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第6話 魔力暴走と鎮魂のアンダンテ ~王子様、全員集合~

あれから三ヶ月。

王立魔術学園でのセレスティアの生活は、奇妙な日常となっていた。

王子アレクサンダーと騎士団長子息ガブリエルからの「熱烈な視線」は、もはや日常風景の一部と化していた。

アレクサンダーは、セレスティアが図書館から出てくるのを待ち伏せ、学園の廊下で「偶然」を装って話しかけてくる。

その度にセレスティアは、彼の完璧な美貌と、どこか挑戦的な視線に内心で悲鳴を上げていた。

彼が自分に興味を持っていることは理解できたが、むしろ、悪役令嬢である自分を監視し、何か粗相がないか見極めようとしているのだと、彼女は頑なに信じていた。


ガブリエルは、セレスティアの授業の移動に合わせて、まるで影のように付き従い、周囲の生徒たちを無言の圧力で遠ざける。

彼の忠犬のような視線は、セレスティアにとって、ある意味、アレクサンダーの熱視線よりも厄介だった。

彼は常にセレスティアの数歩後ろを歩き、彼女の安全を確保しようとする。

セレスティアは、彼の行動を「騎士としての義務」と解釈し、彼が皆を悪役令嬢から護るために付き纏っていると、これまた頑なに信じていた。


そんな彼らの「熱烈な視線」から逃れるため、セレスティアの図書館通いは日課となっていた。

老司書のおかげで、図書館の中だけは、彼らも直接的な接触を控える。

書架の陰に身を潜め、ひたすら本を読み続ける。それが、彼女にとって唯一の安息だった。

そして、そこで出会ったのが、天才魔術師フェリクス・アークライトだった。彼との交流は、セレスティアにとって、図書館での時間をより豊かなものにしていた。




そして、もう一つ、セレスティアの「脱破滅計画」とは裏腹に、彼女の学園生活に大きな変化をもたらしたのが、ヒロイン・リリア・スチュアートとの関係だった。

あの暴走魔法の一件以来、リリアはセレスティアにすっかり懐いてしまった。

最初は、リリアの純粋な憧れの視線に戸惑い、距離を置こうとしたセレスティアだったが、リリアの天真爛漫な笑顔と、ひたむきな努力を見るうちに、彼女の心は少しずつ解きほぐされていった。

今では、おしゃべりをするような仲になっていた。

リリアは、セレスティアの非公式ファンクラブ会長として、学園中にセレスティアの「武勇伝」を広めることに余念がない。

その度にセレスティアは、空気になるという計画とは真逆の方向に進んでいることに、頭を抱えるのだった。


その日の昼下がり、学園の誰もが通る中央廊下。

セレスティアが、ファンクラブ会長となったリリアから熱心な活動報告(という名のおしゃべり)を受けていた、まさにその時だった。

リリアは、目を輝かせながら、セレスティアの「男前」な行動がいかに学園の女子生徒たちに影響を与えているかを力説していた。


「――セレスティア」


凛とした声と共に、目の前に現れたのはアレクサンダー王子だった。

彼は、驚くヒロインのリリアには一瞥もくれず、セレスティアの前に跪くと、その手を取った。

そして、まるで舞台役者のように、優雅に彼女の手の甲に口づけをする。

アレクサンダーの目指す王子像になるための努力していて、その理想であったセレスティアにそれを示すために。

努力の証であるその動作は、完璧なまでに洗練されており、周囲の生徒たちの視線を一瞬で釘付けにした。


「きゃあああ!」


周囲にいた女子生徒たちから、悲鳴に近い歓声が上がった。

それは、「本物の王子様」と「王子様令嬢」の絵画のような美しい姿に憧れと興奮が入り混じった、熱狂的な声援だ。

セレスティアは、その歓声に、まるで舞台の上のスポットライトを浴びたかのような錯覚を覚えた。

しかし、そのスポットライトは、彼女にとって、決して心地よいものではなかった。


「私の婚約者は、やはり美しいな」


アレクサンダーは、立ち上がると、セレスティアの腰を抱き寄せ、周囲に見せつけるようにそう言った。

その瞳には、明確な独占欲が宿っている。

彼は、セレスティアの反応を試すように、挑戦的な笑みを浮かべていた。

彼にとって、セレスティアは、まだ「謎」の存在。

その謎を解き明かしたいという好奇心と、婚約者としての「所有欲」が、彼の行動を突き動かしていた。

彼は、セレスティアが自分にどんな反応を示すのか、興味津々だった。


(ひぃぃぃ!公開処刑ですわ!三ヶ月経っても、この人には慣れないわ!なんでこんなに距離が近いのよ!私の『脱破滅計画』は、一体どこへ向かっているの!?)


