過去と今
待ち合わせに使っていたお店を出て、食べに行くことになった。
店を出て直ぐに北斗が莉子の手を繋いだ。
⦅手を振り払えば、いい……どうして、出来ないの?⦆と莉子は思ったが、出来ないままだった。
手を繋いだ若くない二人が街を歩いても誰も気にも留めない。
⦅夫婦とでも思われてるのかな? 違うのに……。⦆などと思いながら莉子は歩いた。
莉子は繋がれている手を見つめた。
大きい北斗の手、莉子の手を包み込む北斗の手、もう二度と繋がれることが無いと思っていた北斗の手。
北斗に恋焦がれ続けた日々。
⦅何時までも繋いでちゃ駄目。もう、帰らなくっちゃ。⦆と莉子は思った。
「ちょっと飲む?」
「えっ?」
「それとも、ガッツリ食べる?」
「……手を離して。お願いだから……。」
「駄目?」
「離して………やっぱり帰るわ。帰るから離して。」
「俺達、疾しいこと無いんだ。」
「……帰りたい……。」
「………この手を離したら、もう二度と繋げない……そう思う。
だから、離したくない!」
「……もう過去でしょう。」
「未来もある。」
「あんな風に捨てたのに?」
「……ごめん。あれは俺が悪かった。」
「止めよう。終わったんだから……。」
「また、始めたい。」
「始めたい? 何を? 何を始めるの?」
「莉子、もう一度、俺とつきあ」
「止めて!
………あの……別れ方で……どんなに傷ついたか……。
分からないのよ。」
「うん、そうだ。分からない。だから、教えてくれよ。」
「あんな捨て方をしておいて、結婚したんだから幸せに成らなくちゃ。
私の……私の涙……無駄じゃないの………。」
「うん、けど、幸せに成れなかった。ごめん。」
「ごめん。」と言いながら、北斗が莉子の流れ落ちる涙を優しく拭っていた。
莉子の心は揺れた。
そして、北斗は駅前のロータリーで客待ちのタクシーに莉子を押し込めるように乗車させた。
「なんで?」
「送って行く。家は?」
「お客さん、どちらへ……。」
⦅降りたらタクシーの運転手さんに迷惑かな?⦆
「莉子、家は? どっち?」
「あの……。」
莉子はタクシーの運転手に自宅の近くの駅名を告げた。
「電車に乗った方が良くないですか?」
「行って下さい。」
「はい。」
タクシーの中で会話はしなかった。
都心から外れていった。
1時間ほど掛かって駅に着いた。
北斗が料金を支払い、タクシーを降りた。
「莉子、送らせて! 頼む。
話したいんだ。」
「もう、帰った方がいいわ。」
「帰らないよ。」
どうすれば良いのか分からないまま、莉子は「お腹、空いてないの?」と北斗に聞いた。
「莉子と一緒に食べたい。」と北斗は答えた。
駅前に大型商業施設がある。
「あそこの中のお店で……食べる?」
「うん! そうしよう。」
一番近くの店に入った。
⦅なんで、一緒にご飯を食べるの。私、矛盾してる。⦆と思いながら、過去の自分を伝えたい、話してしまいたい、そういう気持ちも莉子の心の中にあった。
北斗は「飲もうか?」と言い、ビールを頼んだ。
莉子は何も食べられそうになかった。
莉子の目の前に冷ややっこが置かれても、食べる気力さえ無かった。
北斗の前に置かれたビールを眺めていた。
ビールを一口飲んだ北斗が話し始めた。
「ケニアに行くと決まった時、俺………勇気が無かった。」
⦅勇気? なんの?⦆「…………………。」
「これが、北米かヨーロッパなら莉子に話せたんだ。
一緒に行って欲しいって言えたんだ。
ケニアに……一緒に行ってくれって言えなかった。」
⦅えっ? 別れようってメッセージだった……。⦆「………………。」
「俺、バカだった。ほんとにバカだった。」
⦅意味、分かんない。⦆「…………………。」
「付いて来てくれないと思ったんだ。絶対に無理だって……。」
「えっ?………何、それ………。」
「莉子、言ってた。アメリカに行きたいって……。
アメリカで……英語、通用するかって……。
だから、アメリカかカナダじゃなきゃ……そう思ったんだ。」
「何、それ………私、確かにそんなこと言ってたよ。
アメリカに行きたかったのも事実よ。
けど、聞いてくれても無い。私の気持ち……。
聞いてくれても……無かった。」
「ごめん。俺が臆病だったんだ。怖かったんだ。断られるのが……。」
「臆病? 違う! 違うわ。好きじゃなくなったからよ。」
「それは違う! 断じて違う!」
「だったら、聞いて欲しかった。
赴任先はケニアだけど、一緒に来て欲しいって言って欲しかった。
ケニアでもどこでも付いて行ったのに……。
夢だった中近東でも、私は付いて行ったわ。
北斗の夢、中近東で河川の工事をして川沿いを緑に……
その夢の為に中近東へ行くって聞いても付いて行ったわ。」
「莉子………。」
「それなのに、LINEのメッセージひとつで終わったのよ。
北斗が終えたの。簡単に!」
「付いて来てくれたのか? ケニアでも……。」
「付いて行ったわ。」
「そうだったのか………。」
「もう終わったことよ。」
「莉子、ごめん。済まなかった。」
「もう、声を掛けないで頂戴。」
「莉子!」
「今日が最後。もう、こんなこと止めましょう。」
「莉子!」
「良く分かったわ。北斗が………。」
「俺が?」
「勝手に人の気持ちを決めつけて、一方的に自分だけで決めたことを押し付ける人
だと……良く分かった。
だから、話せて良かった。」
「莉子。」
「食べ終わったら、帰りましょう。
それから、ただの同僚。これからは、ただの……同僚。」
「もう、莉子は……遠いんだな。」
「遠くしたのは誰? 誰なのよ!」
「俺だ。自業自得だな。」
「2年間が終わったら、もう会うことは無いわ。」
「……そうだな。」
北斗はビールを一気に飲んだ。
北斗がビールを飲み干す間、莉子は北斗の喉仏をぼんやりと見つめていた。
何もかもが恋しかった日々を想いながら……見つめてしまった。
顔を見れなかったからだ。
北斗が飲み終わって、二人は店を出た。
店を出て駅舎を背に別れる――その時、急に抱きしめられた。
北斗の胸の中に莉子は居た。
莉子は懐かしい北斗の香りの中に居た。
涙が流れた。
莉子は意を決して、北斗の身体を押しやった。
そして「莉子って呼ばないで……さようなら。」と告げて、北斗を見ずに踵を返して、そして、走った。
⦅これで良かったのよ。
勝手に私の気持ちを決めつけてしまう人だったのだから……
涙が出たのは、今までの私に対してよ。
別れが悲しいからじゃないわ。
もう、振り返らない。
今度こそ前を向いて歩かないといけないわ。⦆




