優しさ
家に着くまで、私達は一言も喋らなかった。
ただ、手だけは繋がっていた。
「私、着替えてくるね」
玄関を潜ると自分の部屋に行き、着替えた。
けど、どうしても部屋から出る気には、なれなかった。
背中を壁に預けて座り込む。
足を抱えて、涙した。
護に、悪い事してる気がして…。
護以外の男には、触らせないって約束したのに……。
自分の無防備さが、仇となったんだ。
護が許してくれても、自分が許せないかもしれない。
護は優しいから、私に何も言わないだろう。
でも……。
私は、それが一番辛い。
コンコン……。
どれだけか時間がたったかわからない。
ドアがノックされる音。
私は、出るつもりもない。
ガチャッ…。
ドアが開く音がする。
「詩織…」
護が、私の傍に近付いてくる。
そして、私を優しく包み込む。
「護…。ゴメンね…。約束…守れなくて……」
私は、しゃくりながら言う。
「どうしたんだよ、詩織」
優しい声。
「うん…」
「オレこそごめんな。あんな事で、お前の心の傷が癒せるわけ無いのに…」
護が、私の髪を撫でる。
「今日は、一緒に居るから……。ずっとこうしていよう」
って、護が私の耳元で囁いた。
「護?」
暫くして、私は呟く様に言った。
「うん?」
「怒ってないの?」
「何に?」
「だって…、私、護との約束……守れなかったんだよ…」
私は、声を絞り出して言う。
「そうだな…。でも、一番怖い思いしたのは、詩織だろ。それに、一方的だったんだろ?」
私は、その問いにゆっくりと頷く。
「だったら、オレは怒れない。むしろ、相手に怒りをぶつけたい」
護の声が、何時になく真剣だった。
「どれだけ、アイツを殴り付けたかった事か…」
怒りの声。
「詩織が、あの言葉を言ってなかったら、殴ってたかもな」
「あの言葉?」
私が、不思議そうに言うと。
「゛佐久間君が仕様としてる事は間違ってる。そんなんじゃ、私の心に響かない。…し、あげられない゛」
護が、囁くように言う。
「その時、詩織は、オレの事をベタ惚れしてるんだって思った」
護の言葉に顔が熱くなる。
「それで、アイツを殴るよりもお前とキスしてるところを見せた方が、あいつの心を傷つけれると思ったんだ」
そう言いながら、私の涙を拭う。
そして、優しいキスが降り注がれる。
「くすぐったいよう」
私は、護に訴える。
止めてくれない護。
私は、泣き笑いになる。
「お前は、そうやって笑っててくれればいいんだ。それが、オレにとっての薬になるから…」
護が、優しい笑みを見せてくれる。
「さぁって。遅くなったが、昼飯でも食べるか」
「うん」
私は、護に立たせてもらって、部屋を出た。
私達は、遅めの昼食を摂る。
「そういえば、さっき宿題があるって言ってなかったか?」
「うん。お祝いの言葉を考えないと…」
「そっか…。オレも一緒に考えるから、その前に買い物にいくか」
「うん」
私は、笑顔で頷いた。
二人で買い物に出る。
私は、護の一歩後ろを歩く。
横に並んで歩くのを躊躇う、自分が居る。
「どうした?今日は、一緒に歩かないのか?」
護が、振り返ってきて、私の顔を覗き込んできた。
「……」
「ほら…」
護が、私の手を差し伸べてくれるけど。
私は、その手をとる事を躊躇い、踵を返して走り出した。
私の足では、護を撒く事は出来ないのはわかってる。
だから、一瞬の隙をついて身を隠す。
護が、私の傍を通り過ぎたのを見計らって、実家まで走り出した。
私は、玄関を開ける。
「詩織、どうしたの?そんな顔して…」
お母さんが、優しく迎えてくれた。
「お母さん…。私…。どうしたらいいんだろう…」
「何があったの?話を聞いてからしか何とも言えないから…」
お母さんは、私をリビングに誘うと、優しく包み込んでくれた。
そして、さっきあった事をゆっくりと話した。
「そっか…。そんな事があったんだね」
お母さんは、私の頭を優しく撫でてくれる。
「今頃、その男の子も後悔してると思うよ。そして、護君も…」
護が…。
何で?
「いくら未遂で終わったにしても、わだかまりはあるよ。護君は、それをわかってて詩織の事を受け止めてくれてる。詩織の気持ちも痛いほどわかる。お母さんも一度遭ったから…。でも、その時はお父さんが、お母さんを癒してくれたわ」
私は、お母さんの顔を見る。
「護君は、詩織を大切にしてるからこそ、その彼を殴る事を留めることが出来たんだと思う。これからの学校生活の事を考えたら、手が出せなくなるよね…」
「……」
「詩織も大変だったけど、今は、護君の方が、ダメージが大きいよ。心の中で、葛藤してるはずだよ。それなのに、普通にいられる様に…。詩織が、笑顔になれる様に振る舞ってるんだよ」
私は、お母さんに言われて、ハッとした。
護は、私に何も言わなかった。
ただ、黙って傍に居てくれた。
なのに、私は、自分の事しか考えていなかった。
私、最低だ。
余計に落ち込んだ。
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
お母さんが、玄関に出ていく。
「あら、護君。どうしたの?」
お母さんがわざとらしく言う。
「詩織、来てませんか?」
やだ!
