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第6章 手書きの宇宙

◆Scene 1:廃工場の朝もや(午前5:17)


 夜明け前の廃工場に、藍の靴音が響く。

 彼女は震える手でスケッチブックを抱え、昨夜描き上げた翔太の肖像画を何度も確認していた。


「早すぎたかな...」


 吐く息が白く染まる。スマホには30分前に送った返信が既読になっているが、返事はまだ来ていない。


 ふと、遠くで自転車のブレーキ音がした。

 振り向くと、息を切らした翔太が立っていた。普段は絶対に起きていない時間帯だ。


「急いで...来た」


 翔太の髪は寝癖だらけで、上着も裏表に着ている。

 藍は思わず笑いそうになったのを堪え、スケッチブックを差し出した。


「ほら...『月夜のダンス』の完成形」


 ページを開くと、そこには歪んだ線で描かれた二人の姿があった。

 廃工場の窓から月明かりが差し込み、手を繋いで立っている。

 AIが生成したような完璧な構図ではないが、確かに「藍」がいた。


 翔太の指が絵の端を撫でる。


「この子...最初に描いた時より、ずっと上を向いてる」


「翔太さんと会うようになってから...少しずつ変わってきたの」


 東の空が薄明るくなり始め、廃工場のガラス窓がオレンジ色に染まる。藍はため息をついた。


「私...Magic Canvasのサブスク解約した」


「え、でも...それで収入得てたんでしょ?」


「うん。でも」藍はスケッチブックをぎゅっと抱きしめた。

「もうAIの絵を『私の絵』って偽りたくない」


 翔太のスマホがポケットで振動した。就活サイトからの通知だろう。彼は取り出すことすらせず、藍の肩に手を置いた。


「俺もHototoGISのプレミアム会員、解約する」


「仕事探すのに必要じゃ...」


「大丈夫。たぶん...」翔太は廃工場の天井を見上げた。

「AIが書いた文章で受かった仕事より、俺らしい言葉で落ちる方がいい」


◆Scene 2:絵の具の匂い(午前11:23・画材店)


「えーっと...透明水彩12色セットと、丸筆の...」


 藍は画材店の棚の前で足踏みしていた。2年ぶりに買う画材に、どれを選べばいいかわからない。


「初心者ならこのセットがおすすめですよ」


 店員の声に驚いて振り向くと、翔太が不器用に笑いながら立っていた。


「翔太さん!? なんでここに...」


「あのさ」翔太は首をかきながら、画材かごを差し出した。

「俺も絵、描いてみようと思って」


 かごの中には、安価なスケッチブックと色鉛筆が入っている。藍は思わず噴き出した。


「翔太さんが絵を?」


「ダメか?」


「いや...すごくいいと思う」


 レジに向かう途中、藍はふと質問した。


「どうして突然?」


 翔太はしばらく考えてから答えた。


「HototoGISが使えなくなって気づいたんだ。

 俺...AIが生成する『完璧な文章』に憧れてたけど、本当に書きたいのは...」

 言葉に詰まり、画材店の窓から見える空を指さした。

「あんな風に、でこぼこで歪んだ言葉なんだ」


 店を出ると、雲一つない青空が広がっていた。

  藍は新しい絵の具の匂いを深呼吸し、思わず翔太の手を握った。


「私の絵、もっと見たい?」


「ああ。藍さんの...『本物』を」


◆Scene 3:線の行方(午後3:40・公園のベンチ)


 翔太のスケッチブックには、歪んだ猫の絵が描かれていた。


「ひどいなこれ」


「初めてにしては上等だよ」藍は笑いながら色鉛筆を手に取ると、少しだけ修正を加えた。

「ほら、耳の角度をこうすると...」


「おお...生き返った」


 二人の肩が触れ合う。近くで子どもたちが笑いながら走り回っている。翔太はふと質問した。


「藍さんはなんで絵を描き始めたの?」


「んー...」藍は色鉛筆を転がしながら考えた。

「母が美術教師でさ。小さい頃から家に画材がたくさんあって」


「それで?」


「最初はただ真似してただけ。でも...」彼女の手がスケッチブックの端を撫でる。

「ある時、夕焼けがすごく綺麗で、どうしても写真じゃなくて絵に残したくて」


 翔太は頷き、公園の噴水を指さした。


「今の気持ちで描いてみてよ。あの噴水」


「えっ、今ここで?」


「うん。AIじゃなくて、藍さんの目で見たままを」


 藍は深呼吸し、新しいページを開いた。線を引く手は相変わらず震えていたが、確かに前に進んでいた。


◆Scene 4:最後の生成(午後8:11・藍のアパート)


「見て! Magic Canvasからの最後のプレゼント」


 藍がタブレットを翔太に見せる。画面にはAIが生成した一枚の絵が表示されていた。廃工場で絵を描く二人の姿だ。


「『最終作品:ユーザーの真の創作スタイルを模倣しました』...って」


「嘘みたい」藍の指が画面を撫でる。「私の下手くそな線まで再現してる」


 翔太は絵を見つめ、ふと気づいた。


「これ...AIが自分で『模倣』って認めてるじゃん」


「そうか...」藍の目が輝く。

「AIですら、私たちの『本物』を認めたんだ」


 タブレットの電源を切る時、藍は少し寂しそうだった。翔太はそっと肩に手を置いた。


「もうAIいなくても大丈夫だよ」


「うん...」


 藍のスケッチブックが開かれているページには、今日の公園の噴水が描かれていた。

水の動きを表現する線はまだ不慣れだが、確かに「生きている」ように見えた。


 Scene 5:ネクサス(午後11:59・廃工場)

 満月の夜、二人は廃工場の屋上に立っていた。

 藍の新しい絵の具セットと、翔太のスケッチブックが並べられている。


「これが最後の『自助会』かな」


 翔太が呟く。彼のスマホには、明日から始まる小さな出版社のアルバイト採用通知が表示されていた。

 文章チェックの補助業務だが、条件欄には「AI生成文章不可」と明記されている。


 藍は新しい絵の具をパレットに載せ始めた。


「私は来週から、児童館の壁画お手伝いに行くことになった」


「え、すごいじゃん!」


「下手くそだけどね」藍は笑いながら筆を浸した。「子どもたちと一緒に描くんだ」


 月明かりの中、二人は並んで創作を始めた。

 藍は廃工場の夜景を、翔太はその横顔を文章にしたためる。


 時折、お互いの作品を覗き込み、笑い合う。

 AIの評価も、SNSの「いいね」もない。

 ただ二人だけが共有する、不完全で温かい時間が流れていく。


 ふと、翔太が言った。


「これが...ハラリ先生の言ってた『ネクサス』かな」


 藍は筆を止め、月を見上げた。


「違うよ。ただの...翔太さんと藍さん」


 風が廃工場の錆びた看板を揺らし、どこか遠くで風鈴の音がした。

 二人の影が長く伸び、やがて一つになった。


[完]

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