第10話 伝説のステージ ~カーテンコールは鳴りやまない~
学園祭、当日。
王立魔術学園の大講堂は、開演前から異様な熱気に包まれていた。
クラス対抗演劇会の会場は、立ち見が出るほどの大盛況。
学園中の生徒たちはもちろん、教師や来賓、さらには噂を聞きつけた外部の貴族たちまでが、この奇跡の舞台を見届けようと押し寄せていた。
誰もが固唾を飲んで、その時を待っている。
噂は、様々に囁かれていた。
『主役とヒロインが倒れたらしい』
『舞台セットも破壊されたそうだ』
『もはや中止は免れないだろう』
――そんな絶望的な前評判にもかかわらず、講堂が満員なのはなぜか。それは、ただ一つ。
『それでも、あのセレスティア・ローゼンベルクなら、何かをやってくれるのではないか』という、根拠のない、しかし熱狂的な期待感が、この場にいる全ての人間を支配していたからだ。
講堂の照明がゆっくりと落ち、ざわめきが静寂へと変わっていく。
舞台の幕が、ゆっくりと、しかし荘厳に上がっていく。
そこに立っていたのは、二人の人影。
スポットライトが、その二つのシルエットを鮮やかに浮かび上がらせる。
一人は、純白の王子様の衣装に身を包んだ、絶世の麗人。
すらりとした長身は、まるで天を衝くかのようだ。
金糸で刺繍された豪華なマントが、彼女の優雅な立ち姿を一層際立たせる。
輝く金髪は、舞台の照明を浴びて、まるで星屑のようにきらめいている。
その瞳は、客席の最後列まで見通すかのように鋭く、しかし、その奥には、舞台人としての揺るぎない自信と、観客への深い愛情が宿っていた。
彼女の放つオーラは、講堂全体を包み込み、誰もが、息を呑むほど完璧な「王子様」がそこに立っていることを確信した。
それは、セレスティアだった。
彼女の指先から足先まで、神経が行き届いており、その立ち姿は、まさに絵画のようだった。
彼女は、ただそこに立っているだけで、舞台の空気を一変させる力を持っていた。
それは、長年、舞台の上で観客を魅了し続けてきた、トップスターのカリスマ性そのものだった。
そして、もう一人は。
可憐なピンクのドレスを着て、囚われの姫君として祈りを捧げている…のだが。
その姿は、観客の予想を遥かに裏切るものだった。
ドレスの袖から覗く腕は、丸太のようにたくましく、背中の筋肉は、ドレスの上からでも分かるほどに盛り上がっている。
ウエストは、本来ならばキュッと引き締まっているはずなのに、どこか寸胴に見える。
顔は、必死に可憐さを装っているが、その表情は、まるで苦行に耐えているかのようだ。
明らかに、筋肉質な姫。ガブリエル。
彼の顔は、普段の真面目な表情とは裏腹に、どこかぎこちなく、その瞳は、セレスティアの指示を必死に思い出そうとしているかのように、泳いでいた。
彼の脳内では、「姫は可憐に、優雅に…」というセレスティアの言葉が、警鐘のように鳴り響いている。
そのシュールな光景に、観客席は、一瞬、ざわついた。
ざわめきは、やがて小さな笑い声へと変わり、それが講堂全体へと広がっていく。
「な、なんだ、あの姫は…?」
「というか、王子様、セレスティア様じゃないか!?」
「まさか、ガブリエル様が姫役だなんて…!」
「これは、一体どういう演劇なんだ…?」
笑いが起きるか、ブーイングが起きるか。
その瀬戸際。
セレスティアは、そのざわめきを、まるで舞台の演出の一部であるかのように受け止めていた。
彼女の瞳は、観客席の隅々まで見渡し、その反応を冷静に分析している。
そして、彼女は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、ガブリエル姫へと歩み寄った。
セレスティア王子が、すっ、と顔を上げた。その瞳は、ガブリエル姫を慈しむように見つめ、その口元には、優しく、しかし力強い笑みが浮かんでいる。
