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第5話 VS 天才魔術師フェリクス ~孤独な仔猫に手を差し伸べて~

王子アレクサンダーと騎士団長子息ガブリエル。

彼らのセレスティアへの「興味」は、日を追うごとに熱を帯びていた。

アレクサンダーは、セレスティアが図書館から出てくるのを待ち伏せ、学園の廊下で「偶然」を装って話しかけてくる。

ガブリエルは、セレスティアの授業の移動に合わせて、まるで影のように付き従い、周囲の生徒たちを無言の圧力で遠ざける。

セレスティアは、彼らの行動を「悪役令嬢への監視」あるいは「嫌がらせ」としか認識しておらず、その度に内心で悲鳴を上げていた。


(ああ、もう嫌だ…!どこに行っても視線が痛い…!このままじゃ、私の『脱破滅計画』が、完全に瓦解してしまう!)


そんな彼らの「熱烈な視線」から逃れるため、セレスティアの図書館通いは日課となっていた。

老司書のおかげで、図書館の中だけは、彼らも直接的な接触を控える。

書架の奥深く、最も人の来ない場所がお気に入りの定位置だ。

そこは、まるで秘密基地のように、セレスティアにとって唯一の安息の地となっていた。

静寂と、古い紙の匂い。

そして、窓から差し込む柔らかな陽光。

ここでは、誰も彼女を「悪役令嬢」として見ず、誰も彼女に「王子様」としての振る舞いを求めない。

ただ一人の読書家として、静かに過ごせる。

それが、今のセレスティアにとって、何よりも大切な時間だった。


そこで、彼女はいつも同じ少年を見かけるようになった。

図書館の奥深く、普段は誰も近づかないような、埃を被った古びた書架の間に、ひっそりと佇む少年。

彼の存在は、まるでその空間に溶け込むかのように、誰にも気づかれることなく、しかし確実に、そこに存在していた。


銀色の髪は、月の光を閉じ込めたように淡く輝き、肩までさらりと流れている。

その顔は、まるで精巧な人形のように整っているが、感情の読めない無表情で、どこか儚げだ。

大きな瞳は、深い海の底のような青色で、その奥には、年齢にそぐわないほどの知性が宿っているように見えた。


彼は、学園に飛び級で入学してきた、天才魔術師フェリクス・アークライト。

セレスティアよりも四歳年下で、まだ十二歳。

その小柄な体躯は、分厚い魔導書に埋もれてしまいそうだ。

しかし、その存在感は、周囲の空間を支配するかのようだった。

孤高のクールさを纏いながらも、その幼い容姿は、どこか「ショタみ」を感じさせる可愛らしさを併せ持っていた。


彼は、自分の背丈ほどもある分厚い魔導書を抱え、一心不乱に何かを書き写している。

その指先は、細く、長く、まるで芸術家のように繊細だ。

しかし、その動きは淀みなく、迷いがない。

彼の周囲には、まるで結界が張られているかのように、誰も近づこうとしない。

彼自身も、周囲に興味を示すことなく、ただひたすらに、自分の世界に没頭している。

その小さな背中が、どこか寂しげに見えた。

まるで、世界から隔絶された、孤独な星のようだ。


(あの子、いつも一人でいるわね…)


セレスティアは、フェリクスから目が離せなかった。

彼の姿は、前世の自分と重なる部分があった。

宝塚のトップスターとして、常に舞台の中心に立ち、多くの人々に囲まれてはいたが、その心の奥底では、常に孤独を感じていた。

舞台の上では完璧な「男役」を演じ、私生活では「橘麗」として振る舞う。

そのどちらもが、本当の自分ではないような、そんな感覚。

誰にも理解されない、自分だけの世界。

フェリクスもまた、その天才ゆえに、周囲から孤立しているのかもしれない。

彼を見ていると、なぜか胸が締め付けられるような、不思議な感覚に襲われる。

まるで、かつての自分を見ているようだ。

そして、その孤独な背中を、誰かが優しく包み込んであげたいと、強く願ってしまう。


(…放っておけないわ)


