水辺
ようやく、最後の儀式の日を迎えた
まだ森も目覚めていない、朝靄の中を歩いていく
弔いの儀式の為に食を絶って2週間、流石に足に力が入らない
ゆっくりゆっくりと時間をかけて進む
目的の場所はそう遠くはないはずだった
いつも祈りを捧げていた窓から、わずかに森の隙間に見えていた水面
息を切らせてたどり着いたのは、広い湖だった
身に付けていた服を脱ぎ、薄衣だけになって湖に入る
まだ日が上る前の湖は、身を切るような冷たさだが、音をたてないよう静かに進む
「おいっ、何してる」
鋭い声に驚いて振り替えると、エリュシオンが恐ろしい形相で近付いてきた
水に濡れるのも構わず、勢いよくやってくると、強い力で腕を掴まれた
「死ぬつもりか」
眦がつり上がり、蒼白な顔色に驚く
腕を掴む手に込められた力は強く、痛みを感じるほどだった
「い、痛い。放してください」
尋常ではない様子に、思わず声を出すと、エリュシオンの表情に変化が訪れた
「話せるのか…」
「死ぬつもりではありません。後程説明いたしますので、湖の外でしばしお待ちください」
流暢な言葉にエリュシオンは面食らったように、目をしばたたかせる
「弔いの儀式の最中です、どうぞ岸へお上がりください」
少し強い口調で言うと、エリュシオンは手を離して大人しく岸に上がった
邪魔が入ってしまったが仕方がない、とりあえず儀式を進めることにした
森の途中で摘んだ花で作った花輪を水面に浮かべ、死者への祈りを捧げる
戦の最中、必死に怪我人の治療にあたり、命を奪われた父と兄
町で人々を逃がす為に奔走し、人を庇って命を落とした母
いつでも他人のために身をなげうつ人達だった
いつでも心の底から人々の平安を祈っていた
皆から慕われ、敬われ、幸せだった
それが、壊された
最愛の家族を全て失った
たった一人、生き残ってしまった
後を追ってしまおうかとも考えたが、自分は巫女であると言う思いがこの世に留めた
死者はきちんと弔わなければ、体のないままにこの世をさ迷うことになる
あの世と呼ばれる世界へ送ることが、司祭の役目
父や母が、いつも言っていたことだった
もう、神の存在も祈りの力も信じることはできないけれど、それでも弔いの儀式を行うことは使命なのだと思った
ただ一人生き残った巫女としての自分に課せられた、使命だと
だから、弔いが済めば、生きている意味を失う
のろのろと湖から出ると、目の前に外套が差し出された
エリュシオンの存在を思いだし、不快感を露にする
しかし、説明すると約束した以上、口を閉ざしたままではいられない
外套を差し出す手を無視し、その場で膝を折って頭を下げる
「お待たせいたしまして、申し訳ございません」
「言葉を話せるんだな」
「我が祖国では近親の者が亡くなると、食を絶ち口を閉ざし、死者への祈りを捧げる弔いの儀式をおこないます。私は此度の戦で家族を失いましたので、儀式を行っておりました」
エリュシオンはこれで納得しただろう
「これで私から死の穢れは清められました。あとはどうぞ御所望のままに」
この身がどうなろうと、もうどうでもいい
奴隷として、ただ生きていけばいい
この命には、もはやなんの意味も成さないのだから
「君の名前を、教えてくれないか」
「どうぞ、お好きにおよびくださいませ。あなた様が私めの主人でしょう」
国も家族も失って、自分の名前にも意味などなくなった
にっこりと 微笑んで見上げてみると、エリュシオンは虚をつかれたような顔をしていた
てっきり勝ち誇った顔をしていると思っていたが、違っていた
一瞬の動揺が去ると、困ったように眉を寄せた
「俺のことが気に入らないのはわかるが、そこまで卑屈になることはないだろう」
「金で買われた身です、あなた様のものですわ」
今さら何を言い出すのだろうか
苛立ちを抑え、にこやかに言ってのける
「俺は、君を奴隷として扱うつもりはない」
これまでの待遇は、確かに奴隷の扱いではない
しかし、だからと言って金で買われた事実は消えない
「でわ、どうご対処なさるおつもりですか。国も後ろ楯もない異国の娘、どうお使いになるのです」
「君を雇おう」
「は?」
「払った金は契約金と思えばいい。君には我が城で、働いてもらう。勿論、給金も出す」
「メイドは足りているようですが」
一体何を言い出すのだろうか
エリュシオンは冗談を言っているのかと思ったが、そんな表情ではない
むしろ、至って本気にみえる
「君の祖国では司祭でありながら医療を極める珍しい一族がいるときいた。君はその一族の娘なんだろう?」
「何故、そう思うのです」
鼓動が、速まるのを感じる
ここは祖国からは遠く離れた土地、辺境の小国の情報を、何故知っているのだろうか
「司祭は珍しい漆黒の長い髪と、海の瞳を持ち、神に愛されるよう美しい容姿をしていると。君のように」
エリュシオンは、手にしていた外套を肩にかけた
温かな布地に包まれて、自分の体が冷えきっていることに気付いた
「詳しい話は後だ。まずは風呂で体を暖めた方がいい」
差し出された手を思わず取ると、力強い手で立ち上がらされた
温かく乾いた手は、皮が硬くなりふしくれていた
歩き出した広い背中を、不思議な思いで見つめていた




