周りにはご注意を
自宅の駐車場の端に停めてある、3台の自転車。その中にある青色の自転車1台を、颯太は外側の玄関の前へと移動させた。車は既に無かったため、移動させるのに手間はかからなかった。
颯太はサドルを人差し指で撫でてみた。すると、1本の線が姿を見せた。指先を見てみると、薄い茶色に染まっている。
「思ってた以上に砂埃が被っているな…」
そう呟き、颯太は玄関の内側へと戻った。靴箱の上を確認してみると、ウェットティッシュの箱と靴磨きセットが置いてある。
まだ残ってて良かった、と思いながら颯太は箱から数枚のウェットティッシュを取り出す。そしてそれで外の自転車のハンドルとサドルを拭いた。真っ白なウェットティッシュが茶色に変わっていく姿を、ずっと外にいた少女はじっと眺めていた。
茶色に変化したウェットティッシュは、颯太の手で靴箱の隣にあるゴミ箱へと入れられた。最後に新しいウェットティッシュで手を拭き「これで準備は万全だ」と安心ながら颯太は玄関の扉を開けた。
しかし、颯太の目の前に飛び込んできたのは悪夢だった。さっきまで見ないふりをしていたが、ばっちりと目が合ってしまっては逃げようが無かった。
『私、カバン持ってますよ』と言わんばかりに、颯太のことを見つめながらカバンを抱きかかえている少女。颯太はそのカバンを無言で受け取り、自転車のカゴの中へ入れた。少女はカバンを素直に受け取ってくれたことだけでも嬉しく、心が弾んでいた。
颯太はそんな思いを抱いてる少女には目もくれず、さっさと自転車にまたがる。
一方の少女は、自力で飛んでいこうか、それとも颯太さんに掴まって行こうか悩んでいた。自力で飛ぶのもいいけど、掴まって行くのも楽しそう。いやでも迷惑では…。
そう少女が色々と考えている内に、颯太はペダルに足を掛けようとしていた。今にも走り出しそうな姿を目にした少女は、気が付けば颯太の背中へとダイブしていた。
待って、と言わんばかりにダイブした為に、自転車は颯太ごとぐらついた。
少女のこのダイブの勢いで、体制を崩しそうになった颯太。すると先程までは抑えきれていた感情が一気に溢れ、「あのな」と言って溜まっていた文句をぶちまけた。
「少しは周りを考えろよ!しかもお前の姿は俺以外には見えてないこと分かってる?自覚してる?もっと周りを見てから行動しろよ!」
「……っ」
颯太の言葉の気迫に負け、少女は黙ってうつむいてしまった。それでも背中にがっしりと掴まっている。
感情的になりすぎたが、これで多少は大人しくなるだろう。そう思った颯太はペダルに足を掛け、踏み出そうとした。だが、そう上手く事は解決しなかった。
「兄ちゃん…とうとう頭がおかしくなっちゃったのか」
突然の声に、颯太の動きが止まる。颯太は声のする方へ振り返ってみると、玄関の前に奏が立っていた。
奏姿を見た瞬間、颯太は一気に顔が赤くなった。俺も周りが見えて無かったじゃないか、と恥ずかしい思いでいっぱいになった。
「本当に大丈夫?さっきから行動がおかしいし…やっぱり熱でもあるんじゃない?」
そう言って奏は颯太に駆け寄り、手を颯太の額に当てる。このいきなりの出来事にびっくりした颯太は、さらに顔が熱くなってきていることを痛感した。
「ちょっと顔赤いね。それに熱もあるみたいだし…学校は休んだほうがいいんじゃ」
「いいいいい、いってきます!!!」
「あっ、ちょっと!」
颯太は奏から身を離し、奏の言葉を最後まで聞かずに急いでペダルを漕ぎ始めた。恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまった颯太は、自然と自転車のスピードが上がっていった。
「…元気になった、のかな」
その場に残された奏は、颯太の後ろ姿を見ながらそう呟いた。
颯太と奏のこのやりとりを眺めていただけだった少女は、少し不貞腐れたようにして言う。
『…私には何でああいうような行動、してくれないのですか?』
「どういうこと?」
『なんだか私、邪魔者扱いされてるみたいです…』
一段とトーンの低い少女の声に、颯太はため息をつく。
「別に邪魔者とは思ってねぇよ。ただ、もう少し死神らしくっていうか」
『死神らしく?』
「要するに…もう少し周りを見てほしいってことだ。俺だって人の事を言える立場ではないけど。でも今のままだとお前はただの幼女…」
『また幼女って!私はサクです、ちゃんと名前がありますの!』
幼女、という単語に異様に反応する少女、サク。颯太はやれやれ、と言った表情で「サクね、はいはい」と言って苦笑いする。
ーー妹がもう1人増えたみたいだ
『学校へは自転車でいくものなのですか?』と聞いてくる少女、サクに「人それぞれだよ」と返す颯太。サクのお陰で退屈はしなさそうだ、と思いながら颯太は目的地へと距離を縮めていった。