セレスティアの庇護欲が、むくむくと頭をもたげる。

それは、舞台で未熟な後輩を指導する時の、あの感覚に似ていた。才能はあるのに、不器用で、どこか危なっかしい。

そんな存在を、放っておくことなどできない。

彼女は、そっとフェリクスに近づいた。

その足音は、図書館の静寂を破らぬよう、細心の注意を払っている。

まるで、眠っている小動物を起こさないように、そっと忍び寄るかのように。


(昔の私みたいだわ。…そうよ、これは同情!別に彼がイケメンだからとか、そういう邪な気持ちじゃないのよ!計画③『イケメンは石ころと思う』は、まだ継続中なんだから!…この可愛らしさは、イケメンとはちょっと違うから…)


セレスティアは、自分にそう強く言い聞かせると、静かに立ち上がり、彼のいるテーブルへと向かった。

彼女の心の中では、理性と本能が激しい攻防を繰り広げていた。

しかし、最終的に勝利したのは、彼女の「放っておけない」という、母性にも似た感情だった。


「――少年。そんなに難しい本ばかり読んでいては、目が疲れるだろう?」


できるだけ自然に、まるで旧知の仲であるかのように、セレスティアは声をかけた。

その声は、舞台で観客を魅了する時に見せる、優しく、しかし芯のあるアルト。

図書館の静寂に、その声が響き渡る。


「っ!?」


その声に、フェリクスの小さな肩が、ビクッと大きく跳ねた。

驚いたように顔を上げた彼の瞳には、露骨な警戒心と、少しばかりの恐怖が浮かんでいる。

まるで、人間に怯える野良の仔猫のようだ。

そのあまりの反応に、セレスティアの庇護欲は、さらに強く刺激されることになった。


(まあ、なんて可愛らしい…!この警戒心、たまらないわ!まるで、初めて出会った子猫ちゃんみたいじゃない!)


年下の美少年という、新たな属性。

それが、彼女の男役スイッチを、これまでとは違う形でONにしようとしていることを、セレスティアはまだ知らなかった。

それは、まるで、舞台の上の王子様が、小さな姫君を優しく包み込むかのような、新たな「型」の誕生を予感させていた。

この出会いが、セレスティアの「脱破滅計画」に、さらなる波乱を巻き起こすことになるとは、この時の彼女は、まだ知る由もなかった。



フェリクスは、突然話しかけてきたセレスティアを完全に無視することに決めた。

ぷい、と顔を背け、再び分厚い魔術書に視線を落とす。

その小さな背中からは、「関わるな、話しかけるな」という全身からの拒絶が、まるで冷気のように発せられている。

常人ならば、これで諦めて引き下がるはずだった。

しかし、セレスティアは全くめげなかった。

彼女の辞書に「諦める」という文字はない。

特に、庇護欲を掻き立てられた相手に対しては、その執着心はトップスターとしての舞台への情熱にも似ていた。


それどころか、興味深そうに彼の読んでいる本を覗き込んでくる。

フェリクスが書き写しているのは、古びた魔導書の一ページ。

そこに描かれていたのは、常人には理解不能なほど複雑な魔法陣だった。

細い線が幾重にも絡み合い、幾何学的な模様を形成している。

その中心には、小さな星のような紋様がいくつも散りばめられていた。


「わ、すごい魔術式ね。古代語で書かれてるじゃない」


セレスティアの瞳が、その魔法陣を捉えた瞬間、彼女の脳裏に、前世の記憶が鮮やかに蘇った。

宝塚の舞台演出、特に照明や特殊効果に並々ならぬこだわりを持っていた橘麗の目には、それが全く違うものに見えていた。

彼女は、舞台の照明効果や、特殊な装置の設計図を読み解くように、その魔法陣の構造と、それが生み出すであろう効果を瞬時に理解したのだ。

ゲーム『クリスタル・ラビリンス』の知識も相まって、その魔法が「細かな火花を広範囲に散りばめる魔法」であること、そして、その火花が、まるで夜空に輝く星屑のように美しい光を放つであろうことを、彼女は直感的に理解した。


「この魔法、舞台で使えたら星空みたいで綺麗だろうな…」


ぽつり、と漏れたのは、心からの素直な感想だった。

それは、舞台人としての純粋な美意識からくる言葉。

その言葉に、フェリクスの肩が再びピクリと震える。

彼は、書き写す手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、驚きと、そして微かな期待の色が宿っている。


