ひとつの事実
前の会社の同期からLINEでメッセージが届いた。
谷口陽菜からだった。
「こんばんは。
実は私、ママになります!
もう諦めて不妊治療を止めてたのよね。
何もしなくなって出来るなんて思わなかったわ。
もう信じられなくて、最初は早い更年期だと思ったのね。
更年期が始まる前、不順になる人も居るって聞いてたから……
そしたら、出来てたの。
実感したのは、悪阻が始まったからなのよ。
それで、4ヶ月に入ったからご報告です。」
「おめでとー!」
「めっちゃ嬉しいご報告!」
「おめでとう! 良かったね。本当に良かった。
ご主人様、大喜びでしょう。」
「ありがとう。
そりゃもう、今から父性が育ちつつありまして、めっちゃ五月蠅い!」
「どんな風に?」
「悪阻で食べられなかったから、おなかの赤ちゃんに栄養が少なかったはずだか
ら、って言って、たんぱく質と鉄分とビタミン、そしてカルシウムを多く含む食
事を作ってくれてるの。」
「いいじゃん。」
「うん、いいパパだよ。」
「でも、作りすぎるのよ。4人分よ。4人分。」
「作りすぎた時は我が家へ~。」
「我が家にも~。」
「ついでに独り身の私にも恵んで下さいな。」
「取りに来て下さい。」
「あはは……。」
「もお……。」
「本当に良かったね。
ところで陽菜んとこは、赴任の原因は不明なのよね。」
「うん。どっちにも原因は無かったのよ。
だけど、タイミング法とか体外受精とか……やったの。
なんか疲れてしまって……。」
「そう聞くわ。」
「私ね、結婚したら1年くらいで簡単に出来るって思ってたのよ。
でも、違った。
命って不思議ね。」
「そうね。」
「高齢出産になるけど、頑張るわ。」
「産まれた後からが本番だからね。」
「うん!」
「まずは、無事に出産してね。」
「ありがと。」
「そうか……生まれる時には39歳なんだ。」
「そ、それでね。母が言ったのよ。」
「お母さんが?」
「昔の女優さん。もう凄く高齢だと思うのね。
結婚は早かったそうなんだけど、なかなか授からなくて、うちと同じなのよ。
治療を止めてから授かったそうで、私と同じくらいの年だったんですって!」
「なんていう名前の女優さん?」
「確か……村松英子?」
「昔なら35歳以上だったら、高齢出産だったのかな?」
「今もよ。今も35歳以上は高齢出産。」
「ふぅ~~ん、そうなんだ。」
「莉子が今から結婚して妊娠したら、高齢出産なのよ。」
「そなんだ。無いけどね。」
「あるかもよ。ビデオ通話に変えない?」
「今?」
「そう、NOW!」
「莉子がビデオ通話出来たらいいの。」
「分かった。私が居てもOK?」
「私もいいのよね。」
「勿の論よ。」
「何なの?」
「莉子に話しておきたいことがあるの。」
「何? ちょっと、何よ。」
「上原さんのこと。」
「え……………。」
「上原さんのことで、知ったことを話すわ。
兎に角、聞いて!」
「分かった。」
ビデオ通話に切り替えて直ぐ、陽菜は話し始めた。
「私、本社勤務になったじゃない。」
「うん。」
「それで、何なの?」
「本社で、支社勤務の時に一緒だった同期に会ったの。
覚えてる? 岸野君。」
「覚えてる。」
「うん、覚えてるよ。」
「記憶がぁ~、無い。」
「忘れてても問題ないの。」
「あ、そっ。」
「その岸野君から聞いたのよ。
上原さんのケニア行きについて……。」
「ケニアに行く時の話?」
「うん。今更って言わないでね。
知った限りは莉子に話したいから……。」
「分かった。」
「上原さん、急に行ったでしょう。
あの時、ケニアに行っていた人が緊急で日本に帰国したんだって、
だから、用意する日も少なくて急に飛び立ったんだってさ。」
「緊急帰国ってなんで?」
「がんの治療の為に帰国されたそうなのよ。」
「……そんなことがあったのね。
それで、その方は?」
「亡くなったって聞いたわ。」
「そう、お亡くなりに……。」
「まだ、始まったばかりの時で大変だったのよ。上原さん……。
莉子、上原さん、莉子のことをちゃんと考える時間も無かったのかもしれない。
心の余裕も無かったのかもしれない。」
「うん、そうね。……………それだけ?」
「うん。それだけ……ごめんね。
もう聞いたのに莉子に話さないのは止めようと思ったの。
莉子に嘘も隠し事もしたくなかった。」
「分かったから……もう気にしないで。
彼とは、会社で少し話せたから……。」
「えっ! そうなの?」
「どんな話をしたの?」
「ねぇ、ドキドキした?」
「真麻! もおっ、恋愛脳なんだから……。」
「痩せてたから、大丈夫かな?って思って、気が付いたら話し掛けてた。」
「うんうん。それで?」
「社員を解雇しないように働きかけてくれて、ありがとう、って……。」
「それで?」
「それだけよ。」
「あぁ~~、残念。」
「今の莉子の気持ちは、どうなの?」
「……分からない。
執着かな?と思ったりするのよ。」
「どうして?」
「だって、長すぎるのよ。私……。
その長い間、彼は結婚したけれども、私は誰とも出逢ってないわ。
だから、彼を何時までも好きだと思い込んでるのかもしれないし、
彼に執着するしかないのかもしれない……そう思った。」
「誰かに出逢ってたら、変わってた?」
「そうじゃない? そうでないと、失恋した人みんな、恋、出来ない。
結婚なんて、ふっふふ……無理。」
「出逢いか……タイミングもあるよね。」
「そうね。タイミングが合わなければ、恋しても結婚には至らない。」
「でっ……会社は? どうなったの?」
「解雇されることは無く、御社から何方かがお見えになられます。」
「子会社化されるの?」
「幾つかの地域密着の会社と一緒になるみたい。
何社かと併せて、子会社になるのね。」
「株式会社大東の子会社になるのね。」
「株式は?」
「100%子会社化されるの?」
「数社と合併してからだから、どうなるのかな?」
「100%子会社って何?」
「花怜が知らないって、ビックリ。」
「私、無知よ。」
「ドヤ顔で言うことじゃないわ。」
「あはは……で、何? それを聞いてからバイバイするわ。」
「Okay !
100%ってのは、親会社が議決権の100%を取得している会社でね。
つまり、親会社は子会社の発行済み株式の100%を保有しているのよ。
Understood?」
「Got it.
じゃあ、パパが呼んでるから、またねー!」
「またね。」
「私もそろそろ……。」
「じゃあ、終わりにしよう。」
「うん。莉子! 心のままに、ね。
あまり考えすぎないように。」
「うん。」
「じゃあ、またね。」
「妊娠中だから気をつけてね。」
「ありがとう。またね。」
「またね。」
長い長い同期とのLINEビデオ通話を終えて、莉子は北斗の痩せた姿を思い出した。