セレスティアは、内心で絶叫していた。

しかし、長年の舞台経験が、完璧な淑女の微笑みをその顔に貼り付けて離さない。

彼女の顔は、まるで能面のように、感情を一切表に出さない。

その完璧な笑顔の裏で、彼女の心臓は、けたたましい音を立てていた。


その光景を、少し離れた場所から、一人の少年が見ていた。

図書館へ向かう途中だった、フェリクス・アークライトだ。

彼の瞳は、セレスティアとアレクサンダーの姿を捉え、その感情の読めない顔に、微かな陰りが差した。


彼は、セレスティアに会えるかもしれないと、淡い期待を抱いて廊下を歩いていた、まさにその時だった。

彼の人生は、常に孤独だった。

飛び級で学園に入学した彼は、周囲の生徒たちとは年齢も、興味も、何もかもが違った。

彼の興味は、ただひたすらに魔法だけ。

しかし、彼の生み出す魔法は、誰にも理解されなかった。「無駄が多い」「派手なだけ」。

そう言われるたびに、彼は自分の感性を閉ざし、心を固く閉ざしていった。

誰も僕を理解してくれない。誰も僕の魔法の美しさを認めてくれない。そう諦めていた。


そんな彼の前に、セレスティアは現れた。

彼女は、彼の魔法を「綺麗だ」と言った。

彼のコンプレックスの根源だった「美しさ」を、何のてらいもなく肯定してくれた。

そして、彼にクッキーをくれた。頭を撫でてくれた。

それは、彼にとって初めて与えられた、無条件の温もりだった。

今まで、誰からも与えられたことのない、優しさ。

その優しさが、彼の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていく。

彼女の存在は、彼にとって、唯一の光だった。

その光を、彼は決して失いたくなかった。


王子が、彼女の手を取るのが見えた。

王子が、彼女の腰を抱くのが見えた。

王子が、まるで自分の所有物であるかのように、彼女を自慢げに見せびらかしているのが、見えた。

その光景は、フェリクスの心を、今まで感じたことのない、激しい感情で満たした。


ズキン、と。先日感じたものとは比べ物にならないほどの、激しい痛みが胸を貫いた。

それは、彼の唯一の光が、誰かに奪われるかもしれないという、根源的な恐怖。

そして、その光を独り占めしたいという、醜いまでの独占欲。


(やめろ)


黒い炎のような感情が、腹の底から湧き上がってくる。

それは、彼の魔力を、彼の理性を、全てを焼き尽くすかのような、激しい怒り。


(その人に、触るな)