彼の魔法は、常に評価が二分した。

その圧倒的な威力と芸術性は誰もが認める。

しかし、効率や実用性を重んじる魔術師たちからは、いつもこう言われてきたのだ。

「無駄が多い」「派手なだけで実戦向きではない」「芸術家気取りか」と。

彼の生み出す魔法は、確かに美しかった。

しかし、その美しさは、実戦においては「無駄」とされ、彼の才能は常に「異端」として扱われてきた。

だからこそ、彼は誰にも理解されない孤独を抱え、自分の感性を閉ざしてきたのだ。


『美しさ』。

それは、彼が誰にも理解されずに、ずっと一人で追い求めてきたもの。

そして、同時に彼のコンプレックスの根源でもあった。

彼は、自分の魔法が「綺麗」であることなど、誰にも理解されないと諦めていた。

だからこそ、セレスティアの言葉は、彼の心の奥底に、深く、そして鋭く突き刺さった。


フェリクスがおそるおそる顔を上げると、セレスティアはうっとりとした表情で、魔法陣を見つめていた。

彼女の瞳は、まるで宝石のように輝き、その表情は、舞台を見上げる観客のように、純粋な感動に満ちていた。

そして、彼と視線が合うと、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。

その笑顔は、舞台のフィナーレで、観客に感謝を伝えるトップスターの笑顔そのものだった。


「君が今、書き写しているその魔法。細かな火花を広範囲に散りばめる魔法だろう?それは、まるで夜空に散らばる星屑のようだ。…とても、綺麗だよ」


セレスティアの言葉は、フェリクスの心を、今まで知らなかった痛みで軋ませた。

それは、喜びと、戸惑いと、そして、微かな恐怖が入り混じった、複雑な感情。

セレスティアの『綺麗だよ』という言葉は、音ではなく、光の粒子となってフェリクスの鼓膜を震わせた。世界から色が消え、目の前の彼女の微笑みだけが、極彩色に輝いて見えた。今まで誰も踏み入れたことのない、心の最も柔らかい場所を、その言葉は優しく、しかし確実に貫いた。痛い。なのに、温かい。わけのわからない感情の奔流に、思考が追いつかなかった。

彼の心の中で、長年築き上げてきた「誰も僕の魔法を理解しない」という壁が、音を立てて崩れていく。


フェリクスは、何も言えなかった。

ただ、目の前で微笑む美しい人の顔を、呆然と見つめることしかできなかった。

クールな天才魔術師の心の壁に、今、確かに、最初のヒビが入った瞬間だった。

それは、彼の閉ざされた世界に、初めて差し込んだ、優しい光。

この出会いが、彼の人生を大きく変えることになるとは、この時のフェリクスは、まだ知る由もなかった。


それ以来、セレスティアにとって図書館は、新たな楽しみを見出す場所となっていた。

それは、王子アレクサンダーや騎士団長子息ガブリエルからの「熱烈な視線」から逃れるため、という当初の目的とは少し違う、純粋な喜びだった。

図書館の奥深く、埃を被った古びた書架の間で、彼女はフェリクスという小さな「宝物」を見つけたのだ。


「フェリクス、集中すると糖分が欲しくなるだろう?はい、これあげる」


そう言って、懐から取り出したクッキーを、彼の口元に差し出す。

フェリクスはビクッとしながらも、おずおずとそれを受け取った。

彼の小さな指が、セレスティアの指に触れるか触れないかのところで、まるで火傷でもしたかのように引っ込める。

その反応が、セレスティアにはたまらなく可愛らしく映った。

彼は、クッキーを一口食べると、その瞳をわずかに見開いた。

その表情は、まるで初めて甘いものを口にした子供のようだ。

セレスティアは、そんな彼の反応を見るのが好きだった。


またある日には。


「頑張っているな、偉いぞ少年」


そう言って、魔術書に没頭する彼の銀色の髪を、わしゃわしゃと優しく撫でる。

フェリクスは、耳まで真っ赤にして固まっていた。

彼の髪は、絹のように柔らかく、触れるたびにセレスティアの指先をくすぐる。

彼は、頭を撫でられることに慣れていないのか、いつも戸惑ったように固まる。

その姿が、セレスティアには、まるで警戒心の強い仔猫のようで、さらに庇護欲を掻き立てられた。


(ああ、可愛い弟ができたみたいで本当に楽しいわ!)


