白の章
深い森の中をひた走る
激しい雨で視界は遮られ、ただでさえ悪い足場はぬかるみ容赦なく体力を奪い取る
くるぶしまでの長い外套のフードを目深に被り、背後を気にしながら駆ける女が一人
所々破れた外套は雨で濡れぼそり、体にまとわりついて不快感を煽る
しかし、今はただひたすらに走る以外になかった
激しい雨音の合間に、獣の荒い息遣いが耳に届く
暗闇を切り裂く稲光に照らし出か、狼の姿をした獣だった
ただし、その大きさは通常では考えられないものでり、馬程もある
距離はみるみる間に縮められ、今に獣は女に襲いかかるだろう
激しい閃光と共に雷が、走っていた女のすぐそばの巨木を切り裂いた
一瞬の空白の後、女は衝撃をまともに受けて吹き飛ばされた
木の幹に背をしたたかに打ち付け、息が詰まった
閃光で目がかすみ、爆音に耳鳴りがする
くらくらする頭を振り、更に走ろうとしたが叶わないことを知る
吹き飛ばされた弾みに足首を痛めたらしく、立ち上がろうと力を入れるにも激痛が走る
「…これまでか」
女は大きく息をつき、外套のフードを後に払いのけた
死期を悟ったが、不思議なくらい心は落ち着いていた
視線は迫り来る獣に向けられていたが、その瞳に映るのは獣でも雨にけぶる深い森でもない
「…申し訳ありません、リオン様」
唇にその名を乗せるだけで心が温まる
もう、会うことも叶わない、ただ一人の君主
思い浮かぶのは黄金色に輝く髪と、広い背中だった