嫉妬。

初めて自覚したその感情は、あまりにも強烈で、あまりにも破壊的だった。

天才魔術師の、繊細すぎる心の器が、その黒い感情の奔流を受け止めきれるはずもなかった。


ビリリ、と空気が震える。

廊下の窓ガラスが、一斉に甲高い音を立てて軋んだ。

フェリクスの足元から、制御を失った青白い魔力の火花が、パチパチと散り始める。

彼の銀色の髪が、魔力に呼応するように逆立ち、その瞳は、怒りと悲しみで、まるで嵐の海のように荒れ狂っていた。


暴走の引き金は、引かれた。

年若い天才の初恋と、その身に余る強大な魔力が、今、学園を未曾有の危機に陥れようとしていた。

そして、その暴走を止めることができるのは、彼にとって唯一の光である、セレスティア・ローゼンベルク、その人だけだった。



フェリクス・アークライトの心に芽生えた「独占欲」という名の黒い感情は、彼の強大な魔力を揺さぶり続けていた。

王子アレクサンダーがセレスティアの手を取り、腰を抱き寄せたあの瞬間以来、彼の体の中では、膨大な魔力がずっと暴れ続けていた。

それは、まるで嵐の前の海のようだ。

表面上は静かでも、その奥底では、巨大なエネルギーが渦巻いている。

必死に抑え込んではいたが、それももう限界だった。


そんな彼の感情がこの後の、合同実技試験ので爆発する。

学園の大講堂は、緊張と興奮の入り混じった熱気に包まれていた。

生徒たちが、教師や来賓の前で第一学期の成果を披露する、重要な行事だ。

この試験の結果は、進級にも大きく影響するため、誰もが真剣な面持ちで自分の番を待っていた。


フェリクス・アークライトの名前が呼ばれた時、会場はひときわ大きくどよめいた。

天才の魔法を間近で見られると、誰もが期待に胸を膨らませていたのだ。

彼の魔法は、その美しさと威力で、学園中の生徒たちの憧れの的だった。

しかし、壇上に現れたフェリクスの顔は、紙のように真っ白だった。

その表情は、まるで死刑宣告を受けたかのように絶望に染まっている。


(だめだ…魔力が、言うことを聞かない…!このままでは…!)


彼の体の中を駆け巡る魔力は、もはや彼の制御を完全に離れていた。

それは、彼の感情に呼応するように、激しく、そして不規則に脈打つ。

アレクサンダーとセレスティアの姿を見て以来、彼の心に巣食った嫉妬と独占欲が、彼の魔力を暴走させていたのだ。

彼は、必死に魔力を抑え込もうとするが、その度に、体の中から何かが弾けるような感覚に襲われる。

まるで、内側から爆発しそうな風船のように、彼の体は膨れ上がっていく。


「では、フェリクス君。準備はよろしいかな?」


教師の言葉に、フェリクスはこくりと頷く。その頷きは、まるで首の座らない人形のように、ぎこちない。

簡単な魔法でいい。早く終わらせて、一人になりたい。

この暴走しそうな魔力を、誰にも気づかれずに、早くこの場から立ち去りたい。

その一心で、彼は構えた。彼の指先は、微かに震えている。

しかし、その瞳の奥には、まだ僅かな希望の光が宿っていた。

もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。

そう信じて、彼は魔法を紡ぎ出そうとした。


その瞬間だった。


ゴオオオオオオッ!


彼の体から、青白い光の奔流が解き放たれた。

それは、もはや魔法ではなかった。破壊の化身そのものだった。

彼の感情が、魔力と共鳴し、制御不能な嵐となって講堂を襲う。

彼の手の先から放たれた光は、本来の魔法の形を留めることなく、無秩序に、そして暴力的に周囲を破壊し始めた。


天井からは、黒い雷が降り注ぎ、床を砕く。

その雷は、まるで生き物のようにうねり、講堂の床に深い亀裂を走らせる。

壁からは、全てを切り裂くような吹雪が吹き荒れ、講堂の気温を急激に奪っていく。

吹雪は、鋭い氷の刃となって、講堂の柱や壁を削り取る。

講堂の窓ガラスは、その魔力の奔流に耐えきれず、甲高い音を立てて砕け散った。

破片が、雨のように降り注ぐ。


「「「ぎゃあああああっ!」」」


生徒たちはパニックに陥り、我先にと出口へ殺到する。

しかし、出口は魔力の嵐によって塞がれ、彼らは逃げ場を失っていた。

悲鳴と怒号が飛び交い、講堂は一瞬にして地獄絵図と化した。


「総員、防御障壁を張れ!生徒たちを避難させろ!」


教師たちが必死に魔法で対抗しようとするが、あまりに強大すぎる魔力の渦に、彼らの障壁は触れた瞬間、ガラスのように砕け散った。

彼らの放つ魔法は、フェリクスの魔力の前に、まるで無力な赤子のようだ。

誰も、近づくことすらできない。

フェリクスの魔力は、彼らの想像を遥かに超えるものだった。


そして、その荒れ狂う魔力の渦の中心で、一人の少年が絶望に震えていた。

彼の顔は、涙と汗でぐしょぐしょだ。その瞳は、恐怖と絶望に染まり、光を失っている。


「やめ…て…!止まって…くれ…!僕の…僕のせいじゃない…!」


フェリクスは、涙を流しながら、自分の体から溢れ続ける力に懇願していた。

止めたいのに、止まらない。

自分の力が、自分を、そして周りの人々を破壊していく。

彼の心は、罪悪感と絶望で押しつぶされそうになっていた。

彼は、ただ、誰かに認めて欲しかっただけなのに。

誰かに優しくして欲しかっただけなのに。

その感情が、こんなにも醜い形で、周囲を破壊していく。


(誰か…助けて…!この僕を…この魔力から…!)