セレスティアは、心からそう思っていた。

王子や騎士団長子息のように、男性として意識しなくて済む年下の少年。

彼を相手にしている時は、体に染み付いた男役スイッチが「弟を可愛がる優しい兄」モードになるらしく、パニックを起こすこともない。

彼女の行動は、全てがフェリクスへの純粋な「可愛がり」だった。彼が喜ぶ顔が見たい。

彼が少しでも心を開いてくれるなら、どんなことでもしてあげたい。

そんな、無償の愛情にも似た感情が、セレスティアの心を満たしていた。


(安心安全!これぞ平穏!)


しかし、彼女のその無防備な優しさが、フェリクスにとってどれほどの劇薬であるか、セレスティアは知る由もなかった。

彼にとって、それは人生で初めて与えられる、無条件の温もりだったのだ。

セレスティアの気まぐれなスキンシップのたびに、彼の小さな心臓は、張り裂けそうなほどに高鳴っていた。

それは、今まで経験したことのない、甘く、そして苦しい感情だった。



【フェリクス視点】


いつからだろうか。

図書館で本を読む時間よりも、彼女が来るのを待つ時間の方が、長くなったのは。

僕の人生は、常に孤独だった。

家では勉強することしか許されず、飛び級で学園に入学した僕は、周囲の生徒たちとは年齢も、興味も、何もかもが違った。

僕の興味は、ただひたすらに魔法だけ。しかし、僕の生み出す魔法は、誰にも理解されなかった。「無駄が多い」「派手なだけ」。

そう言われるたびに、僕は自分の感性を閉ざし、心を固く閉ざしていった。

誰も僕を理解してくれない。

誰も僕の魔法の美しさを認めてくれない。そう諦めていた。


そんな僕の前に、彼女は現れた。

セレスティア・ローゼンベルク。

悪役令嬢と噂される彼女は、僕の魔法を「綺麗だ」と言った。

僕のコンプレックスの根源だった「美しさ」を、何のてらいもなく肯定してくれた。

そして、僕にクッキーをくれた。頭を撫でてくれた。

それは、僕の人生で初めて与えられた、無条件の温もりだった。

今まで、誰からも与えられたことのない、優しさ。

その優しさが、僕の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていく。


彼女の指が僕の髪に触れるたびに、心臓が激しく脈打つ。

彼女の声が僕の耳に届くたびに、全身が熱くなる。

この感情が何なのか、僕にはまだ分からない。

でも、一つだけ、はっきりと分かることがある。

彼女の優しさが、僕にとって、どれほど大切なものか。

この温もりを、僕は決して失いたくない。


今日も、僕は彼女を待っていた。書架の陰から、彼女の姿を探す。

そして、窓の外に見えた彼女は、僕以外の男と話していた。

王子アレクサンダーと、騎士のガブリエル・ナイトレイ。

彼らは、彼女の隣で、楽しそうに笑っている。


その瞬間、胸の奥に、どす黒いモヤのようなものが、もわりと広がった。

息が詰まるような、不快な感覚。それは、今まで感じたことのない、醜い感情だった。

僕の心臓は、まるで警鐘を鳴らすかのように、激しく、そして不規則に脈打つ。


(なんで…? なんで、僕以外の男と、あんな風に笑い合っているんだ…?)


分からない。

この感情が何なのか。

でも、一つだけ、はっきりと分かることがある。


(…あの笑顔は、僕だけのものなのに)


僕だけが、見ていればいいのに。

僕だけが、知っていればいいのに。

僕だけが、彼女の優しさを独り占めしていればいいのに。


今まで、誰にも理解されず、孤独に生きてきた僕にとって、彼女の存在は、唯一の光だった。

その光を、誰にも奪われたくない。

誰にも分け与えたくない。

この温もりを、僕だけのものにしたい。


天才魔術師の心に、初めて芽生えた黒い感情。

それが「独占欲」という名の、恋の始まりであることを、まだ誰も知らない。

そして、この独占欲が、やがて彼の魔力を暴走させる引き金となることを、セレスティアはまだ知る由もなかった。

平日の朝7時に1話ずつ投稿していきますので、よろしくお願いします。

一応全12話で完結しようと思っていますが、ご好評いただけたらもっと続けていこうと思っているので、

リアクションをいただけると嬉しいです。

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