そして、第一声を発した瞬間、会場の空気は、一変する。
その声は、マイクなど使っていないのに、講堂の隅々にまで、朗々と響き渡った。
その声量、声質、そして、セリフに込められた感情。
その全てが、完璧だった。
それは、まるで、観客の魂に直接語りかけるかのような、圧倒的な力を持っていた。
「――おお、愛しき姫よ。今、私が、君を救い出そう。君のその悲しげな瞳、この私が、必ずや輝かせてみせる…!」
観客のざわめきが、ピタリと止む。
誰もが、その声の持つ、抗いがたいカリスマに、心を奪われてしまったのだ。
彼らの視線は、もはや筋肉質な姫の存在など気にしていない。
彼らの瞳は、ただ一人、舞台の上の「本物の王子様」に、釘付けになっていた。
セレスティアの放つオーラは、ガブリエルのシュールな存在感を完全に打ち消し、舞台全体を彼女の色に染め上げていく。
それは、まさに、トップスターの「舞台掌握力」だった。
ガブリエルは、セレスティアの言葉を聞き、その温かい視線を感じた瞬間、彼の心臓は、激しく脈打った。
彼の脳内では、セレスティアの言葉が、まるで魔法のように響き渡る。
彼は、セレスティアの期待に応えようと、必死に姫を演じようとする。
彼の顔は、まだぎこちないが、その瞳には、セレスティアへの揺るぎない忠誠と、彼女の舞台を成功させたいという強い願いが宿っていた。
彼の筋肉質な腕は、セレスティアの言葉に応えるかのように、わずかに震えている。
伝説のステージの、始まりだった。
学園祭の演劇は、単なるクラスの出し物ではない。
それは、セレスティアと、彼女を信じる仲間たちの、夢と希望をかけた、人生最大の舞台となるだろう。
舞台の幕は、今、まさに上がったばかりだ。
この物語のグランドフィナーレまで、まだ長い道のりが続く。
◇
劇は、観客の熱狂の中で、順調に進んでいった。セレスティア王子の圧倒的な存在感と、ガブリエル姫の(色々な意味で)力強い演技は、観客の心を掴んで離さなかった。
セレスティアの完璧な王子様としての立ち居振る舞い、甘く響くアルトの声、そして観客の心を射抜く視線。
その全てが、観客を物語の世界へと引き込んでいく。
ガブリエル姫もまた、その筋肉質な体躯からは想像もつかないほど可憐な(?)演技を披露し、観客の笑いを誘いながらも、どこか憎めない愛らしさで、舞台に彩りを添えていた。
クラスメイトたちも、それぞれの役を精一杯演じ、舞台は最高の盛り上がりを見せていた。
しかし、その舞台の成功を、冷たい瞳で見つめる者がいた。
モンフォート伯爵家の令嬢、イザベラである。
彼女は、観客席の最前列に座り、セレスティアの舞台を憎々しげに見つめていた。
彼女の脳裏には、本番前日に仕掛けた妨害工作の記憶が鮮明に蘇っていた。
舞台に仕掛けた僅かな歪み、ハーブティーに混ぜた微量の毒、そして、舞台セットの破壊。
全ては、セレスティアの舞台を台無しにするための、彼女の周到な計画だった。
しかし、セレスティアは、その全てを乗り越え、今、舞台の上で輝いている。
その事実が、イザベラの嫉妬心を激しく掻き立てていた。
「…気に入らないわね、あの女。なぜ、あんな女が、こんなにも輝けるの…!」
イザベラは、唇を噛み締め、その瞳には、憎悪の炎が燃え盛っていた。
彼女は、セレスティアの成功を、決して許すことができなかった。
彼女は、セレスティアの輝きを、自らの手で消し去ろうと画策していた。
そして、彼女は、最後の切り札を、この舞台に仕掛けていた。
それは、舞台の天井に吊るされた、巨大なシャンデリア。
物語のクライマックスで、王子が悪の魔術師を打ち破る瞬間に、シャンデリアが落下するように細工を施していたのだ。
それは、舞台を台無しにするだけでなく、セレスティアを亡き者にし得る、悪意に満ちた計画だった。
そして、物語は、ついにクライマックスを迎える。