恐怖と絶望に染まった天才の心は、完全に光を失っていた。

大講堂は、地獄の様相を呈していた。

このままでは、ここにいる全員が、彼の魔力に飲み込まれてしまうだろう。

誰もがそう確信し、絶望した、その時だった。



地獄絵図と化した大講堂。生徒たちが泣き叫び、逃げ惑う中、ただ一人、冷静にその惨状を見つめている者がいた。

セレスティア・ローゼンベルクである。


(なんてこと…!あの子、完全に魔力に飲まれている…!)


恐怖はあった。だが、それ以上に、舞台のトラブルで鍛え上げられたトップスターの冷静な分析力が、彼女の頭を支配していた。

そして、渦の中心で震える、孤独な少年の姿を見た時、彼女の中で何かが決まった。


すっ、とセレスティアは背筋を伸ばす。

その口元には、絶望的な状況には全くそぐわない、不敵な笑みが浮かんでいた。


「――ショータイムの始まり、というわけか。上等じゃないか!」


凛とした、よく通る声。

それは、パニックに陥っていた講堂の空気を、一瞬で切り裂いた。

その声に、近くにいたアレクサンダーとガブリエルが、ハッと我に返る。


「セレスティア…!?」

「セレスティア様…!」


セレスティアは、二人を振り返ると、まるで長年率いてきた劇団員に命じるように、淀みなく指示を飛ばした。


「アレクサンダー殿下は、生徒たちの避難誘導を!あなたの声ならば、皆を落ち着かせることができるはずです!」


「…!あ、ああ、分かった!」


アレクサンダーは、一瞬戸惑いながらも、彼女の言葉に強く頷くと、すぐに持ち前のカリスマ性を発揮し、生徒たちに的確な指示を出し始めた。


「ガブリエル、君は私と共に中心部へ向かう。道を切り開け!」


「はっ!」


ガブリエルは、セレスティアの言葉に、まるでそれが絶対の命令であるかのように、力強く応えた。

そして、彼女の前に立つと、飛んでくる瓦礫や氷の塊を、自慢の剣で次々とはじき飛ばしていく。


セレスティアは、ガブリエルが切り開いた道を、まるで花道を歩むかのように、優雅に、しかし真っ直ぐに、魔力の渦の中心へと進んでいく。


それは、あまりにも自然な連携プレイだった。

王子が民を導き、騎士が姫を護り、そして姫が、魔王の城へと乗り込んでいく。


彼らが、初めて「セレスティア」という名のトップスターの下で、一つの「チーム」として機能した瞬間だった。



荒れ狂う魔力の暴風の中心。

そこに、小さな少年が一人、魔力の渦に呑み込まれ、ただ震えていた。

その体は、制御不能な魔力に打ちのめされ、地面に崩れ落ち、苦痛に顔を歪めている。

彼の銀色の髪は逆立ち、瞳は恐怖と絶望に染まり、正気を失いかけていた。


ガブリエルが作った道を通り抜け、セレスティアはついにその中心へとたどり着く。

周囲の生徒たちは、彼女の行動に息を呑む。

誰もが危険だと知っているその場所へ、迷いなく足を踏み入れるセレスティアの姿は、まるで舞台の上の英雄のようだった。


「フェリクス…!」


セレスティアの声に、フェリクスがびくりと顔を上げる。

その瞳は恐怖と絶望に濡れ、焦点が定まらない。彼の口から、か細い声が漏れる。


「来るな…!僕に、近づくな…!僕の力が…僕が、みんなを傷つけてしまう…!」


彼の叫びに呼応するように、周囲の嵐がさらに勢いを増す。

天井からは黒い雷が轟音を立てて降り注ぎ、床を砕く。

壁からは全てを切り裂くような吹雪が吹き荒れ、講堂の気温を急激に奪っていく。

魔力の奔流は、セレスティアの制服の裾を激しく煽り、彼女の髪を乱す。

しかし、セレスティアは怯まなかった。彼女の瞳は、一点の曇りもなく、ただフェリクスだけを捉えていた。


セレスティアは、その荒れ狂う魔力の嵐の中を、まるで舞台の上を舞うかのように、優雅に、しかし確かな足取りで進んでいく。

彼女の制服の裾が、魔力の風に煽られて翻るが、その姿勢は微塵も乱れない。

その瞳は、一点の曇りもなく、ただフェリクスだけを捉えていた。

彼の前に辿り着くと、セレスティアはゆっくりと、しかし迷いなく、その震える小さな体を、舞台で何度も相手役を包み込んできたように、強く、そして優しく抱きしめた。