今は、顔を会わせたくない。
「ウフフ。来てるわよ」
そう言って、お母さんは護を家にあげる。
私は、顔を見られたくなくて、クッションで隠す。
「詩織…。急に居なくなるなって言ったのに…。何で逃げるんだよ」
護が、私の隣に腰を下ろして言う。
「ゴメンね、護君。この子、今、物凄く落ち込んじゃってるから、なかなか喋らないかも…」
って、お母さんが言う。
「まったく…。オレが、どれだけ心配したか、わかるか…」
護が、私の髪を撫でながら言う。
私は、頷く。
「本当にわかってるなら、オレの方向けよ」
って言われても、顔を上げられずに居る。
私の頬に護の手が触れる。
「こっち向けって」
護に誘導される。
「また、泣いてたのかよ…」
面倒くさそうに言いながら、私の涙を拭う。
「まあいいや。今日は、一杯泣きな。そして、明日からまた笑顔を見せてくれれば、それでいいよ」
そこには、優しい笑顔を浮かべてる護が居た。
「今日は、夕飯食べて行きなさい」
「えっ…。何で?」
「最近、一番食べる子が居ないから、ご飯が余っちゃうんだよね」
って、お母さんが苦笑してる。
「一番食べる子って、優兄の事?」
お母さんが頷く。
「何で?優兄が家を出たのって、先月じゃなかった?」
「そうなんだけど。つい癖で、多く作っちゃうんだよね」
って、寂しそうに言う。
私は、護の顔を見る。
護も頷いてる。
「それなら食べていくよ」
私は、お母さんに言う。
「わかった。まだ、時間有るから、二人で散歩でもしてきたら。今年の桜はまだ咲いてるから…」
お母さんが、私達を外に追い出した。
私達は、どちらともなく手を繋いだ。
さっきは、あんなにも戸惑っていたのに…。
「護…。ごめんなさい…」
「もういいよ。詩織が、トラウマになってなければ、オレはそれでいいんだ」
護が、抱き締めてくる。
優しい護。
「それより、さっき言ってた桜ってどこ?」
護が、話を変えた。
「うん。こっちだよ」
私は、川沿いにある桜並木に案内する。
「綺麗だな…」
たどり着いて直ぐに護がロにする。
「うん。ここの桜並木、毎年来てるんだ。綺麗に咲いてるから…。それに、花びらが川に散った時が、もっと綺麗なんだよ」
私は自然と笑顔になる。
「やっと笑ったな」
エッ…。
「詩織。今の笑顔忘れるなよ。オレは、その笑顔が好きなんだからな」
って、私の髪をグシャグシャにする。
「うん。心配かけて、ゴメンね」
「本当だよ。いつまでも落ち込んでるんじゃねぇよ」
護が、私の肩を抱く。
そこから、護の温もりが伝わってくる。
私は、ゴメンの代わりに護にキスをする。
驚いた護が。
「それじゃあ、足りない」
って、私の唇に重ねてきた。
熱い口付けに、頭が真っ白になる。
「…ん…」
吐息が漏れる。
「護。愛してる…」
私は、彼の耳元に囁く。
「オレもだよ」
護の甘い囁き…。
その声に酔いしれるのだった。
「そろそろ、帰ろうか…。お義母さんも心配してるだろうし…」
「うん」
私達は、家に戻る事にした。
「護、腕絡めても良い?」
「その言葉、久しぶりに聞いた」
護が、嬉しそうに言う。
「いいよ。そこは、詩織の場所だからな」
私は、護の腕に自分の腕を絡ませる。
「ありがとう」
「何が?」
「色々と…」
私は、微笑みを浮かべながら言った。
「本当だよ。お前は…。心配ばかりかけさせて…」
って、優しい微笑みを浮かべていた。
実家に戻り、夕御飯を食べて落ち着いた頃には、九時を回っていた。
「そろそろ、帰るか…」
「そうだね。明日も早いから…」
「もう、帰るの?」
お母さんが寂しそうに聞いてきた。
「明日は、入学式だからね。色々と準備があるから…」
私がそう答えると。
「そうなんだ。それじゃあ、仕方ないわね。今度はゆっくり出来る時に来てよね」
お母さんが、笑顔で見送ってくれた。
「詩織、寒くない?」
「うん。大丈夫だよ」
家までの帰り道。
肩を並べて寄り添うように歩く。
「帰ったら、詩織の宿題しないとだな」
護に言われて。
「忘れてた!!」
今の今まで、その事を忘れてるなんて…。
「お前…」
護が、呆れてる。
「大まかな事は決まってるんだよ。でも、決め台詞が思い付かないの」
私が言うと。
「そんなに堅苦しくする必要ないだろ。お前らしい言葉で、伝えたらいいじゃん」
って、護が言う。
「それが出来れば、こんなにも悩まないよ」
「難しく考えすぎなんだよ。取り合えず、宿題の前に風呂にでも入って、頭を柔らかくするんだな」
護が、私の頭をグシャグシャに掻き混ぜる。
「やめてよ」
私は、護から逃れる為に逃げる。
「待てよ。オレの傍から離れるんじゃねぇよ」
護が、私の手首を掴んで引き寄せる。
私は、その勢いで護の胸に倒れ込む。
護の心拍が聞こえてくる。
護に抱き締められる。
「詩織…。もう、オレの前から消えるなよ。ちゃんとオレの傍に…。オレの見える範囲に居てくれ…」
護の声が耳に響いてくる。
私は、護の腕の中で、頷くしか出来なかった。