セレス王子が、悪の魔術師を打ち破り、囚われのガブリエル姫を救い出すシーンだ。
セレスティアは、舞台中央で、悪の魔術師と対峙する。
その剣捌きは、まるで本物の騎士のように力強く、そして美しい。
悪の魔術師を打ち破り、倒れ伏す魔術師の傍らで、セレスティアは、囚われのガブリエル姫に手を差し伸べた。
その手は、優しく、しかし力強く、姫を救い出そうとする王子の決意に満ちていた。
セレスが、姫に手を差し伸べた、その瞬間だった。
ギィ、と。舞台の天井から、不気味な音が鳴り響いた。
それは、まるで舞台の終焉を告げるかのような、不吉な音。
観客の視線が、一斉に天井へと向けられる。
見上げると、イザベラの妨害工作されたシャンデリアが、猛烈な勢いで、セレスティアの真上へと落下してくる。
その巨大な質量は、セレスティアを押し潰すには十分すぎるほどだった。
「「「きゃあああああっ!」」」
観客が、悲鳴を上げる。誰もが、惨劇を覚悟した。
イザベラの口元には、嘲笑が浮かんでいた。
これで、全てが終わる。
セレスティアの輝きは、ここで消え去るのだと。
しかし、セレスティアは、冷静だった。
彼女の瞳は、落下してくるシャンデリアをまっすぐに見据え、その脳裏には、舞台人としての経験と、前世の記憶が鮮やかに蘇る。
落下するシャンデリア。
それは、彼女にとって、舞台を盛り上げるための最高の『小道具』に過ぎなかった。
迫りくる死の影を、彼女は『大階段』を駆け下りるかのような優雅なステップでひらりとかわし、ガブリエル姫を抱きかかえる動きは、デュエットダンスの最後を飾る『リフト』そのものだった。
危険なアクシデントさえも、彼女は一瞬で、観客を魅了するスペクタクルへと昇華させたのだ。
その動きは、一切の無駄がなく、まるで計算され尽くした振り付けのようだ。
そして、驚きに目を見開くガブリエル姫の体を、力強く、しかし優雅に抱きかかえた。
その腕は、まるで鋼のように力強く、しかし、触れる肌は絹のように滑らかで、ガブリエルの体を優しく包み込む。
全てが、一瞬の出来事だった。
観客は、何が起こったのか理解できないまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。
セレスティアは、腕の中で固まる姫(?)の耳元に、甘く囁きかける。
それは、完璧なアドリブだった。彼女の瞳は、舞台の全てを見通すかのように輝き、その言葉は、観客の心を揺さぶる。
「おっと…驚かせてしまったかな、マイプリンセス。天の星々も、君の美しさに嫉妬して、悪戯を仕掛けてきたようだ。だが、心配いらない。この私が、君を護ってみせよう」
そのセリフを合図にしたかのように、舞台袖にいたフェリクスの魔法が、炸裂したのだ。
彼は、セレスティアの言葉を聞き、その意図を瞬時に理解した。
彼の天才的な魔力は、セレスティアの芸術的な感性と融合し、想像を絶するような舞台効果を生み出していく。
落下してきたシャンデリアは、セレスティアたちに届く寸前で、キラキラと輝く無数の光の粒子へと変わる。
それは、まるで本物の星屑のように、舞台の上に、きらびやかに降り注いだ。
光の粒子は、セレスティアとガブリエルを包み込み、彼らを幻想的な光で彩る。
それは、フェリクスが、セレスティアの舞台のために、作り上げた、最高の特殊効果だった。
さらに、舞台裏にいたアレクサンダーの指示で、舞台中央の二人だけを、劇的に照らし出す。
彼の指示は、迅速かつ的確だった。照明の光は、セレスティアとガブリエルを包み込み、彼らをまるで絵画のように美しく浮かび上がらせる。
それは、アレクサンダーが、セレスティアの舞台のために、王家の威信をかけて用意した、最高の演出だった。
光の星屑が舞う中、抱きしめ合う、王子と姫。
それは、脚本にはなかった、あまりにも美しく、あまりにも幻想的な、奇跡のフィナーレだった。
