人。その顔に怒りが込み上げてきた颯太は、とうとう口を開いた。
「なにすんだよ!」
「お、やっと話聞いてくれた」
「俺はただ文句を言っただけだ!お前の話なんか絶対に聞くものか!」
「と言いつつも、ちゃんと答えてるじゃないか。そういう優しい所がそーちゃんの長所だよね」
さらっとくさい台詞を吐く秋人。颯太は秋人のそんな言葉に一歩引く。
「秋人、お前ソイツのことなんてほっとけよ」
急に颯太と秋人の会話に割り込んできた低い声。2人が声のした方へ振り向くと、そこに1人の男子生徒がいた。
「小野田…」
秋人が、その男子生徒、小野田を怪訝そうな顔で見上げながら呟く。
そんな秋人の気持ちとは真逆の声が聞こえてきた。
「そうだよ」
そう口を開いたのは颯太だった。
「俺と親しくしても利益なんて無いし、むしろ悪影響を及ぼすかもしれない。そんな危険を犯してまで俺と接するなんて、無駄以外の何物でもないじゃないか」
溢れる思いを隠すように、鼻で笑いながら言い放つ颯太。今までただ傍観しているだけだったサクが颯太の近くへ歩みより、『颯太さん…』と優しい口調で問いかける。
「ほら、本人もこう言ってる訳だしさぁ」
「そんなこと…っ」
小野田の言葉に秋人が反論しようと席から立ち上がった。その直後、鐘が鳴り響く。
それは、1時間目の授業の開始を知らせる鐘の音。
秋人が鐘の音で怯んだ隙に、小野田は直ぐに自席へと戻っていった。秋人はやるせない思いを抱えながら席に着く。
『好い人かもしれませんが…やっぱり私は好きになれないです。小野田っていう人よりかは良いですけど』
むっとした表情を小野田に向けながら、そう言ったサク。
颯太は隣の方をチラッと見た。颯太の瞳には、顔をしかめて黒板を見つめる秋人の姿が映っていた。
『オレはおおきくなったら、だれかをたすけることができるような"ヒーロー"になるんだ!』
颯太は、小さい頃のこの言葉を思い出していた。大人になったら何になりたいかを、恥ずかしがらずに大きな声で発した小さい秋人。
颯太はそんな秋人が隣に見えたような気がした。