その腕は、まるで鋼のように力強く、しかし、触れる肌は絹のように滑らかで、フェリクスの荒れ狂う心を包み込む。


「っ…!?」


腕の中で、フェリクスの体が硬直する。

彼の体から溢れ出ていた青白い光の奔流は、抱きしめられた瞬間から、嘘のように収束し始めた。

セレスティアの温もりが、フェリクスの荒れ狂う魔力を、まるで吸い取るかのように鎮めていく。

彼の心臓は、激しく脈打っていたが、それは恐怖からではなく、初めて感じる安堵と、そして、甘美な幸福感からだった。


セレスティアは、そんな彼の耳元に、そっと唇を寄せた。

囁く声は、どんな魔法よりも心を鎮める、甘い響きを持っていた。

それは、舞台の上の王子様が、傷ついた姫君に語りかけるかのような、優しさと包容力に満ちた声だった。


「――大丈夫、君は一人じゃない。君の力は、決して君を傷つけるものではない。ただ、少しだけ、道に迷ってしまっただけだ」


その声に、フェリクスの体の力が、少しだけ抜ける。

彼の瞳から、とめどなく涙が溢れ落ちる。

それは、恐怖の涙ではなく、安堵と、そして、初めて得た温もりへの感謝の涙だった。

彼の心の中で、長年築き上げてきた「誰も僕を理解しない」という壁が、音を立てて崩れていく。


「…怖かったな。もういい。全て、私に預けてしまえ」


セレスティアは、まるで嵐を鎮める子守唄のように、ゆっくりと続ける。

彼女の言葉は、フェリクスの心の奥底にまで届き、彼の魂を震わせる。

彼女の腕の中で、フェリクスは、まるで生まれたての赤子のように、無力に、しかし安らかに身を委ねていた。


「私がお前の嵐になってやる」


その言葉が響いた瞬間、嘘のように、荒れ狂っていた魔力の嵐が、ピタリと静まった。

天井を砕いていた黒い雷は、音もなく消え去り、壁を切り裂いていた吹雪は、まるで幻だったかのように霧散していく。

講堂を覆っていた魔力の嵐は、セレスティアの腕の中で、まるで子猫のように大人しくなり、やがて完全に消え失せた。

大講堂には、先ほどまでの破壊の痕跡だけが残り、静寂が戻ってきた。

しかし、その静寂は、恐怖の静寂ではなく、安堵と、そして、奇跡を目の当たりにした者たちの、深い感動の静寂だった。


セレスティアの腕の中で、フェリクスはただただ、その温もりを感じていた。

それは、彼が生まれてこの方、ずっと探し求めていた、唯一の安息だった。

今まで、誰にも理解されず、孤独に生きてきた彼にとって、この温もりは、世界の全てだった。

彼の心臓は、激しく脈打っていたが、それは恐怖からではなく、初めて感じる安堵と、そして、甘美な幸福感からだった。


(ああ…この温もりだ。僕が、ずっと欲しかったもの…)


自分を肯定してくれた、優しい人。

自分を孤独から救い出してくれた、強い人。

彼の瞳に、再び光が宿る。

それは、セレスティアへの絶対的な「信頼」と、そして、彼女への深い愛情の色だった。


(もう、絶対に離さない。この温もりを、誰にも渡さない。僕だけのものだ)


フェリクスは、セレスティアの胸に顔を埋めたまま、強く、強く、その服を握りしめた。

天才魔術師が、その心を一人の女性に完全に捧げた瞬間だった。彼の心に芽生えた独占欲は、セレスティアの想像を遥かに超えるものとなるだろう。


事件は、一人の令嬢の圧倒的なカリスマによって、奇跡的に解決した。

しかし、それは同時に、この物語に新たな問題――過激で独占欲の強い年下男子――が誕生した瞬間でもあったことを、まだ誰も知らなかった。

そして、その独占欲が、やがてセレスティアを、新たな波乱へと巻き込んでいくことを、彼女はまだ知る由もなかった。

平日の朝7時に1話ずつ投稿していきますので、よろしくお願いします。

一応全12話で完結しようと思っていますが、ご好評いただけたらもっと続けていこうと思っているので、

リアクションをいただけると嬉しいです。

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