無数の光の粒子が、まるで生きているかのように舞い踊り、舞台全体を幻想的な輝きで満たす。
その光は、セレスティアとガブリエルを包み込み、彼らをまるで物語の登場人物そのもののように輝かせる。
観客は、その光景に息を呑み、その美しさに心を奪われる。
それは、単なる演劇ではない。
それは、観客の心を揺さぶる、真の芸術だった。
セレスティアの瞳は、舞台の全てを見通すかのように輝き、その表情は、達成感と、そして、仲間たちへの感謝に満ちていた。
一瞬の静寂の後、会場は、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
スタンディングオベーション。
観客たちは、惜しみない拍手を送り続け、その感動を全身で表現していた。
彼らの瞳には、涙が浮かび、その顔には、深い感動と興奮が刻まれていた。
セレスティアと、彼女を信じた仲間たちが起こした奇跡は、観客たちの心に、永遠に忘れられない感動を刻み込んだのだった。
それは、単なる学園祭の演劇ではない。
それは、学園の歴史に、そして観客たちの心に、深く刻み込まれる、伝説の舞台となった。
そして、この舞台の成功が、セレスティアを巡る恋のアンサンブルに、さらなる変化をもたらすことを、彼女はまだ知る由もなかった。
◇
カーテンコールは、いつまでも鳴りやまなかった。
セレスティア王子とガブリエル姫が、手を取り合って舞台の中央に立つ。
その姿に、観客席からは、割れんばかりの拍手と「ブラボー!」の歓声が送られた。
セレスティアは、客席の隅々まで見渡すと、王子として、いや、トップスターとして、最高の笑顔を見せた。
そして、最後に、片目を閉じて、完璧なウインクを飛ばす。
「「「きゃあああああああ!!!」」」
その日、講堂は、女生徒の熱狂によって、揺れた。
ゆっくりと、舞台の幕が下りる。
その向こう側で、セレスティアは、やりきった充実感に、大きく息をついた。
「セレスティア様!」
そこに、仲間たちが駆け寄ってくる。
「セレス様…いえ、王子様…!最高でした!」
ガブリエルは、感極まった様子で、その場に泣き崩れていた。その手には、姫役として使ったレースのハンカチが握られている。
「…完敗だ。君こそが、カンペな王子だよ、セレスティア」
アレクサンダーは、悔しさを滲ませながらも、どこか清々しい表情で、彼女に称賛の言葉を送った。
「…君の隣に立てて、よかった」
フェリクスは、ただ静かに、しかしその瞳は、今まで見たこともないほどの熱を帯びて、セレスティアを見つめていた。
三者三様の、真っ直ぐな賞賛と、好意の瞳。
それらを一身に浴びたセレスティアの胸に、今まで感じたことのない、甘酸っぱいドキドキが込み上げてきた。
(あれ…?なんだろう、この気持ち…今まで感じてきた、男性への免疫のなさからくるパニックとは違う。これは、もっと温かくて、くすぐったいような…? 最高の舞台を共に作り上げた仲間たちへの、誇らしい気持ち。そして、彼らが向けてくれる、真っ直ぐな好意。その熱に、当てられてしまったのだろうか…)
心臓が、うるさいくらいに高鳴っている。
セレスティアは、自分の顔が、カッと熱くなるのを感じた。
その、仲間たちの絆と、セレスティアの淡い恋心の芽生えを、舞台の袖の暗がりから、憎々しげに睨みつける影があった。
ライバル令嬢、イザベラである。
彼女は、唇を噛みしめ、悔しさにその拳を震わせていた。
グランド・フィナーレは、最高の形で幕を閉じた。
しかし、それは同時に、彼女たちの物語が、新たな波乱の待つ、最終章へと向かう合図でもあったのだ。
平日の朝7時に1話ずつ投稿していきますので、よろしくお願いします。
一応全12話で完結しようと思っていますが、ご好評いただけたらもっと続けていこうと思っているので、
リアクションをいただけると嬉しいです。